15
ぱちぱちとまばたきをする。胸元が重い。視界がはっきりし、そこで蒼次郎は胸に本を載せたまま自分が眠っていたことに気づいた。
直弘のことが気になり、ソファから身を起こし、台所へ行く。台所に置いてあるスマートホンの画面を確認した蒼次郎は、あれ、と呟いた。
直弘からメッセージが一つも届いていない。昼過ぎに連絡する、と直弘が言っていたのにまだメッセージが届いていないことに胸の中に小石が転がるような気分になった。不快というより、違和感。
時刻は昼の一時過ぎ。最後に時計を見た時は十二時前だったので、蒼次郎は一時間ほど寝ていたことになる。直弘は十二時半過ぎに連絡すると言ったのだが、まだメッセージも電話の着信履歴もないのは珍しい。
――まあ、遅れてるっていっても三十分くらいだし、連絡が遅れることもある、よな。
蒼次郎は一人頷き、リビングに戻ってソファに転がる。だが一度気になってしまうと、そのことしか考えられなくなる。
直弘は「メッセージや電話は遠慮せずください」と言った。「不安を溜めてしまうほうが怖いです」とも言った直弘だ。今日はたまたま遅れているだけだろう。
蒼次郎はからりと笑った。自分の不安を吹き飛ばすように笑う自分が滑稽だが、不安な気持ちと距離を置くには、こうするしかない。
「まあ、こんなこともあるある」
そう笑い、蒼次郎はテレビ前のソファに寝転んだ。
一時間後、蒼次郎は全く頭の中に入らないドラマを流し続けていた。
――おかしい。もう二時過ぎなのに。
ざわざわと落ち着かない気分で、蒼次郎は立ち上がり、部屋の中をうろうろと歩き回る。
直弘の浮気を疑っても、心変わりを疑ってもいない。
だが一生会えないと思っていた期間が長く、同時にネットストーカーの期間も長い。そんな自分がネット検索を我慢できるわけがない。
「ちくしょう、俺ってやつは……」
自分を軽くなじりつつ、蒼次郎はスマートホンを手にした。配信者すみれとして使っているSNSのアカウントとは別のアカウントにログインし、たんぽぽのアカウントを見る。
とくにこれといった投稿はない。淡々とした内容があるだけで、いつもと変わりない。
蒼次郎は息を吐く。
「直弘、ネットリテラシーがちゃんとしていてえらーい」
そう言い終え、目に留まったものがあった。誰かがたんぽぽの投稿に返信をしている。
たんぽぽはほかのユーザーと交友していないことはネットストーカーなので知っている。誰だろう、と確認し、思わず眉根を寄せた。
「ああん? お前か、りんご」
ガラの悪い台詞が口から飛び出した。
たんぽぽに返信していたのは、青葉坂りんごだった。
「たんぽぽさんこんにちは~! メールを送ったのでご確認おねがいしまーす」
その青葉坂りんごからの返信を見、虚無の表情になった。青葉坂りんごはバーチャル配信者で、たんぽぽはリスナーだ。それにしてはあまりにも距離が近すぎる。
「お前さあ、お前さあ……」
青葉坂りんごに抱くこの感情がリスナーに対して近すぎることへのもやもやなのか、自分の恋人のたんぽぽに近すぎることへのイライラなのか自分でも判別がつかない。
蒼次郎は髪を片手でくしゃくしゃとかき回し、深呼吸を数度して、なんとか落ち着く。
いまは青葉坂りんごよりも直弘だ。青葉坂りんごの返信の時間を確認すれば、十時半頃だった。
――ということは?
