第2話【涙の正体】人は、何に泣いているのか
前の章で、ひとつの疑問が浮かんだ。
泣かせているのは本当に「物語」なのか。
もしそうだとしたら、人はいったい「何に」反応して泣いているのか。
少し整理してみると、いくつかのパターンが見える。有名作品の例も挙げてみる。
もちろんこれはあくまで仮の分類であり、明確に分けられるものではない。
それでも、考える手がかりにはなるはず。
① 共感して泣く
登場人物の感情に触れたとき。
その痛みや喜びを、自分のもののように感じたとき。人は涙を流す。
『世界の中心で、愛をさけぶ』(片山恭一)
失われる関係、取り戻せない時間。そうしたものに自分の記憶が重なったとき、涙は自然に出てくる。
ここで起きているのは「物語に共感している」のではなく、自分の感情を物語を通して再体験しているということかもしれない。
② 気づいて泣く
物語の構造や、隠されていた意味に気づいたとき。その瞬間に、感情が一気に動くことがある。
『容疑者Xの献身』(東野圭吾)。
ある人物の行動の意味に気づいたとき、それまでの見え方が一変する。
これは「悲しいから泣く」のではなく、「理解したから泣く」というタイプの涙だ。
③ 積み重なって泣く
読んでいる間はそれほど強い感情を感じていなかったのに、ある瞬間、あるいは読み終えたあとに、なぜか涙が出てくる。
『夜のピクニック』(恩田陸)
大きな事件は起きない。それでも、時間の積み重ねや関係の変化が静かに心に残る。
このタイプの涙は説明が難しい。どこで泣いたのか、なぜ泣いたのか、自分でもはっきりとはわからない。それでも確かに、何かが積み重なり、ある地点で溢れている。
④ 理由がわからないまま泣く
そして、もう一つ。もっとも説明しづらい涙がある。
『海辺のカフカ』(村上春樹)
物語の意味を完全に理解できたわけではない。何が起きているのか、はっきりとは説明できない。それでも、なぜか涙が出る。
このとき起きているのは、共感でも理解でも明確な感情の流れでもない。曖昧で、言葉になる前の何かが触れられているような感覚。
ここまで、四つのパターンを挙げた。
そして、これらのパターンは読書モードと対応している。
涙のパターンと発生しやすい読書モード
共感して泣く・・・ 2〜4
気づいて泣く・・・ 4〜6
積み重なって泣く・・・5〜7
理由がわからないまま泣く・・・6〜7
しかし、ここでひとつ気づくことがある。
これらの涙のパターンは、読む側の「そのときの状態」だけでは説明できない。
同じ人でも、同じ状態でも、作品によって泣けたり泣けなかったりする。
そこには別の要素——その人が持つ「泣きやすさの傾向」——が関係しているのではないか。




