第6話【届かない理由】それでも分類する意味
ここまで考えると、ひとつの疑問が残る。
——それでも、この分類をする意味はあるのだろうか。
人は固定されたタイプではない。
状態によって変わる。
同じ作品でも、読み方は揺れる。
読むとは、その時の自分を映す行為だ。
そこまでわかっているのに、
あえて「Yesの数」で分ける必要があるのか。
一度は、そう思った。
でも、考え直してみると、
やはり意味はあるように思えた。
それは、「人を決めつけるため」ではなく、
「現在地を知るため」だ。
たとえば、地図のようなものだと考える。
地図は、現実をそのまま写しているわけではない。
簡略化されているし、省略もされている。
でも、それでも役に立つ。
自分がどこにいるのか。
どの方向に進めばいいのか。
それを考えるための、ひとつの手がかりになる。
この「7つの質問」も、それに近い。
完璧ではないし、
その人のすべてを表すこともできない。
でも、「今の自分は、どんな読み方をしているのか」を、少しだけ言語化することができる。
そして、それは書く側にとっても同じだった。
自分の作品が、どこに位置しているのか。
誰に届きやすくて、
誰には届きにくいのか。
それをぼんやりとでも把握できるだけで、
見え方はかなり変わる。
たとえば、自分の代表作「彼女の計画」は、
おそらく「5〜7」に寄っている。
深く考えたい人。
内面を追いたい人。
余韻を味わいたい人。
そういう人たちには届きやすい。
そう、あくまで傾向だ。
逆に、テンポの良さや明快な展開を求める人には、少し合わないかもしれない。
それも、傾向としての可能性だ。
こう考えると、
以前は、それを「弱点」だと感じていた。
もっと多くの人に届くように、
変えるべきなのではないかと考えたこともある。
でも今は、少し考え方が変わった。
これは、欠点ではなく、
単に「位置」の問題なのではないか。
どこに立っているか。
どこを見ているか。
それが違うだけ。
良い悪いの話ではない。
そう考えると、
無理に広げる必要もないように思えた。
むしろ、この場所にいるからこそ、
届くものがあるのかもしれない。
そう思えた時、
最初に感じていた違和感が、少しだけ形を変えた。
届いていないのではなく、届く範囲が、はじめから決まっていただけかもしれない。
そして、それは——悪いことではない。
さて。
あなたの地図は、今、どんな現在地が記されていますか。
---了---