蒼次郎はスマートホンで着信履歴の時間を確認しながら、声に出して頭の整理をする。
「直弘と電話が終わったのが十時過ぎのはずで、りんごがメールを送ったのが十時半頃。直弘が俺に連絡する予定だったのが十二時半で、午後二時を過ぎたいま、連絡がない……」
直弘がここまで連絡まで時間をかけたことはない。今日はたまたまだろうし、過剰に心配することはない。でも――。
――直弘に、心配って伝えたい。それに伝えないほうが直弘を不安にさせると思う。
直弘は不安がる蒼次郎のためにお守りを用意してくれた愛情深い男だ。そんな直弘に素直な気持ちを言うべきだ。
不安な気持ちだって恋だ。だから直弘に伝える。
不安な気持ちを伝えて幻滅されてもいい。お互い幻滅して新しいところを好きになっていこうと始まった、二人の恋だから。
蒼次郎はすっと息を吸った。
手にしていたスマートホンを操作し、配信者すみれのSNSのアカウントに入り直した。
青葉坂りんごのアカウントをフォローし、青葉坂りんごに送るメールを作成する。
別のアカウントではなく配信者すみれのアカウントにログインしたのは、青葉坂りんごに少しでも信用されるためだ。
いきなり知らないアカウントから連絡がきたら青葉坂りんごは警戒し、無視するかもしれない。だったら中堅配信者という立場のすみれのアカウントでメールがきたほうがまだ読んでくれるかもしれない。
前置きなく本題に触れるか迷い、まずは挨拶と、どうしても青葉坂りんごから聞きたい内容がある旨のメールを送ることにした。たんぽぽについて話がしたいとメールを送れば、警戒されて無視されると思ったからだ。
メールを作成し、送信する。はっと大きく息をし、自分が思ったより緊張していたのだと気づいた。
台所に行き、適当にインスタントコーヒーでアイスコーヒーを作り、飲んで気分を落ち着かせる。
――やっぱり、たんぽぽの名前を出したほうがよかったかな。
そう思うが、送ってしまったものはどうしようもない。やっぱり、を考えないようにしてコーヒーに集中し、苦みを舌で感じる。
三十分ほど経ち、手にしていたスマートホンが短く震えた。青葉坂りんごからのメールだった。
青葉坂りんごからは予想通り、警戒が伝わる文面のメールがきた。蒼次郎は苦笑する。
「やっぱり俺のなりすましか疑われてんな」
青葉坂りんごが疑う気持ちはわかる。誰もが知る有名配信者ではないが、全くの無名でもない。そんな配信者がどうして新人で無名のバーチャル配信者の自分に連絡をするのかと疑問なのだろう。だから本人ではなく、なりすましだと思われているようだ。
蒼次郎は疑う青葉坂りんごに「どうしたら俺がすみれだって信じる?」とまっすぐに聞いた。相手が「これなら信じる」という方法を蒼次郎が実行することで、メールの送り主がすみれだと信じてくれるかもしれない。
スマートホンが沈黙し、蒼次郎はずずずとコーヒーを啜った。焦る気持ちを押し殺す。焦れば焦るほど目の前の魚を逃すから、まずは焦らない。
青葉坂りんごから返信がきた。
「すみれさんってライブ配信してますよね。いましてくれたら、信じます」
蒼次郎は感嘆の声を上げた。そうきたか。青葉坂りんごは機転がきく。
「俺はいま、暴露動画が出て謹慎中みたいなもんなんだよね。だからほんと数分しかできないけどそれでもいい?」
青葉坂りんごからの返信は早かった。
「それでもいいです」
了解、と返信する。蒼次郎はテーブルの上に置いていた羊のぬいぐるみを手にし、仕事部屋へ入った。ゲーミングチェアにどかりと座れば、習い性で背筋がぐっと伸びる。
――炎上している最中に、こんなことやっている場合じゃないってわかってる。でも、直弘がいまどうなっているか知るためなら、なんだってしたい。
画面越しのたんぽぽしか知らないときに直弘が怪我をしたこともあって、不安と心配が消えない。
ライブ配信準備をし、スマートホンから青葉坂りんごに「いまから配信するから、俺のアカウント見て」とメールを送った。
パソコンの近くに置いた鏡でぱっと身だしなみを整え、配信を開始する。
「突発配信でごめん。いま元気ですって言いたくてライブ配信した」
それから配信者仲間から連絡をもらっているのに返信をしていないことを詫び、必ず返信するから待ってほしいことを言った。
「俺の気持ちが落ち着いて、みんなに言いたい内容がまとまったら、ちゃんと動画を出すよ。とりあえず、その前に生存報告でした」
暑いから気をつけてな、という言葉で終わらせたライブ配信は、青葉坂りんごに宣言したとおり数分で終わった。
動画配信が確実に終わったことを確認し、青葉坂りんごにメールを送る。
「数分、ライブ配信したけど観た?」
すぐにメールがきた。
「ガチのすみれさんですね。信じました」
これで信じてもらえなかったら次の手はどうしようかと思っていたので、信じてもらえて正直ほっとした。
青葉坂りんごに返信する前に、青葉坂りんごから新しいメールがきた。
「ゲーム用に作っているアカウントです。いま、通話できますか? 詳しい話は通話で聞きたいんですけど」
そのメールの下には、ゲーマー御用達の音声チャットツールのアカウントがあった。
話が早い。蒼次郎も青葉坂りんごと通話して事情を説明したかったので、渡りに船だ。




