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Ⅱ-1

 トーストにバターを塗り、レトルトのコーンスープを機械的に口に運びながら、三野佐香那はぼんやりしていた。

「とりあえず、これで朝食は終わり…」

 そう口に出して、壁にかかった時計を見るともう十一時半を回っていた。

「もうお昼か…。ということは、昼ごはんはぬきか…」

 起きたのはずいぶん早かったはずなのに、何をしていたのだろう。

 佐香那はぐっと首を伸ばし、左右に揺らしてみた。

 身体の要が錆びているような感じがする。重たくて、動かすたびにぎしぎしと音を立てる。

 窓の外に目を移す。

 前日は雨だったのに、うってかわって典型的な五月晴れ。

「次はここを片づけて、久しぶりに買い物にでも出るか…」

 わざと口に出して言ってみる。

冷蔵庫の中はほとんど空っぽだった。でも、出かけてみても何を買ったらいいのかわからなくなる。

 佐香那は少し出てきた下腹をさすった。

 来客を告げるチャイムが鳴り、首を傾げながら立ち上がった。

「荷物かな」

 のっそりとキッチンのインターフォンを確認すると、友人の蔵田康子の顔があった。

「ヤスコ!」

「元気?」

 マンションの入り口で、訪問先の部屋の番号を押すと、その部屋のチャイムが鳴る。カメラが捕らえた訪問者の顔をその部屋の住人が確認した上で入り口の扉を開ける。

 はて、約束していただろうか。はっきりしない頭を振りながら、佐香那はドアを開けるボタンを押した。

 やって来た康子は、まず佐香那の頭から足先までを点検した。

「やだ、サカナ、太ったね! 運動不足だよ。ぜったい! でも、ちゃんと食べてるってことよね。それは…少し安心したな」

 そして、佐香那に確認するでもなく、玄関にブーツを脱ぎ捨てると、今度は部屋の中の点検を始めた。

「ふうーん。まあまあきれにしてるじゃない。へえー、陽当たりもいいよね。この部屋…。前来たとき、夜だったからわからなかった…。それにしてもいいよね。自由が丘って…、おいしいものもいっぱいあって!」

 康子はケーキの箱を高く掲げて、佐香那に見せた。

「ほーら、これ食べれば、少し元気になる?」

 佐香那は曖昧な笑顔で答えて、気乗りしないまま電気ポットを確認した。お湯は充分にある。

 居間の端に、小型のモダンな仏壇がある。家具と同じような白木で、開き戸はちょうど目の高さくらい。下は小物入れの引き出しになっている。洋風の部屋に似合った形だ。その上の壁に亡くなった夫、三野美邦の写真が飾ってあった。それは仏壇の開き戸と、ほぼ同じ大きさだった。

 美邦のほっぺたは、ふっくらふくらんでいて、にんまり笑っている。首はほとんど見えなくて、顎が胸に埋まっている。顎の線は首にできたしわと一体になっている。美邦のその顔の下に肥満した体躯が繋がるだろうことは容易に想像できた。

 康子は、その仏壇の棚にケーキの箱を置くと、写真に向かって合掌し、目を閉じた。

 美邦のことはあまりよく知らない。一緒に会う機会は数回あったが、いつも静かに笑っていた。

「もう、いいかげんに、しゃきっとしなさいよ!」

 振り返りながら、康子が言った。

「ミクニ君が亡くなってから、もう二ヶ月たったのよ。いつまで、くすぶってるの?」

「二ヶ月…」

「そうよ!」

「それって、長いのかな、短いのかな…」

「うーん」

 康子は、美邦の写真に目を戻し、もう一度じっくりと美邦の顔を見つめた。

「ね、この写真大きすぎるよ。写真を飾るにしても…。もっと小さいのにして、仏壇の中に収まるようにしたら?」

「そうね…。小さい写真もあるのよ…。そこに…」

「ね、お昼に、駅前まで出てみて何か食べようよ。外の空気を吸えば少しは気分転換になるわよ」

「あ、ごめん。今食べたばっかり。今日はお昼も一緒だな…、って考えてたとこ」

「じゃあ、ちょっと散歩でもしようよ。あたし、コンビニでサンドイッチか弁当でも買って、公園で食べてもいいや」

「そうね…」

 佐香那の乗らない返事に、康子はいらついてきていた。

「外に出たくないの?」

「う~ん、あんまり…」

「いいわ。それじゃとにかく、ケーキ食べよう。今日は、お昼はケーキでいいや」

 康子はふてくされたように言ったが、佐香那はそれでもぼんやりしていて、「そう…」と、答えたきりだった。

「ね、大丈夫なの?」

 康子の声がきっかけでふっと、佐香那の頭の一部が活動した。何かにつまずくたびにいつでも康子に電話して、聞いてもらい、来てもらい、励ましてもらったことなどが、断片的に浮かんでは消えた。

「ごめん」

 と、佐香那は目を伏せた。

「しょうがないか…。まだ、時間が必要なのねきっと。あたしにとってはもう二ヶ月でも、サカナにとってはまだ二ヶ月か…。埋葬も済んだのだから、もう落ち着いたのかなって勝手に思って…。あたしが一方的にまくしたててもしょうがないよね。余計なお世話ってやつよね。なんか、あたしも一緒に気落ちしそうだから、今日は帰るわ」

「あ、待って。マジ、ごめん。なんか、ぼんやりしちゃって、自分でもどうしていいかわからないの」

 佐香那は泣き出した。それは悲しみを絞り出すような泣き方で、どうしていいか康子はわからなくなった。

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