Ⅱ-23
「ミクニが北海道を出たのは、いつ頃なんですか?」
「高校を卒業して、すぐです。ま、家出って言ったらいいのかな」
「じゃあ、高校の三年間は北海道で過ごしたんですね?」
「はあ、そのはずですが」
佐香那は、アルバムと一緒に、美邦のファイルも持って出てきていた。それを取り出し、進藤に見せた。
「高校を卒業して、大学時代にこちらに来たとミクニは言っていたんですけど…、書いてあることを見るとちょっと違うんです」
「塾? いやあ、ぜんぜんわかりません。塾には行ってないですよ。
ミクニは。とにかくずっと部屋にこもって勉強する奴でしたから、成
績はずっと良かったし…」
「あの…、ミクニの両親が事故で亡くなって、進藤さんが引き取られた…、そこまでは合ってますよね?」
「はい。小学校五年の時でした。でも、もともと父親はもういなかったんです。片親でして…、北海道に来るまでは母方の育った田舎…、山梨でした」
「どういういきさつで、お引き取りに…」
「あの事故でしょ。近くに住んでいてもいいことないってことになって…、こいつの妹が心配してましてね…。ミノの方の親戚は親身になって考えてないって。で、家は子供もなかったし、これもなんかのご縁かと思って、うちに来てもらいました」
澄子が隣から口をはさんだ。
「私の妹がすごく世話やきなんです。ミクニ君のお母さんの弟と結婚したわけですけど…。ミノ家の人は冷たい…って。ミクニ君はたった一人の生き残りなのに、まるで厄介者みたいだって」
「事故は…、どんなだったんですか?」
「まあ、不注意ですよ」
と進藤が言い、それを澄子が補足した。
「ミクニ君の下にも二人女の子がいて…。母親は働いていたし…、もともと結婚してはいなかったみたいで…、妹は前からかわいそうだって言ってたんです。実の娘なんだから孫も一緒に父母の方で暮らすとかすればいいのにって…。まあそうすれば、妹はそのままミノの家に入らなくてもいいかってことはあったと思うんですけども」
「不注意って?」
「はあ。火の不始末っていうんですか?」
「え?」
「ええ。寝煙草による火事ですね…。母親の…」
火事! その言葉が佐香那の頭に浮かび、胸をいきなり突き刺した。動悸が激しくなり、目の前がくらくらした。佐香那は思わず顔を手で覆い、口を押さえた。
「奇遇ですなあ…、ミクニ自身も結局火事で亡くなるなんて…」
進藤の声がねっとりと耳の中にこびりついた。気持ちが悪くなり、吐きたくなった。
「あ? 奥さん…、大丈夫ですか?」
進藤はたじろぎ、澄子はおろおろした。
佐香那は水のコップをとり、震える手でささえ、一口水を口に含んだ。
「すみません…」
佐香那は席を外し、化粧室を捜した。その喫茶室にはなく、ショッピングセンター二階の売り場の奥にあった。佐香那はそこに走り込み便器の中に一気に戻し…、息を整えた。
今朝の夢の中で微笑んでいた美邦の顔が浮かんだ。
『言っておかなくちゃならないことが、いっぱいあるんだよ。ぼく、おじさんがいるって言ってたけど…、あのおじさんは…』
生きていた頃の美邦は何も言わずにいつも微笑んでいた。いつだって佐香那の方が美邦に何かを訴え、それをすべて吸収してくれたのだ。佐香那は改めて、美邦の存在が大きかったことを悟った。そして、美邦については何一つ知らなかったこと。今までは知らなくても気にもならなかったことも。
美邦との結婚生活では、佐香那はいつも主役であり、美邦は常に脇役でその場面をいつも完璧に整えていたのだ。
ゆっくりと胸をさすり、佐香那は背筋を伸ばした。今、気を取り直して聞いてしまおう。
鏡に向かった佐香那の顔には血の気が無く、眉毛のあたりがこりこりに固まってしまったように、歪んだしかめ面をしていた。佐香那は両手に水を受けると、顔を浸し、もう一度ゆっくりと深呼吸した。
トイレから出、喫茶室に戻ると、進藤夫妻が心配そうにこちらに顔を向けていた。いかにも善良そうな静かな人たち…。佐香那はふっと空気が和らぐのを感じ、席に座った。
「大丈夫ですか?」
進藤が聞き、
「はい、すみません。昨日から具合が悪くて寝込んでいたものですから…」
佐香那はハンカチで口を覆いながら、言葉を選んで話した。
「やっぱり、ミクニ君、なにも話していなかったんですね…」
「あたしも、ぜんぜん聞かなかったんです。事故ということで、何かそれ以上聞いてはいけないような感じもあったし、話したくないだろうとも思ったし。あたしは勝手に交通事故だろうと思いこんでいました。とにかくお恥ずかしいんですが…、自分のことを話すばっかりで、彼のことは何も聞いていないんです」
「私らも、うんと詳しいことはわからないんですけど、ミクニは一人で這い出たんですよ。火の中から。恐ろしい経験だったと思います。ところどころ記憶が飛んでいるようなそんなところがありました」
「それに…、そこには触れないようにもしてました。だって、まだ小学生でしたしね。いずれ大人になって、ミクニ君が話せるときに話せばいいか…、って思ってたし」




