表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様、今日も転生者を眺めています  作者: 仲村千夏


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/20

スキル:何も無し

 ——白い空間に、ひとりの青年が立っていた。


 目の前には、星々を抱くような光をまとった“神”がゆっくりと現れる。

 その姿は威厳に満ち、まるで世界そのものが頭を垂れているかのような重みがあった。


 神は青年を見下ろし、深く響く声で告げる。


「我は問う。

  汝、次の生で——何を望む?」


 青年は、しばらく黙っていた。

 やがてぽつりと呟く。


「……何も、望みません」


 神の瞳がわずかに揺れた。


「……何も、か?」


「はい。もう……疲れました。

  戦うのも、努力するのも、誰かに期待されるのも……全部嫌なんです」


 青年の声は、消え入りそうなほど弱かった。


 壮年の神はゆっくりと目を閉じる。

 数多の転生者を見送ってきた彼にも、この返答は珍しい。


「汝、力なきままに異世界へ降り立つことになるぞ」


「構いません。

  ……ただ、静かに生きて……静かに終わりたいだけです」


 青年の表情に野心はない。

 希望もなく、絶望もなく、ただ疲れ切った人間の顔だった。


 長い沈黙が流れる。


 神はその静寂を破るように、低く言った。


「……よかろう。

  ならば汝には“何も与えぬ”。

  異世界の大地で、己のままに生きるがよい」


 青年は深く頭を下げる。


「ありがとうございます」


 神の声はなおも厳かだった。


「ただし——注意しておけ。

  望まぬ者にも、世界は牙を向く。

  覚悟はあるか?」


 青年は迷うことなく答えた。


「……はい。それでも、何もいらないんです」


 その瞬間、光が彼の身体を包んだ。


 ——転生が始まる。


 ◆


 光が消え、青年が消えた後の静寂の中で。

 新任女神がそっと姿を現した。


「あ……あの……神様。あの人、本当にスキル無しで?」


 壮年の神は鏡を見つめ、ゆっくりと頷く。


「望まぬ者に力は不要だ」


 女神は心配そうに眉を寄せる。


「でも……何も持たずに異世界って、とても危険では……?」


 神はその不安を制するように、静かに右手を上げた。


「見守るのも我らの務めよ。

  さて——今日も転生者の行く末を眺めようではないか」


 背後から同僚神がコーヒーを啜りながら近づいてくる。


「お、今回は“何も無し”ね。珍しい。さて、どう生きるやら」


 神は厳かに鏡へ手を伸ばした。


 ——無力な青年の物語が、今始まる。


 青年——異世界ではユウトと名付けられた——は、木々のざわめく小さな村に降り立った。


 スキル無し、特殊能力無し。

 加護も恩恵もなく、ただの人間として。


 村人は彼を不思議そうに見つめたが、ユウトは何事にも期待せず、ただ淡々と労働をこなした。


 畑仕事を手伝い、薪を割り、壊れた柵を直す。

 力は弱いし、要領も良くない。

 けれども彼は文句一つ言わず、黙々と働いた。


「ユウトさん、今日も手伝ってくれるの?」


 声をかけてきたのは、村の娘ミナだ。

 しかしユウトは笑顔を返すこともなく、ただ軽く頷くだけだった。


「ええ。俺は……出来ることをします」


 冒険に出ようともしない。

 魔法も使えない。

 世界を変える意思もない。


 ただ、静かに日々を積み重ねるだけ。


 ◆


 一方、その様子を水鏡で覗く神々の部屋では——。


 壮年の神が、腕を組んだまま黙って鏡を見つめていた。

 映っているのは、異世界の片隅の小さな村。


 転生者――ユウトは、村の広場の木陰に腰を下ろし、

 削り出した木片を子どもたちに手渡している。


「……意外と、馴染んでおるな」


 低く呟いたのは、転生神本人だった。


 隣では、同僚の神が椅子にもたれ、気の抜けた様子で水鏡を覗いている。


「そりゃあな。

 あいつ、何も持たずに行った割に、焦ってない」


 ユウトは、特別な力を振るうでもなく、

 村を救う英雄になるでもない。


 ただ、木を削り、子どもに渡し、

 礼を言われて、少し照れている。


「力無き者が平穏を手にするのは難しい」

 壮年の神は、静かに続けた。


「だが、“生きることそのものを選んだ者”は……

 時に、我らの想定から外れる」


 同僚神は、小さく笑った。


「派手さゼロだなぁ。

 魔物も倒さない、国も救わない」


「だが、逃げてもおらぬ」


 ユウトは畑仕事を手伝い、

 壊れた柵を直し、

 夜には酒場で話を聞くだけの男だ。


「……なんだか、本当に普通だな」

 同僚神が肩をすくめる。


「普通でよい」

 壮年の神は即答した。


「異世界に必要なのは、勇者ばかりではない」


 水鏡の中で、子どもが木彫りを掲げて笑った。

 ユウトは、困ったように頭を掻いている。


「世界を救わずとも、

 誰かの一日を少しだけ楽にする」


 壮年の神は、ゆっくりと腰を下ろした。


「それもまた、“生”の一つよ」


