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黒い神  作者: 小春日和
死者の想念
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凶神(まがつかみ)

 ……困ったなあ……。

 社務所での説教のあと、本殿の前に連れていかれた晴彦は、そこで長い祓いの儀を受ける羽目になっていた。

 急遽に設(しつらえ)られたやつはしの上には、本格的にお神酒や神饌(しんせん)が並ぶ。白小袖の上に仰々しく浄衣(じょうえ)をまとった宮司(ぐうじ)の祝詞(のりと)に、早く終わってほしいとはまさか言えず、成り行き上、恐らく30分以上の時間を、ここで費やしてしまっている。

 持衰さん、どこに行ってしまったんやろ……。

 祓いの最中、神の降りているあいだは顔を上げてはならないという決まりがある。境内にいると思われる持衰を目で探すこともできず、少年は、悶々とした心中を殊勝な態度の内に隠していた。

 1人で動きまわらんでくれるといいんやけど。でも……ここにいるんやったら、とっくに騒ぎになってると思うしな……。

 お焚(た)き上げの準備に活気づいている周囲の声が、先ほどから晴彦の耳に届いている。持衰がまだ元の位置にいるとすれば、見つかって、自分と同じく詰問を受けているだろう。その類の騒動が起きないというのが、少年にとっては大きな懸念となっていた。

 隠れるところのない狭い境内で姿を失っている古代の巫女。もし、持衰が持ち前の能力で、この稲荷神社に張られた結界を嗅ぎつけたとしたら、崇志の救出のために、恐れげもなく、荒魂の支配エリア内に身を投じてしまうかもしれない。

 持衰に蛇神の力を使わせたくない晴彦は、兄のことにのみ心を砕く持衰の行動力が最悪の結果を生みだすのではないか、と、盛んに想像してしまう。


 うなだれる少年の左手、先ほどから控えていたもう1人の白小袖の神職が、祝詞の切れめで、ついっと宮司に近づいた。

「少し休まれませんか?」

まだ若い声の彼は、宮司に茶を出したようだった。それから、顔を上げるタイミングを図っていた晴彦にも、

「どうぞ」

と湯のみを差しだす。

 まだ熱の冷めきっていないそれを受け取った少年は、恐る恐る頭を上げた。目の前の、崇志よりはだいぶ年上だが、神職としては異例に思えるほど若い相手は、かすかな苦笑を浮かべながら小声で囁きかけてくる。

「こういう悪戯は思った以上に大事になるだろ? 祟りっていうのは怖いものだから、真面目にお祓いを受けておいたほうがいいよ」

どうやら、焦れていた晴彦の本心は見抜かれていたようだ。

「悪戯とは違います」

けれど、思わず反論してしまった少年。

 おそらく宮司の補佐としてこの場にいるのだろう、若い神職は、今度は年長者としての穏やかな視線を向ける。

「信心っていうのは軽い気持ちで考えちゃ駄目だよ。君がしたことは、『御霊(ごりょう)』をないがしろにしただけでなく、氏子さんたちを冒涜(ぼうとく)したことにもなるんだから」

静かな説得に、でも晴彦は、あえて細かい矛盾を追及した。

「……ここに祭られてるのは、『ご尊体(そんたい)』、やないんですか?」

神職の青年が、一瞬、鼻白む。


 この稲荷の本殿に祭られていたのは荼枳尼天(だきにてん)の真言札だった。真言というのは仏教で使われる祈りの言葉だ。

 つまり、稲荷神社の本神が『仏』であることは、ここを管理する神職ならば当然知っているべきことなのだ。それなのに、この若い宮司補佐は、仏を指す『ご尊体』という敬称を使わず、『御霊』という言い方をしてきた。


「御霊いうんは、人の怨霊、つまり荒魂のことですよね? この稲荷さんは、もしかしたら、本当は荼枳尼天を祭ってるんやなくて、他の怨霊をお祀りしてるんと違います?」

質問を重ねる少年に、青年は、

「……妙なことに詳しいね」

と困った顔をした。

 さらに晴彦は畳みかける。

「稲荷さんいうんは、もともと神さんと仏さんが混在しやすい神社でしょ。荼枳尼天と御饌津神(ミケツカミ)。この本殿にいるのが荼枳尼天だったんなら、他の場所にミケツカミをお祭りしてる可能性はあると思ってたんです。だけどミケツカミは生粋の神さんや。荒魂とは違う」


 ミケツカミは古くから信仰されてきた農耕神だ。古事記や日本書紀といった記紀神話では、スサノオなどの有名な神と絡めて誕生した、由緒正しい神格を備えている。

 そのミケツカミに与えられる称号が、恨みを抱いて亡くなった怨霊に対して使われる『御霊』という言葉になるわけはない。


 晴彦の追及は続く。

「ここの稲荷さんは祟りました。オレ、それを、荼枳尼天の操作する狐憑きだと思ったんです。だから荼枳尼天の真言札を破って、狐さんにおとなしくしてもらおうと思ったん」


 いつのまにか、すぐそばで話を聞いていた宮司だけでなく、離れて作業をしていた老人たちも集まってきていた。

 多くの視線を集めている少年に、白小袖の青年は、フォローするように優しく問いかける。

「……君の言う『祟った』っていうのはどういう現象を言ってるんだい? ここの御霊は、もう何百年も前の御魂(みたま)だ。いまも手厚く信仰してるだろ? 僕には祟るとは思えないんだけど」

管理する神社の悪評にも配慮したのだろう。やんわりと否定する彼に、晴彦は。

 でも……。

「オレ、石積さんっていう古くから住んでみえる人に、この土地の因縁を教えてもらいました。もし、この稲荷さんがその因縁と関係があったとしたら、祟っても不思議はないと思います」

……譲らなかった。


※『やつはし』とは神への供物や縁起物を並べるためのテーブルのことです。脚が8本あるのでこう呼ばれています。『お神酒』は神に捧げる酒、『神饌』は神に奉じる食べ物のことです。

※『浄衣』とは特に清浄を保つ儀式に用いられる神職の衣装です。白の狩衣(かりぎぬ)に白の袴、烏帽子という出で立ちになります。

※『祝詞』は神に向ける祈りの言葉です。『祝い』と書きますが、これは『神の祝福(助力)を受けるための言葉』という意味で、祓えの文言も含まれます。


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