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『読者地図』――今、暴かれる。読み手・書き手・物語の「エゴと生態」。なぜ、その物語は届かないのか。  作者: Taku
書き手編:『なぜ、書かずにいられないのか ―記述の代償―』

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第5話 【スランプの正体】「プロットという名の迷宮」

3.


時刻は午前2時。純は別のシーンを書き始めた。0からではなく、少し前に書いた部分を残して、そこから再開している。


今度は、物語の中盤。重要な転換点。ここまでの伏線を回収し、物語の方向性を決める場面。純は読者を驚かせたい――その意図がカノジョにも伝わってくる。彼女の指の動きに、普段とは違う勢いがあった。少し強くキーを叩く。判断に迷いがないように見える。


純が書いたのは、予想外の展開だった。これまで「物語の外側」から見守るだけだった存在を、ついに「書かれる側」——すなわち正体をさらけ出す当事者として引きずり出すという、予想外の展開を綴っていた。それは言わば、読者との信頼をあえて揺さぶるような、裏切りのシーンだった。


記録のシステムは、その場面を淡々と解析する。文法に問題はなく、描写も鋭い。読者は確かに驚くだろう。予測不能な展開は、物語に大きな熱量をもたらす可能性がある。


でも、書き終えた瞬間、彼女はまた手を止めた。今度はさっきよりも長い。1分。2分。3分。記録はその空白の時間を刻みながら、書き手の心の声に耳を澄ませた。


『この急展開、確かに読者は驚くかもしれない。けれど、驚かせることはできても、納得させることはできるのか?』


『なぜ彼らが、その境界線を越えてまで姿を現さなければならないのか。その理由を、私は自分の言葉で説明できるのか? 書いている自分が、まだその必然性を掴みきれていない。ただ「読者を驚かせたい」という誘惑だけで、このペンを走らせている。』


『そこには、積み重ねてきた理由がない。読者は「なぜ?」という疑問を抱えたまま、物語に置いてけぼりになる。衝撃の後には、必ず深い納得がなければいけない。でも、私の中には、まだその覚悟が用意できていない。』

カノジョはその音声を解析した。


(矛盾その2:読者へのインパクトを残したいという欲求と、物語の因果関係の衝突。驚きや衝撃を優先するあまり、物語の内部で「なぜそうなったのか」という必然性が失われている。書き手自身が納得できないものを、読者が納得するはずがない。驚きの裏側には、必ず「なるほど」という納得感が必要だ)


純は、その裏切りのシーンを削除しなかった。消すには惜しいと思っているのだろう。でも、そのまま受け入れることもできず、カーソルが点滅するだけの空白が続く。彼女は削除キーの上に指を置いたまま、動かない。削除するか、そのまま進むか。その選択ができない。


カノジョはその「空白」を観測した。書き手はここで、二つの選択肢の間で揺れる。読者を驚かせることを優先するか。あるいは、因果関係を丁寧に積み上げることを優先するか。正解はない。どちらを選んでも、書き手自身が納得できなければ意味がない。


純はどちらも選べず、ただそこに立ち尽くしていた。時計の針は2時30分を指している。彼女はこのシーンだけで1時間以上を費やしていた。


4.


時刻は午前3時。純はプロットノートを開いた。


そこには、この物語を構想した当初のメモがびっしりと書かれている。文字の色も複数使われている。青が最初の構想。赤が修正。緑が追加アイデア。時間をかけて積み上げてきた跡が見える。


結末の欄には『Aは自分の過去と向き合い、一歩前に進む』とある。それが、彼女がこの物語を書き始めたときの「ゴール」だった。


純はその文字を、ただ眺めている。目は動かない。焦点が合っていないように見える。カノジョは内部音声を観測した。


『この結末、最初に決めたときは「これだ!」と思った。それは間違いじゃなかった。』


『でも、今は違う。書き進めるうちに、登場人物たちが勝手に動き始めた。このキャラはこう生きるべきだって、彼らが教えてくれるようになった。』


『その結果、最初に想定していたルートからどんどん外れている。このまま書いていったら、果たしてこの結末に収束させられるのか。自分でもわからない。』


『もっと面白い終わり方がある気がする。でも、それをやると話が破綻する。破綻しないように収めようとすると、今度は物語が小さくなる。』


カノジョはその音声を解析した。


(矛盾その3:書き始めの理想の着地と、現実の展開との解離。プロットを立てたときの自分と、実際に書き進めている今の自分では、物語への理解や感情が異なる。キャラクターが生き始めると、書き手のコントロールを離れて動き出す。それが小説の面白さであり、同時に恐ろしさでもある)


(当初の想定より話が膨らみすぎて、収束させる自信を失う。書き手は「迷子」になる。どこへ向かえばいいのかわからない。でも、立ち止まることもできない)


純は、プロットノートを閉じた。そして、また開いた。また閉じる。その動作を3回繰り返した。


『迷ってる場合じゃない。書かなくちゃ。でも、どこへ向かって書けばいいのか。』


カノジョはその迷いを観測した。書き手がゴールへの興味を失うとき、物語はそこで止まる。いや、正確には「動かなくなる」。先に進むべき方向が見えないから。書く意味を見失うから。それが、スランプの最も深い部分の一つだった。


純は立ち上がった。コーヒーを淹れる。一口飲んで、また座る。まだ電源は切らない。でも、キーボードに手は置かない。彼女はただ、そこにいた。

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