 同僚神は頷き、欠伸を噛み殺す。


「……まあ、これはこれで、当たりかもしれん」


「さて」

 壮年の神は水鏡を閉じ、静かに言った。


「力なき転生者が、

 どこまで“何も無いまま”生きられるか——

 しばし、眺めるとしよう」


 神々の部屋に、穏やかな沈黙が落ちた。


 今日もまた、

 英雄にならなかった魂の人生が、

 静かに続いていく。


 ◆


 だがこの頃、ユウトの周囲には、まだ誰も気づかない小さな“変化”があった。


 森で迷った子を助けたり、崩れた小屋を黙って直したり、病の老人に薬草を運んだり。


 彼の“誰にも期待されない働き”が、少しずつ村を変えていた。


 ユウト本人は気づかない——いや、気づこうとしなかった。


 ただの日常が、

 ただの行いが、

 周囲にとっては“救い”になっていることを。


 そんな静かな時間が流れていった。

 しかしその平穏は、長く続くものではなかった。


 その日、村を包む空気はどこか張りつめていた。


 朝から家々の扉が固く閉ざされ、家畜の鳴き声さえ怯えているように聞こえる。

 ユウトは違和感を覚えながらも、割り当てられた畑へと向かった。


「……静かすぎる」


 手にした鍬が、土を打つ音だけが響く。

 やがて、村の端から足音が駆け寄ってきた。


「ユウトさん! ユウトさん!」


 ミナだ。

 顔は蒼白で、息を切らせ、今にも泣き出しそうだった。


「どうした?」


「森に……森に魔物が……! お父さん、畑を見に行ったまま帰ってこなくて……!」


 言葉が、そこで途切れる。

 ユウトの胸が重く沈んだ。


 魔物——

 この世界では、スキルも武力もない者にとって致命的な存在。


 ユウトは戦えない。

 武器の扱いも、魔法も使えない。

 彼はただの“スキル無し”の転生者だ。


 それでも。


「……行こう。ミナ」


 ユウトは自分でも驚くほど自然に言葉を口にしていた。


「だ、だめです! ユウトさんは戦えないって……!」


「わかってる。でも、お前の父さんは……待ってる」


 その言葉を聞き、ミナはこらえきれず涙をこぼした。


 ◆


 森の入口は、いつもの穏やかさを失っていた。

 木々はざわめき、どこか焦げたような匂いが漂う。


 ユウトは落ちていた太い枝を拾い、杖代わりに握りしめる。

 戦うためではない。逃げる時、転ばないためだ。


 踏みしめる地面から、森の奥で何かが蠢く気配が伝わる。


(怖い……けど)


 ユウトは、前世のことを思い出していた。


 誰も助けてくれなかった日々。

 助けを求める声に気づいても、関わる勇気が出ず、見て見ぬふりをした日々。

 そして、そんな自分を嫌悪し続けた時間。


(今度は……逃げたくない)


「ミナ、ここで待ってろ。危なかったらすぐ村に戻るんだ」


「ユウトさん……」


 ミナの震える声を背に、ユウトはゆっくりと森の奥へ踏み込んだ。


 ◆


 その様子を、神々の部屋では張りつめた空気の中で見つめていた。


「……おいおい」

 同僚神が、水鏡を指さして声を低くする。

「魔物だぞ。しかも近い。スキル無しのままだ」


 水鏡の中では、森の小道に現れた魔物が、ゆっくりとユウトへ向かっていた。

 剣も、魔法もない。

 ただの人間だ。


 だが、壮年の神は腕を組んだまま、微動だにしない。


「——ここが正念場だ」


「正念場って……」

 同僚神は苦笑する。

「戦えない彼が、どう切り抜ける?」


「戦わずともよい」

 神は静かに答えた。


「生き残れば、それでよい。

 彼は“勝つこと”を望まなかった。

 “生きることそのもの”を選んだのだ」


 同僚神は、しばし黙り込む。


 水鏡の中で、ユウトは魔物に背を向け、走り出した。

 地形を使い、森に入り、村の方角へと進路を変える。


「……逃げたな」


「それでよい」

 神の声には、揺らぎがなかった。


「力を持たぬ者の選択は、常に現実的だ。

 無謀よりも、臆病よりも——

 “判断”こそが、生存に最も近い」


 同僚神は小さく息を吐く。


「なるほどな……。

 勇者なら斬っていた。

 だが彼は、世界と距離を測った」


 魔物はやがて追撃を諦め、森の奥へと消えていった。

 ユウトは、倒れ込むようにして息を整えている。


「転生とは、力を授けることだけではない」

 壮年の神は、静かに言った。


「“力を持たぬ者が、どう選ぶか”を見届けることもまた、

 我らの役目なのだ」


 水鏡には、恐怖に震えながらも生き延びた一人の人間が映っていた。


 その姿を、二柱の神は、黙って見守り続けていた。


 ◆


 森の奥へと進むと、血のにおいが漂っていた。


 木にもたれ、ミナの父が倒れていた。

 意識はあるが、足を噛まれ、ひどく血が流れている。


「よかった……人が来てくれた……」


「今、助けます」


 ユウトは肩を貸しながら周囲を見回した。


 ——ガサリ。


 茂みから姿を現したのは、二つの黄色い瞳。

 牙をむき出した狼型の魔物、スモークウルフ。


 ユウトの手は震えた。

 枝を握る力が弱くなる。


 スキルも、武器も、魔法もない。

 どうやって勝てばいい?


