黒い神の正体 4
ところで、と晴彦は葉月への解説を切りあげて、今度は長老に向き直る。
「なぜ遠く離れた諏訪の神さんを、わざわざ勧請してもらったんですか? あの黒い神は、ここの田の神さんと比べると新しい年代のものだと感じました。つまり、田の神さんと同時期に作った山の神が、もともとあったんですよね? それを黒い神に差し替えた理由は何ですか?」
畳みかけると、老人は心底から感心したような唸り声を上げて、
「あんたは本当に頭がいい」
と褒めてから、古い過去の因縁を語りだした。
時代は戦国期に遡る。織田の天下統一が待たれたころのこと。この小さな集落は戦火に遭うこともなく、安定した米の供給を確約できる、数少ない優良な村であった。
ところが、信長治世末期のこと。イナゴの大群が押し寄せ、3年続けて大不作に見舞われた。豊作の夢に溺れていた集落は、治めていた地主の無策が祟り、飢え、栄養不足による疫病の蔓延、村人同士の小競り合いなどで、多くの人員を失った。
そんな折にやってきた漂泊の僧侶が、この土地に漂う強い穢れを示唆した。それが不幸を重ねている元凶だと、清めなくてはならない、と声高に唱えた。
土地を浄化する目的で集められたのは幼い子どもたちだった。身の穢れのない10歳以下の男女に課せられたのは、田を守る役目を負っていた『カカシ』の身代わりだった。
葉月が頓狂な声を上げる。
「カカシ? 人間がカカシになるってどういうこと?」
俯いて、同じように『カカシになる』意味を考えていた晴彦は、やがて、暗い表情で顔を上げる。
「カカシ、いうんは、カガチ、つまり蛇神の贄にされた、ってことですか?」
老人はゆっくりと首を垂れ、老女は居たたまれないように場を立った。
カカシ、という名前の由来は『カガチ』もしくは『カガ』の古語から来ている。これは蛇という意味だ。大地を這う姿から地母神としての役割を持った蛇は、土のエネルギーを稲という食物に変える存在としても崇められていった。その具現化した姿が田の神であり、さらには、害獣から田を守るカカシとなっていったのである。
幼い子どもをカカシの代わりにする。正直、晴彦にもその意味はよくわからない。ただ、飢饉の中で止むなく行われた儀式が、子どもたちに安らぎを与えたわけはないと思う。蛇神と同一存在であるカカシの身代わりをさせる。それは蛇神と子どもたちを同化させる、という意味にも取れる。単純に考えるなら、子どもたちを毒蛇の巣穴に放りこむような陰惨なことが行われたんだろう。体に蛇神の毒を撒かれた子どもたちが、死という過程を得て、蛇神と一体化する。この贄の儀式が、蛇神に力を与えて、弱った土地の邪気を祓うとされたのではないか。
長老は、あえて冷静な態度を維持しながら、話を進めているようだった。
「田の神も山の神も、もともとは地面の下で土地を支える地の神というものだった。蛇も地面の下で冬ごもりをしたり、穴を掘ったりするだろう? だから、蛇は地の神がこの世に姿を現したものだ、という話を、儂らは子どものころから聞いておった。先祖もきっと同じだっただろう」
沈黙を守る来客と孫娘の前で、老人は、1度、深呼吸をする。そして続けた。
「地面の中には地の神の力が蓄えられていて、それがいい稲を実らせる。不作のときは、地の神の力が足りていないとされて、大地に力を与える」
「……大地に力を与えるってどういうこと? 地面に養分を入れるってこと?」
葉月の口出しは、図らずしも、真実を射たようだ。
「そうだ」
重い口調で肯定した当主は、すぐに囁くような声量に落とした。まるで、座っている床の下に潜む祟り神に聞かれたくないかのように。
「子どもたちは地の神の養分となった」
まだ首をひねる孫娘に、抑揚のない声で補足する。
「首から下を土に埋め、食べ物と飲み物は与える。すると、子どもたちは生きながらにして、地中に住む生き物たちの餌になっていくんだ」
自らの肉体に微生物が集る想像をした葉月は、身震いしながら、鳥肌の立った両腕をさすった。
※贄の儀式についてはフィクションです。