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Ⅱ-15

「お疲れになっていたんではないですか? 机に突っ伏して眠っておられたというのが、一番考えられることです。火事に気がつかないくらい、熟睡しておられたと…」

 その時、すぐに反論はしなかったけれど、なんだか納得いかないもどかしさがあった。オフィスの机の前の椅子で爆睡していて、火事にも気づかなかった? まだ九時前だったのに? 逃げる時間は充分あったのに? そんなことがあるだろうか。

 だが、美邦が亡くなったことは事実だった。

 美邦が亡くなって、数ヶ月。悲しい気持ちより「どうして?」という気持ちの方が強く、それが佐香那をやる気のない状態にさせている一因でもあった。

 どうして逃げなかったのか。あるいは、逃げられなかったのか。

 もし、康子が言うように佐香那を待ち焦がれてやっと結婚したのだったら、なぜ這い出してでも佐香那の元に帰ってこなかったのか。

 そのもどかしさは、佐香那が美邦自身に感じていたもどかしさと、どこか似ていた。


 佐香那はそのもどかしさを埋めたくて、美邦のファイルを読むことに没頭した。

 美邦のファイルに書かれたことと、佐香那の記憶とが重なる部分もかなりあった。

 高校時代、男子校の生徒が自分の後ろをなんとなく着いて来ている、と思っていたことは何回かあった。ファイルには康子と学校の帰りに寄った、市ヶ谷のマクドナルドも出てくる。

『サカナちゃんの後をつけて、マクドナルドに入った。サカナちゃんはマックシェークのストロベリーをたのんだ。もちろん、ぼくもマネしてそれをたのんだ。同じ時間に同じ物を飲む。ささやかなときめき。何か始まるといいけどな』

 そして、郵便受けに入っていた、赤いバラの花。

 高校二年生の九月、佐香那の誕生日。学校から帰ってきた佐香那は、郵便受けにはさんであるバラの花を見つけた。ビロードのような真紅色で、一輪だけ。『TO SAKANA』とタイプで打った、白いカードがぶら下がっていた。

 そのころ、佐香那は日ゼミという進学塾に通っていた。そこで知り合った同級生の戸村衛二とつき合い始めていたので、すぐに衛二の顔が思い浮かんだ。

 その日、日ゼミに行った佐香那は衛二を捜し、さっそくお礼を言った。

「お花、ありがと」

 衛二はどぎまぎして「え?」と聞き返した。それは、衛二の照れだと思い、そのまま疑問にも思わなかった。

『サカナちゃんの誕生日にバラの花を買った。ちょっと気どりすぎ? サカナちゃんの家の郵便受けにバラの花を差し込んでおいたけど、人に見つからないかドキドキだった。いつもドキドキだ。けど、どうも、サカナちゃんは、別のヤツからの贈り物と思ったらしい。バカくせー。俺って、いつもそういう損な役回りなんだ』

 と、ファイルには書いてある。

「すごくうれしかった」という佐香那に「あ、ああ」と答えた衛二。今思えばあいまいな答えだ。それきりそのことには触れなかったし、その後衛二とは違う大学に進学し、そのままつき合いも終わってしまった。

佐香那が高校三年になってからは、日記の書き方が「サカナちゃん」からときどき「佐香那」となることもあった。

『佐香那は三年になり、相変わらず日ゼミに通っている。おれも浪人をいいことに日ゼミに変えることにした。佐香那と同じ学校に通えるだろうか』

 とまで書いてある。佐香那は、美邦が大学を浪人したのかどうかさえ知らなかった。

 あの花が美邦からのものだったなんて…。それに自分と同じ塾に変えたなんて…、佐香那はまたぞっと背筋が寒くなるのを感じた。

 その後、美邦は大学生で『プラネット・ジェダイ』というゲーム会社にアルバイトとして入って、卒業後もこの会社にそのまま勤めたようだ。それは、結婚式に美邦の元同僚として祝辞を述べた岡村という男が言っていた。美邦はそこで中世時代をモチーフにしたロールプレイングゲームを作り、大ヒット。プラネット・ジェダイでその後も数々のゲームを当てている。

 佐香那は高校卒業後桜女子大に進み、卒業後は石井電気という会社の総務課に配属され、四年勤め、一年のブランクのあと、鶴藤と知り合った行田法律事務所に三年勤めてから、派遣会社に登録をしたのだ。

 女子大以降のファイルはそれほど詳しくもなく、写真も少ないが、ちゃんと勤めた会社、転職などは押さえてあった。康子が言うように「履歴書程度」の情報量ではあったが、美邦が行田法律事務所のクライアントだったのなら、その頃をねらって派遣会社にコンタクトすることは可能だったかもしれない。

 美邦が亡くなった時、葬式は家族だけでやるということにしたが、オフィス・ジェダイにだけは訃報を告げた。他には知らせる所がなかったからだ。


 考えにふけりまたよく眠れない一夜になってしまった。明け方ぐうっと眠り、目覚ましのアラームで目が覚めた。ちゃんと区切りのある一日を送るために朝はちゃんと起きることにしたのだ。

 一週間がまた始まる。

 ここで眠ってしまうと結局遅い朝ご飯を食べることとなり、そのままずるずると一日過ごし、そうやって一週間無駄に過ごしてしまいそうだった。佐香那はしゃきっと起き出した。勢いよくカーテンを開けると、掃除をして、美邦の仏壇に紅茶を淹れて置いた。

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