第6話 法務院での審理
エリナが王宮法務院に保護されてから、三日が経った。
その間、俺は彼女に会うことを一切禁じられていた。騎士団の寮で待機を命じられ、外出も制限された。
苛立たしく、そして理不尽な三日間だった。
エリナは今頃、あの冷たい法務院の部屋で、一人で震えているに違いない。俺がそばにいなければ、彼女は食事のメニュー一つ決めるのにも迷ってしまうというのに。
あのソーマという法務官は、彼女の純粋さを利用して、何か良からぬことを企んでいるのだ。「息が詰まる」という彼女の言葉も、きっとあの男が言わせたものに違いない。
エリナが、俺を拒絶するはずがない。そんなことは、あってはならない。俺は彼女のために、すべてを捧げてきたのだから。
◇
四日目の朝、ついに王宮法務院からの呼び出しがかかった。
「ユウト・カミシロ騎士。審理室へ」
案内されたのは、法務院の地下にある石造りの審理室だった。窓はなく、壁には魔力を封じる結界の術式が刻まれている。
部屋の中央には重厚な石造りのテーブル。その向こう側に、ソーマ・ヴァレンティン法務官が座っていた。両脇には騎士団代表と神殿の書記官が控えている。
「座りなさい」
ソーマは、感情の読めない灰色の瞳で俺を見た。
俺は椅子に腰を下ろし、真っ直ぐに彼を見返した。
「エリナさんは、どこですか」
「彼女は今、安全な場所で休息を取っています」
「安全な場所? 俺のそばから引き離しておいて、何が安全ですか。彼女は俺がいないと——」
「カミシロ騎士」
ソーマは、静かに俺の言葉を遮った。
「本日は、あなたの『保護』という名目で行われた行為について、事実確認を行うための審理です。まず、あなた自身の言葉で、専属護衛としての任務をどう解釈していたか、説明してください」
「彼女の安全、健康、尊厳を守ることです。危険から遠ざけ、聖女としての務めに集中できるよう環境を整えること。それが、俺に与えられた役目です」
「なるほど」
ソーマは机の上に、いくつかの証拠品を並べた。
「では、その『安全』『健康』『尊厳』を守るために行った具体的な行動について、確認しましょう。まず、この魔石について」
彼が指し示したのは、俺がエリナに贈った、あの『お守り』の首飾りだった。
「魔導技師の鑑定によれば、この魔石には『常時位置監視』の術式が編み込まれていました。あなたはこれを『連絡用の通信魔法』と説明して、彼女に身につけさせていた」
「彼女の安全を完璧に保障するためです。彼女は平民出身で、王都の事情に不慣れでした。聖女見習いという立場上、狙われる危険も高い。彼女の居場所を常に把握しておくことは、護衛として当然の配慮だと思いました」
「『当然の配慮』であれば、なぜ本人に正確な機能を説明しなかったのですか?」
「監視だと知れば、彼女が不必要に緊張してしまうと考えました。彼女は、自分の弱さをひどく気にする子です。そんな子に『監視している』と告げれば、彼女は自分を信じられなくなる」
ソーマは、別の書類を手に取った。
「では、この記録についてはどうですか。エリナ・ノーヴァ見習い聖女の、ここ三ヶ月のスケジュール記録です。自由時間は皆無。他者との接触も、あなたを介してのみ。魔法の個別指導すら、あなたが独断で断っていた」
「彼女は真面目すぎるんです。放っておけば無理をしてしまう。俺には見えるんです。今日の彼女の顔色、魔力の揺らぎ。同僚の騎士たちや導師は、彼女のことを表面的にしか知らないからそう言える。でも、俺は三ヶ月近く一緒にいて、彼女がどういう時に困って、どういう時に無理をするか全部分かってる。だから、俺が先回りして危険な状況を避けてあげる必要があるんです」
俺は身を乗り出し、机に手をついた。
「エリナは優しすぎるから、頼まれると断れない。でも、俺が間に立てば、彼女が罪悪感を感じることなく、適切な判断ができる。これは、俺と彼女の間の、絶対的な信頼関係に基づくものです!」
俺の声が、石造りの部屋に響き渡った。
