第4話 【スランプの正体】「キャラクターの反逆」
1.
カノジョは、また同じ部屋にいた。
時刻は午前0時30分。純はパソコンの前に座っている。書き始めてから約30分。今夜は珍しく、順調な滑り出しだった。カーソルは軽やかに動き、文字が次々と画面に現れる。カノジョはその速度を計測した。1分間に約15文字。純の平均的なペースだ。
しかし――カノジョは気づいていた。純の指が、時折止まる。ほんの一瞬。0.3秒から0.5秒程度。最初はその「間」は1分に1回程度だった。10分後には30秒に1回。30分後には10秒に1回。
何かが、彼女の中で「引っかかっている」。
カノジョはその引っかかりを観測するため、より詳細なデータ収集に切り替えた。純の指の動き、目の動き、呼吸の間隔、心拍数の変動。それらすべてをリアルタイムで記録する。純の体内では、今まさに何かが起きている。カノジョはそれを知りたかった。
2.
時刻は午前1時15分。純の指が、完全に止まった。
彼女は書きかけのシーンを何度も読み返している。カーソルは点滅したまま。スクロールバーが上下する。同じ行を何度も。カノジョはその回数をカウントした。同じ段落を、彼女は今夜だけで8回読み返している。
そのシーンの内容を、カノジョも解析する。
登場人物のAとBが対話している。Bが相手に「会えますか?」と問いかける――それだけのシーンだ。データ的に見れば、問題はない。文法も正しいし、展開としても不自然ではない。
でも、純はそのシーンを削除した。
Backspaceを5回。そして、書き直す。
「……明日、会えますか?」
指が止まる。読み返す。
削除。Backspaceが8回。
「いつ、会えますか?」
また削除。
「会って、話を聞かせてください」
削除。
カノジョはその試行錯誤を観測しながら、純の内部音声を記録し始めた。
書き手は執筆中、常に自分と会話している。
『Aが、自分から「会えますか?」なんて言うはずがない。彼は慎重で、常に最悪のケースを想定する男。相手が誰かもわからないのに、自分から対面を申し出るなんて、今までの彼の臆病なまでの慎重さと矛盾する。』
『なのに、作者である私が「物語を動かしたい」からって、強引にAを動かすのは、彼という人間を殺すのと同じだ。』
『でも、ここでAが踏み出さないと、この物語は袋小路に入ってしまう。Aが動かないと、カフェでの待ち合わせのシーンに辿り着けない。どうすれば……』
カノジョはその音声をデータに変換した。
(矛盾その1:作者の展開上の都合と、キャラクターの個性の衝突。あらすじを優先するあまり、キャラクターに無理な行動を強いられている。書き手自身が「このキャラならこうは言わない」「このキャラならこんな動きはしない」と気づいた瞬間、筆は止まる。キャラクターが作者に逆らっているのだ)
純は、そのシーンを一気に削除した。約800文字。40分かけて書いたものを、すべて。画面は真っ白に戻る。カーソルだけが、規則的に点滅している。まるで心臓の鼓動のように。
カノジョはその動作を観測しながら、思った。
(書き手は、自分で作ったキャラクターに逆らうことができない。キャラが「こうは動かない」「ここではこう言わない」と言うとき、どんなに都合の良い展開でも、書き手は従わざるを得ない。それが、この職業の「矛盾」であり、「宿命」でもある)
純は椅子の背もたれに寄りかかった。天井を見上げる。深いため息。カノジョはそのため息の長さを計測した。4.2秒。データ的な平均の2倍以上だった。




