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Ⅱ-7

 寝支度を整えてからも、話は続いていた。

「サカナの生い立ちファイルはけっきょく『オフィス・フィッシュ』に就職するところまでしかないね。アルバムもその先はいきなり『結婚』だし、美邦君の思い出も大学時代まで。高校時代が一番充実しているよね。その後は、まあ履歴書程度ってくらいよね。履歴書ならミクニ君、経営者だったんだから、社員のあんたの履歴書見ればわかるし…。エピソードもぐんと減るよね。まだ続きがあるのかな」

 言いながら康子が大きな欠伸をした。

「もしかして、サカナ本人を手に入れて、ファイルを作る必要がなくなったのかな…。目的を射止めたってことなのかな」

「考えられない…」

 佐香那は、ごろりと布団に横になった。

「もう、ファイルはうんざり」

「ね。サカナが結婚決まったときに話してくれたよね。ほとんど、ミクニ君のところに押し掛ける感じで結婚することになったって」

「そう思ってたんだけど…」

「ね。ミクニ君のオフィスに勤めたのって、派遣の仕事だよね。それ、もしかして、偶然じゃあないんじゃないの?」

「うーん…。派遣の会社に登録してすぐに言われた仕事だったのよ。つまり最初で最後の仕事になったわけ…。タイミングはバッチリすぎるけど…」

「ねえ…、『オフィス・フィッシュ』って…。それ、やっぱりミクニ君が仕込んであったんじゃあないの? 魚つながりって…、それでサカナの…、気を引こうと…。もしかしたら自由が丘だってそれで選んで住んでいたのかもよ…。だけど…、それだけで結婚どうこうってことまで発展するとは限らないよね…」

 康子の声が、くぐもって聞こえた。康子は眠くなってきたらしくて、半分眠りの世界に踏み込んでいながら言葉を探しているようだった。

「それが…」

 佐香那の声が震えた。佐香那は続けて康子に言いたい事があったのだが、身体の芯から冷えてくるような寒気で、唇がガタガタと震えた。美邦と面接した時の言葉が耳に蘇る。

『びっくりしました。倉木さんのこの履歴書にある行田法律事務所ね。ここ、ぼくは著作権のことで何回かお世話になっているんですよ。訴訟があって…』

 それは、佐香那が二番目に勤めた会社の名前だった。

「ね、ヤスコ…」

 佐香那はまだ続けて話そうとしていたのだが、康子の寝息が耳に入った。

「ね、ヤスコ…」

 佐香那はもう一度康子に声をかけた。

 康子がぐるりと寝返りを打って、佐香那に背を向けた。

 佐香那の方は目が冴えてしまって、眠れなかった。

 派遣会社に登録したその数日後に上司の女性と向かい合って話したことがくっきりと思い出された。

「オフィス・フィッシュという会社なんですけど、オーナーは三野さんとおっしゃって、独立して一年。一人でやってらっしゃる方なの。ゲームのストーリーやソフトを作っている会社で、その方面では名前のある方らしいわ。忙しい時もあるので事務的な仕事をやってくれる人が欲しいということなの。一般事務ね…。電話番とかから…、社長のスケジュール管理のような…、まあ、秘書というほど大げさじゃないけど、連絡係といった仕事も含まれるわね。全く関係のない会社にいた人よりは、電気関係の会社で勤めていた経験がある方がいい、とおっしゃるから、あなた、ぴったりなんじゃあないかしら」

 「電気関係?」と、佐香那は今ごろになって思った。あの日、特に疑問に感じはしなかったけれど、電気会社とゲームのソフト会社と関係があるというのは…。ゲーム機が電気製品と言えなくはないが…。ちょっと変な気もした。だが今までは気がつかなかった。

確か、佐香那は社長、つまり美邦の年齢を聞いた。

「ええと…、あら、はっきりした年齢はわからないわ。でも、いわゆるベンチャー企業だから…、ずいぶんお若い方だったわ。二十代後半から三十代の始めってところかしら。穏和な方よ。その前は大手のゲーム会社に勤めてらして、いくつもヒットがあったそうよ」

 上司の声が頭の中に蘇る。

 その話が午前中にあって、その日の午後、佐香那はオフィス・フィッシュに向かったのだ。

 どんどん冴え渡る頭。今、佐香那は学芸大駅にあったマンションの一室、オフィス・フィッシュの扉をまざまざと思い出していた。 そのマンションは六階建てで住宅用に建てられたものだったが、一階から三階にちらほらとオフィスらしい名前が見つかる。オフィス・フィッシュは三階にあり東側の一番奥の部屋だった。

 扉を開けると、厚い曇りガラスに波模様の濃淡のある衝立があり、その印象は悪くなかった。

 その後ろは簡単な応接ブースになっていて、三人掛けのソファとその対になった一人がけのソファが二つ、向かい合わせに置いてあった。それは、深い水色で、佐香那の好きな色だった。そして、オフィス全体が、淡いブルーで統一されていた。

 美邦が笑って、佐香那をソファへと促した。

 まず初めの印象は「太ってる! でも悪人じゃあなさそうか」というもの。一通り、待遇などを話すうちに、佐香那は「ここならいいかな。従業員はあたし一人だけだし…。社長は、デブだけど、感じはいいし」と思っていた。

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