 ——だが勝つ必要はない。


 ユウトは深く息を吸った。


(逃げればいい……逃げながら助ければいい。俺にできることは……それだけだ)


「立てますか? 走れます?」


「む、無理だ……」


 ユウトは覚悟を決めた。


「じゃあ、俺が運ぶ。絶対に村まで連れていく」


 決して勇者ではない。

 でも、一人の青年は——ただ誰かを助けたいと願い、恐怖の中で一歩を踏み出した。


 魔物の唸り声が響き、ユウトの心臓もまた強く脈打つ。


 静かに積み重ねてきた日々が、今まさに試されようとしていた——。


 ユウトは震える腕でミナの父を支え、森の奥から走り出した。


 背後ではスモークウルフが土を蹴り、低く唸り声を響かせて追ってくる。

 ユウトは武器も持っていない。戦うためではなく、生き延びるために走るしかなかった。


「だ、大丈夫か……ユウトくん……!」


「喋らないで……息を……整えてください……!」


 息が切れる。

 足は重い。

 それでも走った。


 ——前世の自分なら、きっと逃げていた。

 ——でも今は、助けを求める声の前から逃げたくない。


「ミナの……お父さんなんだ……絶対……助ける……」


 自分でも驚くほどの言葉が口から溢れる。


 ◆


 村が見えた——その瞬間。


「ユウトさん!!」


 ミナが村人を連れて飛び出してきた。

 弓を構えた若者たち、斧を握る男たちが後ろに並ぶ。


「来い!! 魔物を撃退するぞ!」


 村人たちが一斉に構えた時、スモークウルフは唸り声をあげ、逃げるように森の奥へと姿を消した。


 ユウトはその場に崩れ落ちる。


「……助かった……」


 ミナは泣きそうな顔でユウトを抱きしめた。


「ありがとう……! 本当に……ありがとう……!」


 ユウトはただ、苦笑いするだけだった。


「俺は……何もできなかった。ただ……走っただけだよ」


「ううん! あなたが走ってくれたから……お父さんは助かったの!」


 ミナは涙を拭きながら言った。


「スキルがなくても……魔法がなくても……ユウトさんは、私たちを救ってくれたんだよ」


 その言葉に、ユウトは初めて胸の奥が熱くなるのを感じた。


 “何も持たない転生者”

 “ただの日常を選んだ男”


 だがその手は、確かに誰かを救っていた。


 ◆


 その様子を、神々の部屋では静かに見届けていた。


 水鏡の向こうで、ユウトは息を整え、ゆっくりと立ち上がっている。

 生きている。ただそれだけの事実が、確かにそこにあった。


 同僚神はコーヒーを一口啜り、肩の力を抜いた。


「……ふう。ひとまずは、切り抜けたな」


「うむ」

 壮年の神は、満足とも失望ともつかぬ表情で頷いた。


「力を持たぬがゆえに、彼は生を軽んじなかった。

 それが、今日の選択を導いた」


 同僚神は水鏡を指で軽く叩く。


「スキルなし、加護なし。

 それでも生き延びるやつは生き延びる。

 むしろ、力がある連中の方が派手に散りがちだ」


「《力に縛られぬ者》だからな」

 神は静かに言った。


「勇者の使命も、魔王討伐の宿命も背負わぬ。

 己の命の重さを、他と比べずに量れる」


 水鏡の中で、ユウトは村へと歩き出していく。

 誰に褒められるでもなく、誰に命じられるでもなく。


「……いい顔をしている」

 同僚神が、ふっと笑った。


「英雄じゃない。

 けど、ああいうのが一番、長生きする」


 壮年の神は、静かに言葉を締めくくる。


「彼の物語は、誰にも期待されぬがゆえに、終わりを急がぬ。

 ——普通に、穏やかに、生きるための物語だ」


 水鏡は揺らぎ、やがて次の魂を映す準備を始めていた。

 神々の部屋には、静かな時間だけが流れていた。


 ◆


 その後、ユウトは村の一員として受け入れられ、村人たちの信頼を確かなものにした。


 特別な力はない。

 奇跡も起こさない。


 それでも——


 小さな行いの積み重ねが、村の未来を変えていく。


 今日もユウトは、村人たちと同じように、汗を流して働いていた。


 誰でもないただの青年が、

 誰かにとっての“救い”になることもある。


 静かで、ささやかで、けれど確かな物語が、彼の周りにゆっくりと紡がれ続けていくのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