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黒い神  作者: 小春日和
死者の想念
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漆黒 1

 恐れというのは厄介なものだな……。

 正直、持衰は焦りを覚えていた。稲荷の本体にさえ近づけば、兄を隠しているだろう結界の場所ぐらいは簡単に見当がつくと思っていたからだ。ところが、何度、呼びかけても崇志の気配は反応しない。自分の声が届いていないことは明白だった。

 自身の内包するカガ神の力が、この山中ではほとんど及んでいないことに気づく。

 理由を考えた。

 大地を司る地母神の象徴『蛇神』は、この世のどの神よりも強いはずだ。地に作物を生やし、肉となる獣を繁殖させ、鳴動で人間を一掃し、空の星々までも引き寄せる。

 その蛇神が狐の顔をした荒魂に敵うことができないのは、1つにはカガ神自体の弱体化があるだろう。理由は知らないが、今日になって、守護神の力は急速に衰えている。

 もう1つには持衰自身の抱える問題があった。持衰は美耶という普通の少女の中に転生している。美耶は特に訓練を受けた巫女というわけではない。孤独を嫌い、闇を怖がり、この場においても持衰の足を止めがちだった。

 『ミヤ』の恐怖心というのは、思ったより厄介なものだな……。

 無理やり封じこめている少女の心情を思いながら、古代の鍛えられた魂は、どうにか宥めて本来の力を取りもどす算段に四苦八苦していた。


 強かった獣臭が薄れてきている。だが、それが吉兆ではないことは、持衰も的確に感じとっていた。

 これは死者の体臭か……。

 冷えた室(むろ)に置きざりにされて干からびた食物のような、用をなさない臭いが辺りに充満していく。

 曲がりなりにも神ならば、もっと人間を引きよせる香を放つはず。

 八百万の神々の息吹とともに暮らしてきた古代の巫女には、この神体の醸す矮小な気配のほうが気味悪く感じられた。

 ここに奉じられているのは、神ではなく、死人(しびと)なんだろうか。

 人が人に害をなすときは、理不尽かつ執拗な方法で、少しずつ身を削いでいく。祀られているのが死者の怨霊ならば、実母の人間としての情念にとり憑いて利用したことも納得がいく。


「『タカシ』、どこにいる?」

怨霊にとり殺されそうになっている兄を、早く救いたくて、気が焦った。

 だが逆に、別の人格を有する妹が引きとめる。

 ねえ、境内(した)に戻ろうよ。ここにお兄ちゃんがいるかどうかもわからないんでしょ。独りで探さないで、ハルくんやお父さんたちと一緒に探そ。

 美耶の意識が顔を出すたびに、カガ神の超常力によって浮きあがった己の肉体が不安定に揺らぐ。

「お前は邪魔だ。いまは出てくるな」

足場の悪い冷たい山道に強制的に下ろされた持衰は、いらいらとした口調で美耶を叱りつけた。


 崇志を本気で助けたいと思っているのは、もしかして自分だけなのだろうか。

 気弱な心根に惑わされて捜索を後回しにしようとする美耶や、『持衰さんと美耶ちゃんを優先な』と言いのがれる晴彦の態度には、どうにも歯がゆいものを覚える。

 『おれ』1人ならば、とっくに『タカシ』を見つけだして、この荒魂にも勝っていた!

 半ば憤慨しながら、手近の大樹の幹に手を置き、また身内の蛇神に意識を寄せる。

 ふわりと足が地面から浮いた。

 と同時に、大量の蛇が持衰を包みこんだ。

 その爬虫類の障壁は、突然襲いかかってきた裕貴の攻撃を、すんでのとこで遮った。


「うわっ! なんだこれ?!」

生き物の壁の向こうで、聞きなれない叫び声が上がった。

 持衰自身にも何が起こったのかわからず、反射的に身を覆う蛇の群れを手で払う。

 確保した視界の先には、見知らぬ青年が呆然と立っていた。

 足元に目を転じると、自分を守ってくれた神の化身の無残な姿が散見する。頭を潰された小さな守護神たちは、救いを乞うように、弱々しく持衰の足元に這いあがり、けれど、すぐに力尽きてぼたぼたと落ちていった。

 その肉片を気味悪そうに踏みつぶす青年。


 『タカシ』の気配だ……。

 裕貴の手に握られた金属の棒から、かすかな兄の痕跡を見出した持衰は、

「それ……」

と無警戒に近づこうとした。とたん、『だめ!』と美耶の鋭い制止がかかる。

 本来の肉体の持ち主である美耶の警戒心は、間借りした状態の持衰の比ではない。殺気立った正体のしれない相手を前に、持衰の動きを完全に封じるほどの硬直を見せる。

 落ち着け『ミヤ』。こんなふうではカガ神も喚(よ)べない。

 持衰に呼応する蛇神の護法は、美耶の意識の元では使えない。指1本自由にならない『美耶の恐怖心』という縛めから抜けだそうと焦る巫女。

 その持衰の胃に、先んじて行動した裕貴が、警棒を深く突き入れた。

 悲鳴と詰まった呼気を同時に吐きながら地面に崩れる少女。

 その周囲から、蛇の幻影が消えていく。

 荒い息をくりかえして痙攣する妹が、半ば無意識に呟いたのは、

「お兄ちゃ……」

だった。

 表面に残ったのは、残念ながら、力を持たない美耶のほうだったのだ。


※『冷えた室』とは『氷室(ひむろ)』の意味で使いました。洞窟や地下のように1年を通して気温差がない場所に氷を運びこみ、冷蔵庫代わりにした施設のことです。



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