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SHE IS THE SUN  作者:


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第2章 響き合う夜(JMF編)

1.

十二月二十九日。東京・渋谷にある国内最大級のホールは、巨大な生き物の胎内のような熱気に包まれていた。

ステージ上に組み上げられた無数のLEDパネルが目まぐるしく明滅し、アリーナ席を埋め尽くしたスタッフやダンサーたちが怒号混じりの指示で行き交う。

『第77回 ジャパン・ミュージック・フェス』の、全体リハーサル初日。

上手かみてから白組、下手しもてから紅組! 二席並びのトークポジション、司会者入ります!」

フロアディレクターの声に導かれ、天海うららと月島渉がステージ中央へと進み出た。

うららは動きやすいパーカーにジーンズ姿、月島は私服でも仕立ての良い黒いタートルネック。並び立つと、まるで「光と影」のように対照的な二人だった。

「――では、オープニングから通します。本番だと思ってコメントお願いします。5、4、3……」

キューが出た瞬間、うららはパッと華やかな笑顔を作り、声を張った。

「みなさん、こんばんは! 今年の締めくくり、そして新しい時代の幕開けを音楽と共に迎える『ジャパン・ミュージック・フェス』。総合司会を務めます、天海うららです!」

完璧な発声、完璧な笑顔。しかし、隣の月島へパスを出した瞬間、ステージの空気が一変する。

「同じく、総合司会の月島渉です。今年、世界を揺るがした数々のニュース。その傍らには、常に人々の心を震わせる音楽がありました。今夜は、時代を彩った48組のアーティストと共に、特別な5時間をお届けします」

月島の声は、夜のニュースそのままの、低く重厚なトーンだった。

スタジオのモニターを見ていた音楽番組担当のチーフプロデューサーが、インカム越しに小さく舌打ちするのが聞こえた。

『……うーん、月島くん、ちょっと硬いな。ニュースじゃないんだから、もう少しフェスを楽しんでいる感じを出せない?』

月島は眉をひそめ、インカムに向かって淡々と答えた。

「これが僕の平熱です。過度にテンションを上げるのは、かえって番組の信頼性を損なうと思いますが」

『そうじゃなくてさ、お祭りなんだからさ……』

スタジオに微妙な空気が流れる。スタッフたちが顔を見合わせる中、うららは一歩前に出て、月島とプロデューサーの間に割って入った。

「プロデューサー、一度このまま通させていただけませんか? 月島さんのこの落ち着いたトーンがあるからこそ、私が思い切り明るく振る舞えます。凸凹だからこそ、締まる構成もあると思います」

プロデューサーは少し不満そうだったが、「……まぁ、天海さんがそう言うなら、一回通してみるか」と引き下がった。

リハーサルが再開され、二人は次の進行へと移る。ステージを降りる際、月島は前を見据えたまま、ボソリと呟いた。

「余計な庇い立ては無用だ、天海さん。僕は僕の仕事を全うするだけだ」

「庇ったわけじゃありません」うららは彼を追いかけながら、真っ直ぐに言った。「私は、月島さんのあの声が、このお祭りの中でどう響くのか、純粋に興味があるだけです」

月島は足を止めず、ただ前髪を少し掻き揚げた。

2.

十二月三十一日、午後六時三十分。本番一時間前。

楽屋が並ぶ廊下は、煌びやかな衣装を身にまとったアーティストや、機材を運ぶ技術スタッフでごった返していた。

うららは紅色の鮮やかなドレスに身を包み、楽屋の鏡の前で一人、台本を睨みつけていた。

手元の台本は、直前の変更やアーティストのコメント追加で、すでに付箋だらけのボロボロになっている。

(大丈夫。毎朝、これ以上の修羅場をくぐってきたんだから)

自分に言い聞かせるが、指先がかすかに震えている。日本中、何千万人が同時に見るステージ。その重圧は、朝の帯番組とは全く異質の、巨大な壁となってうららにのしかかっていた。

「うらら!」

聞き馴染んだ声に顔を上げると、楽屋のドアの隙間から、見知った顔が覗いていた。

『STARTING!』のサブディレクター、藤田エイジだ。その後ろには、布施マキと、気象キャスターの氷室ケンタまでいる。

「みんな! どうしてここに?」

「森下Pにお願いして、部外者立ち入り禁止のところを特別に激励に来させてもらったわよ」

布施マキが、相変わらずのハスキーボイスで笑う。

「うららさん、これ!」

藤田が差し出してきたのは、一枚の色紙だった。『STARTING!』の技術チーム、カメラ、照明、音響スタッフ全員のサインとメッセージがびっしりと書き込まれている。

『朝のヒーローは、夜のステージでも無敵!』

『いつも通り、楽しんで!』

「みんな……」

「今夜は僕たち、いち視聴者としてテレビの前で応援してますから。うららさんなら、日本中の夜を最高に明るい朝に変えられます!」

氷室がいつもの優しい笑顔で言う。

胸の奥の震えが、すっと収まっていくのが分かった。私には、帰る場所がある。信じてくれる仲間がいる。

「ありがとう。みんなの想い、マイクに乗せてくるね」

仲間たちが去った後、うららは深く息を吸い、鏡の中の自分に向かって力強く頷いた。

「本番、十五分前です! 司会お二人、ステージ裏へ移動お願いします!」

3.

