Ⅱ-28
「ええ、ええ。そう思いますよ。実はね、トオノさんいたでしょ。仲人なさった…。覚えてますよね。あの人おれの大学の先輩なんです。式ではミノの大学時代の先輩ってなってましたよね。まあ、ミノもずっとこの会社でバイトしてたし、トオノさんはオフィス立ち上げの頃のメンバーなんでね、大きな意味では先輩なんですけど…。ミノは大学には行ってません。そこらへん、まあ知ってたことだけど、奥さんにわざわざ言うことでもないし、黙ってて…。
あいつは、ずっとバイトしてて、その頃からかなり才能あったんで、特別報酬ももらってたし…、ここに移る前の前、この会社、アパートの部屋でやってたんですけどね、ミノはほとんどそこで暮らしてました。今でもおれなんかそうですけどね。会社が家みたいになっちゃって…。ミノはその後、ここでバイトしながら電子工学関係の各種学校に二年くらい行ったんです」
「そうなんですか…」
「だから、大学の友達って来てた人何人かいましたけど、あれ、その各種学校の友達じゃないかと思いますよ。おれらの大学の友達じゃあないですから」
「そんな…」
「そういうこととか、とにかく秘密の多い奴でした。ま、うちらみんな個人主義だし、お互い詮索しないし、プライベートのことあんまり話す方じゃないですけど。だいいち、細かい履歴なんかどうでもいいことでしょ。その中でもミノは、同僚と飲みにも行かないし、遊ばないし…。結婚したって聞いて、耳疑いましたもん。ま、いろいろあった…、ってことなんじゃないですか。人に言いたくないこと」
佐香那は悲しくなってきた。
「あ、奥さん。奥さんのこと、愛してた。それはホントですよ。それはわかりました。ずっと思ってた人と一緒になれた…、そんなことを結婚前にポツンと言ってました」
「はあ」
そんな言葉もなんだか空しくひびいた。
「それにね。独立して結婚してからの方が明るくなって、話すようにもなってた。おれ、意外でしたもん。こいつも、普通の幸せをけっこう、願ってたんだなって、しみじみしましたもん。マジ、うらやましかったですよ。あいつ笑顔かわいいっしょ。あれだってね、そんなにニコニコしてたのって、結婚してからですよ」
「それならなぜ?」と佐香那は再び思った。が、それは声には出せなかった。
家に帰ると十一時を回っていた。部屋のドアは重く。一人で暮らすには広すぎる、佐香那と改めて思った。
康子のケイタイに電話を入れてみた。
「なに? どうした?」
「ね、また近いうちに少しこっちに来て欲しいのよ。話すこといっぱいあるの」
「まさかー! 今日?」
「うーん、明日の会社の帰りでもいいし…」
「ね、またミクニ君のことなの?」
「うん」
「ね、サカナ。あんたにはわからないと思うけど…」
「え?」
「正直、あたし、うんざりよ。ミクニ君のことだったら」
「…」
「そりゃ、気の毒だよ。可哀想だよ。一人残されたサカナのこと、心配してるよ…。葬式後、沈んでるみたいだから、どうにかしたくて訪ねて行った。それはホントよ。でもね…、いいかげんもう、サカナ、サカナっていう世界うんざりなのよ」
「ヤスコ、飲んでるの?」
「ええ、ええ。飲んでますよ。相手は男よ! でもなーんにも間違いは起こらない、会社の同僚よ」
「じゃ、また改めて電話するよ…」
「だ、か、ら! ミクニ君のことだったら、もうやめよ! もう終わったんだし。あんたみたいに男に思われる女なんて、そうそう世界に存在しないんだよ! わかってるの!? 家もある、金もある。美貌もあり、頭もそこそこいい! そりゃ、あんたはいつだって主役! わかっちゃいるけど、ときどきみじめな気分になるのよ!」
支離滅裂な康子の話を上の空で聞きながら、佐香那は自分の目の前で重い扉がどさっと音を立てて閉められるのを感じた。
受話器を置いてからしばらく、無力感に襲われた。
佐香那は半身を起こすとぼんやりとお腹をさすった。だんだん出てきている。そろそろ、どうにかしなくては…。
佐香那は顔を上げた。とにかく気分転換をしよう。
佐香那はシャワーを浴び、自分を取り巻く無力感を洗い流した。洗い立てのパジャマを出し、身につけた。
寝室の扉を開けると「ミクニ?」と呼びかけてみる。この間の白昼夢のような美邦でもいい、今、彼がいてくれたらどんなにいいだろうと思った。そう思うと、涙があふれてきた。
美邦が亡くなって以来、本人の死を悲しんで流した初めての涙だった。
翌日の朝の目覚めはさわやかだった。
佐香那はマンションを引き払うことに決めていた。美邦の部屋の物をとにかく、全部整理してしまおうと思った。机という机の引き出し、棚という棚から全部のもの。
いっぺんにすべてを片づけるのは到底無理そうだ。早くもため息がもれる。それをぐっと押さえ、とりあえず段ボールを用意した。そして美邦の品物をそれに詰め始めた。
何も考えたくないのに、音もないその部屋で一人で作業しているとここ数日のいろいろなことが頭を過ぎった。それがやけに鮮やかに映像となってよみがえり…、ふと頭に引っかかった。




