表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒い神  作者: 小春日和
死者の想念
88/104

漆黒 2

 カガ神との融合を深くしようと自らの肉体を痛めつける持衰に、美耶は何度、「もうやだ!あたしには神様と一緒になるなんて無理!」と訴えただろうか。そのたびに、持衰は「お前は出てくるな!」と厳しい言葉を投げつけた。

 望まない人格に支配されることを絶望して、自ら生命を絶とうとすれば、理解できない周囲からは病院行きを強要された。

 何も言えない。何も言っちゃいけない。

 自分を抑えて、これ以上の失望を重ねないようにと、日々、構えつづけた。

 いつかは死ねるから。今日と明日と明後日が我慢しかない日だったとしても、いつかは楽になれるから。

 すべてから開放される日を心待ちに、我欲を消して、密やかに生きることを己に課した。


 なのに、持衰はその安息さえ奪っていく。


 苦痛と悔しさに溢れてくる涙を止めることができない。なぜ自分がこの世に存在する必要があるのか。早川家には出来のいい兄がいて、美耶の居場所などない。持衰と共有するこの器には、美耶の意志は反映されない。

 ……いいなあ。みんな、楽しそうで……。

 誰も自分の孤独に気づいてくれなかった。すぐそばで羨ましくてしかたがない感情を抱えていたのに、誰もそれを気にかけてくれなかった

 あたし、間違えて生まれちゃったのかな……。

 自分の誕生には喜びがあって、自分の人生には意味があって、自分の終焉には泣いてくれる人がいて。そんな生き方をしたかった少女は、でも。

 理想だったけど叶わないね。

 諦めて、自嘲して。

 また感情を抑えこむために、目を閉じて、嗚咽をこらえた。


 寂しいなあ……。

 大気に寂寥が満ちる。

 こんなにたくさんの人間がいるのに、誰も仲間になってくれないんだ……。

 耳の奥に嘆きが響く。

 最初は自分の感情かと、美耶は思った。ちょうどシンクロした想いを抱えていたところだったから。

 でもその悲しみは少女のものではなかった。

 ゆっくりと目を開け、己にかぶさるように伏して慟哭を抑えている青年を、見る。

 ……どうしたんだろう……。

 なぜ彼が泣いているのかがわからない。意味もなく攻撃をしてきた暴漢としては、あまりにも予想外の行動だった。

 わずかに体をずらし、青年の泣き顔に正面から相対する。

 すると、彼は言った。

「ごめんなあ」

ますます混乱した美耶は、反射的に頷きかけてから、

「も、もう……その……痛いことしないでください……」

と消えそうな声で懇願した。


 松原裕貴と名乗った彼は、崇志の高校の同級生だと説明した。

 そして、

「オレ、早川に怪我させて、そのまま放ってきたんだ。早く戻らないと。結構、深い傷だったし」

とつけくわえた。

 未だ整理のつかない美耶は、兄の状況に、再度、パニックを起こす。

「お兄ちゃん、近くにいるんですか? あたし、探してるんだけど見つからなくて……」

「うん……あのさ……」

歯切れの悪い答えを返しながら、裕貴は立ちあがって、後方の藪を指さした。

「あのへんだと思う……」


 『あのへん』とはどういうことだろう?

 ずきずきと体力を蝕む痛みに耐えながら、美耶は裕貴が分ける道なき道に従う。

 なんか……大丈夫かな。どんどん奥に行っちゃうけど……。

 信用の置けない彼に案内を任せる不安に、つい足が止まりがちになる。そのたびに『お兄ちゃんを見つけなきゃ』と気持ちを奮いたたせた。


 考えてみればおかしなことだ。

 崇志は、美耶にとって、早川家の子どもの地位を争う強敵だったはず。しかも、父母からは『お兄ちゃんは可哀想な子だから、誰よりも大事にしてあげなくちゃ』と言われていた。

 お兄ちゃんがいたから、あたし、お父さんとお母さんに愛してもらえなかったんだよね……。

 その結論は()うに出ているはず。それなのに、美耶には兄を排除するという選択肢がない。

 だって……お兄ちゃんが大事にされると嬉しかったんだもん。

 実の親を亡くしていながら、同情を請うこともなく、新しい家族の中で『美耶の兄』としてふるまおうとする崇志に、敬愛の念を抱いていたからだ。


 先を行く裕貴が、前方に視線を向けたまま、ぼそりと呟いた。

「早川はさ……その……オレのことが嫌いだと思うんだ……」

裕貴と兄の関係に、いま1つ理解の及んでいなかった少女は、

「……そうなんですか?」

と素直な返事を返した。

「うん」

裕貴が力のない声で答える。

「オレは早川の仲間になりたかったんだけどね……」

そう言ってうつむく彼を見て、美耶は先刻の彼の慟哭を思いだした。『こんなにたくさんの人間がいるのに、どうして誰も仲間になってくれないんだ』。


 あたしは……仲間……になってもらってたような気がする……。

 過去をふりかえって、美耶は、裕貴と自分との違いを改めて認識した。

 お兄ちゃんは、あたしのために、お坊さんになるのをやめるって言ってくれたし。

 持衰に乗っ取られる直前に兄と交わした約束を回想する。

 お母さんは、持衰があたしを傷つけるって言ったときに止めてくれたし。

 数時間前の階段に繋がれていたときのことを思いだす。

 お父さんは、東海林さんにいじめられていたときに本気で怒ってくれたし。

 1年前の出来事を記憶から引っぱりだす。

 あたし……、誰も信じなかったから寂しかったけど、信じたら、あんまり悲しくないかも……。

 自分を苛んでいたのは自分自身の殻だった、と、少女は気づく。


 前を歩く細身の青年に同じ感覚を持ってもらいたくて、美耶は語った。

「お兄ちゃんは誰かを嫌いになったりする人じゃないですよ。友だちになりたいって松原さんが普通に伝えてくれたら、いいよって言ったと思う」

裕貴は、うつむいたまま、少し歩みを緩めて、

「ああ、そっか」

と同意した。それから、

「オレ、そういうこと、言ったことがなかったよ」

と答えた。


 オレ、早川に見捨てられちゃいけないって、そんなことに必死だったんだな……。

 沈んだ声で己を省みる裕貴に、少女は近づいて、背に手を添える。

 あたしも一緒……。お兄ちゃんに、家を出ていかないで、って素直に言えばよかった……。

 口には出さず、裕貴と思いを共有する。


 人間というのは、ほんの1つ、正答を導きだしただけで、生き方を変えることのできる生き物なのだ。

 人の中に存在する闇と光の本質は、しょせん、どちらか一方に偏ることはない。陥れば立ちなおる。弱れば鍛えられる。

 すべてのものに神が宿ると信じられていた古代では、人も神と同じものだった。荒魂を持てあまして暴れ、(すさ)び、破壊し、悔恨する。そして、和魂(にぎたま)へと昇華し、労り、慈しみ、繋がり、欲した。


 繋がったシルエットの青年と少女に向かって、生ぬるい死霊の風が吹き荒れる。けれど、その干渉は、正常な心をとりもどした2人には届かなかった。

 奥の院の神体がどれほど歯噛みしようと、荒魂のみを持つわけではない人間を操作しつづけることは、不可能なのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