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直弘と会ってから三日後、雨が降っていた。
手にドーナツが入った紙箱を下げ、蒼次郎は自分が住むマンションに戻った。足元が濡れて冷える。今年の雨は例年より少ないというが、それでも六月なので雨は降る。しかしそのうち気温はぐんと上がり、疲弊するような暑さの日もあるのだろう。
台所でコーヒーをドリップしていると、チャイムが鳴った。インターホンに応答すれば、就職活動用のスーツを着た直弘だった。ネクタイが良く似合っている。
「いらっしゃーい、いま解除する」
「はい、お願いします」
オートロックを解除したあと、部屋のインターホンが鳴った。ドアの外にいるのが直弘だと確認し、玄関に行ってドアを開けた。
「いらっしゃい」
「お邪魔します」
直弘をリビングに通すと、直弘はスーツの上着を脱ぎ、ネクタイを外し、ソファに沈んだ。顔には疲れがあり、顔色も悪い。会話は出来るものの、どこかぼんやりしている。
聞かない方がいいのかなあ、と思ったが、遠慮して聞かないのもなんだかんだ摩擦を生む気がする。蒼次郎は台所に戻ってコーヒーのドリップを再開し、テーブルの上にコーヒーが入ったマグカップを置いた。
「言いたくないならいいけど、どうだった、面接」
直弘が力なく首を横に振る。
「とても疲れました。前回受けた一次面接は面接官の方の印象がよかったんですが、今日の二次面接の面接官だった幹部の方がもう」
直弘が両手で顔を覆う。
「ブラック企業感半端なくて……。前にいた会社の違う部署にいた、やばい伝説をいくつも持っている幹部を思い出しました。その人、自分の部下が出した辞職願を山羊に食べさせちゃった人なんですけど」
「前の会社の幹部、山羊飼ってんの……?」
「その人の弟さんの会社の山羊なんです。山羊に草を食べさせて除草作業をする会社の山羊で、その山羊をうちの会社に連れてきて」
「めちゃくちゃ気になるけど、本題に戻ろう。今日、企業の二次面接に行って、その面接官がブラック企業感あったんだよな。それで?」
直弘がいただきます、と言ってマグカップに口をつけた。ほっと息を吐き、言う。
「落ちたなあ、と思いました。正直、あの会社に受かっても辞退します。一度ブラック企業で働くと嗅覚みたいなものが働くんですね。この職場駄目そう、と思い、後半面接に集中できなかったので、落ちても仕方ないです」
蒼次郎は台所からドーナツが入った箱を持ってきて、テーブルの上に置いた。
「直弘、ブラック企業に働いてたんだ」
たんぽぽが会えない存在だったとき、逐一チェックしていたSNSの投稿内容でなんとなく気づいていたが、やはりブラック企業勤務だったのか。
「辞めて無職になったの、本当えらい」
よしよしとその頭を撫でて、ドーナツを食べるよう直弘を促す。
「俺は仕事部屋で動画編集作業をしてくるから、適当に休んでな。キリがいいところまで作業してくるから、その間、ゆっくりしてて」
直弘はじっと蒼次郎を見る。なんでそんなにこっちを見るんだろう、と疑問に思っていると、直弘がドーナツを見た。
「これ、有名店のドーナツですよね。わざわざ買ってきてくれたんですか」
「うん。直弘に食べてほしくて」
「ありがとうございます。嬉しいです。……蒼次郎さんは俺をすごく甘やかしますよね」
いつもこちらを見て話す直弘と目が合わなくて不安になり、蒼次郎はその隣に座る。
「甘やかすの、嫌だった?」
「嫌、というか、情けなくて」
直弘がこちらを見たがその目は揺れ、再び視線が落ちた。
「俺のこと、あまり甘やかさないでください」
その言葉にむっとした。甘やかさないでくださいと言うが、直弘自身が自分のことを大切に出来ていないようだから甘やかしてしまうのだ。直弘は真面目で、その真面目さが少々行き過ぎているように思うことがある。ブラック企業だと理解しながら辞めずに働いていたことがまさにそうではないか。
「俺は、直弘が好きだから甘やかしたい。――でも、それが負担なら、控える。甘やかすのは、やめられないと思うけど」
話しながら冷静になる。直弘を甘やかしたい。でも嫌がることはしたくない。直弘のことをもっと理解して、受け入れられることは受け入れたい。
「好きって気持ちを、体の言い訳にしちゃだめだよな」
ごめん、と頭を下げる。自分は今まで好きだから、という理由で直弘のSNSの投稿を常に確認していた。ネットストーカーをして少ない情報をかき集めていたが、直弘が遠くの姿を知らない相手だからそんなことができたのだ。でもいま、目の前にいるのはたんぽぽであり、直弘という一人の人間だ。
直弘が頭を下げた。
「すみません。甘やかしてくれるのは嬉しいんです。でも甘やかされるたび、自分のことが情けないって思って。あなたの好意を無下にするようなことを言ってごめんなさい」
「謝らないでいい。直弘は情けなくない。直弘は頑張っているのに、なんでそう思うの?」
直弘が躊躇い、蒼次郎の手を握った。その指先が少し、冷たい。
「む、無職だからです。俺はあなたに甘やかされていたら、背骨が無くなって、どんどん駄目になっていきそうです。それが怖いし、蒼次郎さんの隣にいるべきじゃないって思う」
直弘をじっと見、手に力を込めて握り返す。直弘がはっとした顔でこちらを見た。
「直弘は事実として、無職だ。だから真面目にハローワークに行っているし、結果は出てないけど就職活動をしている。俺、直弘のことをすごく知っているわけではないけどさ、直弘が真面目に働いて頑張っていたこと、わかるよ。毎日残業して、くたくたになってそれでも仕事に行ったの、すごくえらかった。でも一番えらいのは、自分のために仕事を辞めたことだよ」
直弘の頬を触る。
「自分は情けないなんて思うなよ。ちゃんと頑張ってる。直弘は真面目だからこそ、自分の頑張りを過小評価しちゃうところがあるのかな。こんなこと言うと、蒼次郎さんは俺のことを甘やかす、って思うだろうけど」
直弘が呻き声をあげたかと思うと、蒼次郎を引き寄せてその肩に顔を埋めた。
「あなたのそういうところが好きです。配信者としてのすみれさんに画面の向こうから励まされて、いまは蒼次郎さんから目の前で励まされて、すごくありがたいです」
直弘が顔を上げた。
「いま、キスをしていいですか」
「いいよ」
言葉が終わらないうちにキスをされる。そっと触れるだけのキスだった。直弘が恥ずかしそうに顔を離し、照れたように笑うので、蒼次郎も照れて笑う。
甘酸っぱい空気に未練を感じながらも、いまから動画編集作業をしなければならない。ぎゅっと直弘を抱きしめ、体を離す。
「じゃあ俺、仕事部屋で作業してる。好きにしてて。キリのいいところまで作業が終わったら、外にご飯、食べに行こ」
「はい。無理しない程度に頑張ってください」
ありがと、と頷きリビングから出る。仕事部屋のゲーミングチェアに座り、パソコンに電源を入れる。
夕飯まで、がんばるぞ。




