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編集作業をしているとどうしても集中できない時間がある。仕事部屋から出ると直弘がソファに寝そべってスマートホンを見ていた。耳にイヤホンを装着し動画を観ているらしい。
直弘の腹の近くのラグの上に座り、その腹の上に頭を載せる。半身を跳ね起こした直弘が慌ててイヤホンを外す。
「あ、きゅ、休憩ですか」
「うん。のんびりできていて、なにより」
すみません、と上ずった声で言う直弘の太ももをぽんぽんと軽く叩く。
「別にいいよ、リラックスできているのはすごくいいことだし、嬉しい。俺の部屋に馴染んでるんだなーってにやにやする」
直弘が呆れたような、それでいて嬉しそうな笑みを浮かべる。
「またそうやって甘やかすんですね。いや、受け入れてもらえて嬉しいですけど」
お茶を一緒に飲みましょう、と言った直弘が立ち上がった時に直弘のスマートホンの画面が見えた。画面には黒髪のロングヘアで地雷系の服を着た二次元美少女、青葉坂りんごの動画が停止されている。
「うわ、青葉坂りんごの動画を観てたのか!」
直弘がスマートホンを手にし、あ、と呟いた。直弘が蒼次郎に画面を見せる。
「青葉坂りんごちゃん、新人で無名のバーチャル配信者ですけど、知ってるんですか?」
蒼次郎は半笑いで答える。
「直弘、俺はたんぽぽのネットストーカーだぞ。直弘の推しを知らないと思う?」
「思いません。そういえば、蒼次郎さんは俺のSNSの投稿、読んでたんですもんね」
忘れてました、と苦笑した直弘がスマートホンを操作して画面を消す。蒼次郎は両手を顔の前で合わせた。
「ごめん直弘! 人のスマホの画面見るってすげー失礼だよな」
「気にしてませんよ。目がいいんですね」
そう言う直弘は言葉通り気にした様子がない。思い起こせば、初めて会ったときに直弘は蒼次郎がネットストーカーだと知っても気にした様子がなかった。
――それって、なんか、危うくない?
自分だって直弘と付き合って直弘の行動を許容する範囲が以前付き合った恋人たちより広くなっている自覚はある。
だが直弘はそれよりももっと危うく、自覚が無さそうだ。
「直弘。俺のこと好き?」
戸惑ったように直弘が頷く。
「好きですよ。大好きです」
「俺も好き、大好き。でも好きだからって、直弘は俺の行動を許しすぎじゃない?」
許しすぎ、と呟いた直弘が頭を掻く。
「そうですかね。自覚ないです」
「そっか」
自覚のない直弘にどう話したらいいものか。迷い、結局出たのは
「俺は直弘のこと、幻滅しても好きだよ」
という言葉だった。自分たちが初めて顔を合わせ、付き合うことになったときに「幻滅して、新しいところを好きになっていこうよ」と言った。自分はきっと、直弘の悪いところを知っても好きだ。少ない情報だけでも直弘のことを好きになったのだから。
直弘がぽかんとした後、その顔にじわじわと照れた笑みが浮かぶ。
「付き合ったとき、お互い幻滅しようって話をしましたもんね」
直弘が蒼次郎の頬を触った。
「幻滅しても好きって言葉、嬉しいです」
温かい手のひらをにぎにぎと握るとかわいいと言われた。お前のほうがかわいい、と思う。好きだと伝えてくれる目の前の男が愛おしく、かわいくてたまらない。
その日の夜、編集作業が終わり、近所の居酒屋で夕飯を食べ終わったのは八時過ぎだった。
居酒屋で直弘は酒を飲まなかったが蒼次郎は飲みたい気分で酒を飲み、ほろ酔い状態で家に帰る途中、菓子が食べたくて二人はコンビニに立ち寄った。
買い物かごにスナック菓子やカップ麺を放り込み、レジで会計を済ませる。ふと蒼次郎は周囲を見回す。
「どうしましたか、蒼次郎さん」
「……視線を感じる」
職業柄、人の視線には敏感だ。一般の認知度はないだろうが、ネット上では中堅配信者と呼ばれる立ち位置にいる。外を歩いていると声をかけられることもあり、無断でカメラを向けられることも珍しくはない。
「外に出て、もう帰りましょう」
直弘の硬い声に頷き、店を出た。二人で道路を歩きながら、ビニール袋を手に下げた直弘がそれとなく周囲を見回す。
蒼次郎は気にしていないふりをしてカーブミラーを見るが、それらしき人影はない。
――気のせいかな。
そう思ったときだった。十字路に差し掛かると突然車が勢いよく左折してきた。ライトで目が眩んで驚いた。直弘の名前を呼ぼうとしたのに咄嗟に出たのは
「たんぽぽ!」
という名前だった。
気づけば蒼次郎は直弘の腕の中にいた。