午後七時三十分。

地を揺るがすようなオープニングの重低音と共に、カウントダウンが始まった。

「5、4、3、2、1――」

眩い光の洪水の中、うららと月島はステージの中央へ踏み出した。アリーナを埋め尽くすペンライトの海。その光景は圧巻の一言だった。

「始まりました、『第77回 ジャパン・ミュージック・フェス』!」

うららの声が、ホールの天井を突き抜け、全国の家庭へと届く。

前半戦は順調だった。うららの華やかな進行と、月島の正確無比なタイムコントロール。全く異なる二人のテンポは、意外にも小気味よいリズムを生み出し、生放送は狂いなく進んでいく。

しかし、魔物は番組の中盤、午後十時過ぎに潜んでいた。

白組の目玉である大物ロックバンド『THE OZONE』の演奏直前、ステージ裏で予期せぬトラブルが発生した。ボーカルのマイク回線に激しいノイズが混じり、原因究明に時間がかかっているという。

インカムから、コントロールルームの悲鳴のような声が響く。

『司会! トラブル発生! 復旧まで最低三分、時間を繋いでくれ! 繰り返し、三分トークで繋げ!』

三分。生放送における三分は、永遠にも等しい長さだ。しかも、用意された台本ネタは一切ない。

一瞬、スタジオ全体に緊張が走り、フロアディレクターの顔が青ざめる。

うららは一瞬だけ月島を見た。月島もまた、うららを見ていた。

彼の瞳には、少しの動揺もなかった。それどころか、夜の報道の最前線で数々の大事件を速報してきた男の、鋭い「覚悟」の光が宿っていた。

月島が、マイクを口元へ寄せた。

「ここで、ステージ裏より最新の情報をお伝えします。ただいま、次に演奏を予定しております『THE OZONE』の音響機材に、一部不具合が発生いたしました。現在、スタッフが総力を挙げて復旧作業を行っております」

完璧な報道キャスターのトーン。JMFの華やかなお祭りムードが、一瞬で「生放送のリアルな緊迫感」へとシフトする。視聴者は状況を正確に理解し、チャンネルを変えるのをやめて画面を凝視した。

「彼らの妥協のない音作りのこだわりが、この一瞬のトラブルを生んだのかもしれません」

うららが自然な流れで言葉を引き継いだ。

「月島さん、実は私、『THE OZONE』の今回の新曲、リハーサルで拝見した時、鳥肌が止まらなかったんです。特にイントロのベースラインが……」

「ほう、天海さんがそこまで言うのは珍しい。確か彼らは、今回のライブのために、ヴィンテージの機材をわざわざ海外から取り寄せたそうですね」

「そうなんです! だからこそ、完璧な状態で私たちの耳に届けてほしい。みなさん、最高のステージが始まるまで、もう数分だけ、彼らの『こだわり』を待ってみませんか?」

動と静。

月島が事実の骨組みを突き通し、うららがそこに熱い感情の肉を付け変えていく。

二人の掛け合いは、台本がないとは思えないほどに見事なグルーヴを生み出していった。テレビの前の視聴者は、トラブルを忘れて二人の「ここだけのトーク」に引き込まれていく。

『――回線復旧! 司会、いつでもいけます!』

インカムの声に、月島がうららへ小さく頷いた。

「お待たせいたしました。準備が整ったようです」と月島。

「それでは参りましょう! 日本の夜を揺るがす最高のロックナンバーです。THE OZONEで――『ECLIPSE』!」

爆音と共に照明が弾け、バンドの演奏が始まった。

ステージの袖に下がった瞬間、うららはその場にへたり込みそうになるほどの安堵感に包まれた。

「見事なリカバリーだった、天海さん」

隣で、月島がマイクを握ったまま、まっすぐにうららを見つめていた。彼の額には珍しく汗が浮かんでいる。

「僕一人では、あの三分間をただの『お詫びの時間』にしてしまっていた。君が音楽への愛を乗せてくれたから、最高のプロモーションの時間に変わった。……完敗だよ」

月島はそう言うと、初めて、子供のように悪戯っぽく微笑んだ。

「何言ってるんですか。月島さんのあの冷静な速報がなかったら、私、パニックで喋り散らかしてました」

うららも笑い、二人はどちらからともなく、そっと右手を差し出し、固い握手を交わした。

朝の太陽と、夜の月。

相反する二つの言葉が重なった時、誰も見たことのない最高のステージが完成した。

そして番組は、割れんばかりの拍手の中で感動のエンディングを迎え、年越しのカウントダウンへと突入していく。

「――3、2、1、あけましておめでとうございます!」

舞い散る金色の紙吹雪の中で、うららは確信していた。言葉は、人と人、そして世界を繋ぐことができるのだと。

しかし、この時、二人はまだ知る由もなかった。

この二年後に訪れる、日本そのものを揺るがす「灰色の災害」の中で、この二人の『言葉の絆』が、何百万もの命を救う最後の砦になることを――。

(第2章・JMF編 完 / 第3章へ続く)

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