ソーマは、表情一つ変えずに俺を見ていた。その静けさが、俺の苛立ちをさらに煽った。
「……あなたのその『絶対的な信頼』とやらは、随分と一方的なもののようですね」
ソーマは、机の引き出しから、分厚い羊皮紙の束を取り出した。
「これが何か、わかりますか」
「……なんだ、それは」
「エリナ・ノーヴァ見習い聖女の、『祈りの日記』です」
俺は息を呑んだ。
祈りの日記。聖女見習いが、日々の神への祈りや反省を綴るもの。
「彼女は、この三年間、あなたとの日々の出来事をここに記録していました。最初は自責の念に満ちた祈りとして。そして途中からは、感情を排した冷徹な『事実の記録』として。
あなたがいつ、何を言い、どう行動したか。そして、それによって彼女の選択肢がどう奪われていったかが、時系列で克明に記されています」
ソーマは羊皮紙を開き、読み上げた。
『王暦1526年、春の月、第21日
ソーマ法務官様にお会いした。
ソーマ様は、私の胸の首飾りを見て「追跡の術式」と言った。カミシロ様は「連絡用の通信魔法」だと言っていたのに。
私の居場所は、ずっと監視されていたのだ。』
審理室の空気が、重く沈んだ。
「確認します。あなたは彼女に嘘をついていた」
「嘘ではありません! 彼女を守るために、あえて言わなかっただけです。必要のない不安を与えたくなかった」
「では、これはどうでしょう」
ソーマは別のページを開いた。
『王暦1525年、冬の月、第25日
私は三日ほど帰省して、母の看病をしたいと申し出た。でも、カミシロ様は「日帰り」で「同行する」という条件を出された。
実際に村へ帰ると、母は立派な騎士様を前にして、ずっと縮こまっていた。私も、カミシロ様の視線が気になって、「神殿は少し息苦しい」という本音を、母にこぼすことができなかった。』
「あなたは彼女の帰省を『現実的な折衷案』だと言った。だが、結果として彼女が母親に本音を打ち明ける機会を奪っている」
「それは——」
「さらに、これです」
ソーマは次々とページをめくった。
『マリア様とは、あれ以来、お話しする機会がほとんどない。
廊下ですれ違っても、カミシロ様がいつもそばにいらっしゃるから、立ち話をする時間もないまま、会釈だけで終わってしまう。』
『ガルバン先生から個別指導に誘われた。
私は頭の中で、夕食の時間、祈祷のスケジュール、明日の体力配分を計算していた。
でも、答えを出す前に、カミシロ様が断ってくださった。』
「彼女の人間関係を制限し、学びの機会を制限し、それを『疲れているから』『君のためだから』と説明している。それを決めるのは、彼女自身ではなく、あなたですね?」
「彼女は、自分の限界をわかっていません。だから——」
「だから、あなたが『代わりに決めてやる』」
ソーマは日記の一文を指で叩いた。
『私が何を着るか。誰と話すか。何を学ぶか。
私が頭の中で必死に計算して出した答えは、一度も口から出ることはなく、カミシロ様の「正しい答え」に上書きされて消えていく。
まるで、私の思考そのものが、最初から存在しなかったかのように。』
「これは、彼女の主観的感想ではありません。日々の行動記録と共に、繰り返し同じ構造が描写されている。あなたが彼女の『決定権』を一つひとつ奪っていく様子が、時系列で克明に記されています」
「……それでも」
俺は、かすれた声で言った。
「それでも、俺は彼女を傷つけるつもりはなかった。俺は彼女のために、すべてを——」
「そんなもの……」
俺は、震える手で羊皮紙の束に触れた。
一番上のページ。そこには、見慣れた彼女の、丁寧で几帳面な文字が並んでいた。
『私は考えるのが遅い。その場で言い返すことは、絶対にできない。
でも、書くことならできる。頭の中で何度も反芻して、事実だけを、正確に書き残すことなら。
今日から、書き方を変えようと思う。神様への祈りではなく、私自身の思考の証明として。』
俺は、言葉を失った。
彼女が、こんなことを考えていた?
俺の保護を、「選択肢を奪うこと」だと?