心臓がどくどく音を立てているのは、車に轢かれそうになったからか。それだけではない気がする。直弘の腕の中にいるのはこれが初めてではないのに、照れなのか興奮なのか形容しがたい感情で顔が熱い。
直弘が体を離す。足元に菓子などが入ったビニール袋が落ちていた。
「あ、ありがと」
「いえ、けがはないですか」
「だい――」
大丈夫、と言おうとして言葉が途切れた。目の端、道路に面した店のガラス戸に反射した人影と赤い小さな光を捉える。
――カメラだ。
カメラをよく使う配信者ならではの感覚とでも言おうか、カメラの光だとすぐにわかる。
慌てて後ろを振り返ると離れた場所にいた男が走り出した。夜の道に荒い足音が響く。慌てて追いかけるが男の足は速く、直弘が蒼次郎を追い越し駆けていく。
角を曲がったところで二人を見失った。
蒼次郎は膝に手をつき呼吸を繰り返す。もともと運動がそう得意ではない。
男三人が道路を走っているので奇異に見られても仕方ないのだが、幸いなことに通行人はいなかった。しかし駅から距離があるといっても夜でも多少は人通りがある場所で、離れた場所から若い男たちの笑い声が聞こえる。今回は運よく人目がなかっただけだ。
――ここにい続けるのもよくないな。離れないと。
先ほど逃げた男の仲間が現れる可能性がある。これ以上面倒はごめんだ。
道路に落としたままだったビニール袋を取りに戻る。ビニール袋を手に下げ、直弘に電話しなきゃ、と思っていると直弘が荒い息を吐きながら戻ってきた。
「すみません、見失いました。どうやら若い男でした。スマホじゃなくて小型のカメラで撮影していたみたいで」
直弘の言葉を引き取る。
「おそらく同業者だな」
「だと思います」
頷いた直弘の顔色が悪い。蒼次郎の住むマンションはセキュリティがしっかりしているのでまずはそちらに戻った。蒼次郎の部屋に入り、直弘と並んでソファに沈む。
「疲れたあ……」
そうですね、と相槌を打った直弘の表情は硬い。手を伸ばすと直弘の手に絡めとられる。直弘が深く頭を下げた。
「蒼次郎さん、すみませんでした。外で抱き寄せるなんて、スキャンダルを狙っていた人間が喜ぶことをしてしまいました」
「謝るなよ、別に謝ることしてないだろ。俺を守ろうとして抱き寄せたのは不可抗力だし、直弘があのとき抱き寄せてくれなかったら俺は車に轢かれていたかもしれない」
蒼次郎の言葉に直弘が頷くが、顔を上げないので目が合わず、自分の声が直弘に届いているか不安になる。
直弘、と名前を呼ぼうとしたとき、直弘がゆっくりと顔を上げた。
「蒼次郎さん、しばらく、会うのは控えましょう」
「は?」
直弘の提案が唐突すぎて面食らう。なんで、と聞く前に直弘が言う。
「同業者かもしれないし、過激なリスナーかもしれません。いまは警戒するべき期間だと思います。おとなしくしていましょう」
「あのな、もう動画を撮られたんだぞ。いまおとなしくしたって遅いって」
「あれだけで済むとは思えません。また蒼次郎さんの周辺をうろつくかもしれませんよ。動画の再生数欲しさに過激な行動を取る人は沢山います」
そこで反論できず、仕方なしに黙った。動画の再生数は数字を稼げば稼ぐほど満たされる気分になる麻薬のような側面があり、また収益化していれば懐に金が入る。
再生数に執着する人々を蒼次郎は何人も知っているし、なりふり構わず行動する人はブレーキが無くて怖い。
蒼次郎さん、と呼ばれ、蒼次郎は緩く息を吐いた。会いたいと我を通すほど子供ではないし、直弘の言うことは正論だ。蒼次郎自身だってわかっている。しばらく直弘と離れて様子を見て過ごしたほうがいいことくらいわかっているのに、離れたくない。
――直弘はお守りの羊をくれた。俺が不安にならないよう考えてくれた。それなのに、離れたくないと強く思ってしまう。
直弘と繋いだ手を放し、直弘に両手を伸ばせば抱きしめてくれる。体温に安心する。
「わかった。しばらく会わない。でも連絡は取りあおうな」
「勿論です」
直弘の髪をぐしゃぐしゃとかき回すと、直弘が優しく笑う。
「蒼次郎さんが不安にならないよう、なるべく早くメッセージの返信をしますし、通話もしましょう」
うん、と頷いて蒼次郎は直弘の胸に顔を押しつけた。直弘が髪を優しく撫でてくれる。
離れたくないが先ほどの男がこれから何をするかわからないので、いまは距離を置くしかない。
――仕方ないよな。このまま別れるわけではないんだし。
直弘が蒼次郎の髪を撫でてくれる。蒼次郎はゆっくりと息を吐いた。




