黒い神の正体 5
長老はさらに先を語る。
「だが、残念ながら儀式は失敗だった。翌年も不作は続き、さらには長雨から土砂崩れや浸水の被害が相次いだ。村に留まっていた僧侶が告げるには、集めた子どもの中に穢れた者が混じっていたのではないか、とのことだった。村人たちは子どもを差しだした親を責め、信頼の破綻した村落は壊滅の一途を辿ったようだ」
これが、他国まで行って強力な霊封じの神を求めた理由だよ、と説く当主。
天災という自然現象を、無理矢理、神の衰退とこじつけた、かつての住人たち。そこで行われた理不尽な集団殺害。怨念の棲みつく土地を自ら創りあげた彼らは、より強大な凶神を招くことで、子どもたちの怨霊に対抗しようとした。
原始信仰よりあとに日本に伝来してきた仏教では、守護者たる仏が魔を調伏するという概念が主流である。崇志が稲荷神社で見せたような『帰依の力』、それが仏教でいう退魔だ。しかし、原始信仰では『神の脅威の大きさ』の比較に頼ることがしばしばだった。
もう少し細に入って補完する。神道における考え方では、神と人間は同質のものだった。人の中にある悪と善の心。これを具現化したものが『荒魂』と『和魂』と呼ばれる2つの神となる。
悪と善が1人の精神に同居するように、荒魂と和魂も1個の神に内在する。悪である荒魂が表に出れば、それを鎮めようとする善の和魂も高まる。そうやって個体はバランスを取っていく。
けれど、この世には往々にして、抑えきれない荒魂を量産してしまうケースがある。何も落ち度がないのに生き埋めにされた子どもたちの嘆き。大事な生きがいを犠牲にされた親たちの恨み。そういう負の感情を和魂に変えることは容易ではない。長い年月をかけて慰めていく余裕のない時代では、他所から強圧的な荒魂を引っ張ってきて、強引に封じてしまう手段を取ることも、ままあったのだ。
大量の生贄を出したこの地に、諏訪の祟り神を据えて、仮初の平穏を願った。それは、自分たちの非を認めない人間の愚かしさの象徴的行為ではなかったか。
「現在、モレヤ神まであんなに粗末に扱われているのは、なんででしょうか?」
救世主として招かれた黒い神がおざなりにされている理由を、最後に尋ねる。長老は、ますます声を潜めて答えた。
「あの神体を見れば、興味を持つ者が出るだろう。そしてこの土地の歴史が紐解かれる。儂らの先祖は、自分たちの汚点を隠したかったんだ」
黒曜石の神体を土に埋めて隠蔽した先祖たちは、今度は蛇神の祟りから逃れるために稲荷神を勧請した。江戸末期というから、そう昔のことではない。当初、異国の凶神の存在を抑える目的で、神域の頂上に稲荷神社を建てた彼らは、けれど荒ぶる祟り神に逆襲を受け、わずかの間に一族の数を大きく減らした。
「だから稲荷さんを遷座する必要があったんだよ」
と老人は話した。
「わたしらは、田の神さんを大事にすることでなんとか目をこぼしてもらってきたんだわ」
いつの間にか戻ってきていた老女が、ひっそりと部屋の隅に佇んだまま、そう呟いた。
※神道の考え方として『神と人間は同質のもの』と書きましたが、この概念が明記されたのは近代に入ってからのことです。今回の背景は安土桃山時代ですが、当時もこの手の考え方はあったと推測されるので、断定的な表現にしました。