そんなはずはない。あり得ない。
「……嘘だ」
俺は呟いた。
「こんなの、何かの間違いだ。彼女は、俺に感謝していた。いつも、嬉しそうに笑って……」
「その笑顔が、彼女の最大の『防衛機制』だったことに、あなたは最後まで気づかなかった」
ソーマの声が、冷たく響く。
俺は羊皮紙の束をめくった。そこには、俺が「彼女のため」と思ってやったことのすべてが、冷徹な事実として記録されていた。
『私は、彼の前で少しずつ消えていく』
その一文を目にした瞬間。
俺の築き上げた完璧な世界は、音を立てて崩れ去った。
「ユウト・カミシロ騎士」
ソーマ法務官が、冷徹に告げた。
「あなたの行為は、保護を名目とした『精神的支配』に該当します」
俺は、ただ呆然と、その言葉を聞いていた。
「本審理の結果に基づき、あなたに『聖女保護令』を適用します。今後、エリナ・ノーヴァ見習い聖女への一切の接近、通信、および干渉を禁じます。違反した場合、即座に投獄となります」
「……待ってくれ」
俺は、掠れた声で言った。
「俺は……俺は、本当に、彼女を愛していたんだ。彼女を守りたかっただけなんだ……」
「愛ではありません。それは、所有欲と支配欲です」
ソーマは、一切の同情を見せずに切り捨てた。
「あなたは、彼女を守っていたのではない。彼女を自分の『小さな箱』に閉じ込め、自分が偉大な保護者であると錯覚したかっただけです」
その言葉が、俺の胸に深く突き刺さった。
「……エリナさんは」
俺は、顔を上げた。
「エリナさんは、今、どうしているんですか」
「彼女は、ようやく自分の足で歩き始めました。もう、あなたという『檻』は必要ありません」
ソーマは立ち上がり、羊皮紙の束を回収した。
「審理は以上です。退出を」
俺は、重い足取りで審問室を出た。
冷たい石の廊下を歩きながら、俺は胸元の魔石に触れた。もう、光は宿っていない。
俺は、彼女を完全に失ったのだ。
いや、違う。最初から、俺は彼女を「得て」などいなかった。
俺が抱きしめていたのは、彼女の恐怖と諦めが作り出した、精巧な幻影に過ぎなかったのだ。
その事実に気づいた時、俺は廊下の壁に手をつき、音もなく崩れ落ちた。
◇
――エリナの祈りの日記より
『王暦1526年、夏の月、第3日
今日、私は法務院で、カミシロ様の審理を聞いた。
別室から、姿の見えない場所で。
ソーマ様から、あらかじめ許可をいただいていた。「聞きたくないなら、聞かなくていい」とも言われた。
でも、私は聞きたかった。
私が体験してきた日々が、どのように言葉にされるのか。カミシロ様が、自分の行為をどう説明するのか。
カミシロ様は、はっきりと言った。
「俺は彼女のために、すべてを——」
あの方は、本当にそう信じているのだと思う。
ソーマ様は、私の日記の一文を読み上げた。
『私が頭の中で必死に計算して出した答えは、一度も口から出ることはなく、カミシロ様の「正しい答え」に上書きされて消えていく。』
自分の書いた文章なのに、他人の告白を聞いているような気持ちになった。
私は、ずっと「悪いのは私だ」と思ってきた。
決められない私が悪い。
言い返せない私が悪い。
守られて安心してしまう私が悪い。
でも、ソーマ様は言った。
「愛ではありません。それは、所有欲と支配欲です」
その言葉を聞いたとき、喉の奥が熱くなった。
私の中で、何かが少しずつ、ほどけていく。
今日、カミシロ様への接近禁止命令が下された。
私は、もう彼に怯える必要はない。
彼が用意した「正解」に、無理に合わせて笑う必要もない。
私は、考えるのが遅い。
でも、だからこそ、三年間、少しずつ考え続けることができた。
彼の「優しさ」の正体を、見極めることができた。
首飾りのない首は、まだ少し心細い。
でも、この軽さが、私の本当の自由なのだと思う。
私は、私自身の足で、この世界を歩いていく。
もう、誰の用意した檻の中でも、祈らない。』
第6話を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
ソーマ法務官の冷徹な指摘により、ユウトの「完璧な世界」は完全に崩壊しました。そして、エリナはついに本当の自由を手にしました。
貴重なお時間をこの物語に使ってくださったこと、心から感謝しています。




