蛇神の怒り 4
12月の事件のあと、しばらく入院していた美耶は、少しずつ自分を取り戻していった。海の神に身の安全を必死で祈念する姿を見せたかと思うと、突然、
「お兄ちゃん、もうすぐ学校に行くから勉強を教えて」
と正気に返ったりした。
その時点でまだ戸惑いを見せる両親に不信感を持ちつつあった崇志は、本気で大学進学を止め、地元に就職しながら美耶の治療に付き合う気でいた。母親は渡りに船といった感じで喜んだが、父親は反対した。自分の進路を決めるなら自分の都合で決めろ、と。
悩んだ末に得た相談相手、それが夢璃だった。
「あいつは……まあ言い訳になるけど、話を聞きだすのが上手いんだよ。すごい親近感を与えてくるから……」
苦笑しながら彼女の術中にハマったことを悔いる青年に、晴彦は非難を返さない。
「わかるような気がする」
同意して微笑った。
結局、大学進学だけは果たしておこうと京都に移った兄は、そこで大月諭教授、晴彦の父親に会う。最初のころは、諭の専攻である古代史と、美耶の妄想を繋げただけの会話をしていたが、そのうちに考え方すべてに傾倒するようになった。
諭の学問は、知識ではなく人間の精神を根底にしている。人はなぜ怨念を恐れるようになったのか。人はなぜ万物に信仰という意味を与えたのか。そこから導きだされる歴史の本当の姿は、崇志のみならず、受講生の心をいまも鷲掴みにしている。その中で、特に切羽詰まった異例を持ちだす崇志に、諭のほうから歩み寄ってくれたのだ。
大月家に出入りするようになってすぐに、高校生の1人息子が口を挟むようになった。
「呪いとか祟りとかは大好きなん。オレも交ぜて」
軽い口調に、最初は反感を抱いていた崇志だったが、父親にも負けないその知識の豊富さと、意外に芯の強い性格に、ガードを徐々に開いていった。
「持衰さんっていうのに会ってみたい」
とせがむ少年に、
「美耶を正常に戻すほうに腐心してくれ」
と切り捨てることを馴染みとしてきたが、美耶の自滅宣言に遭って、多忙な諭の代わりに協力を頼むこととなったのが、今日に至る経緯だ。
大学に入ってからの崇志の行動を時系列に打ち込んでいた晴彦は、ふと手を止めた。
「崇志兄、しばらく実家に帰ってなかったんやったね。それはなんで?」
「え、ああ」
すでにあやふやになった記憶を呼び起こしつつ、崇志は過去を掘り下げていく。
「1年生のときは、盆正月共に、普通に帰ったぞ。美耶の様子が心配だったしな。2年の正月も……帰ったと思う。3年の盆は、実家のほうから、無理に帰省しなくてもいいって言われて……」
ほら美耶が高校で大怪我したからさ、と補足する。
崇志が夢璃に妹の病気のことを相談したのが原因で、彼女の精神病は周知されてしまった。その延長線上にあった怪我を兄に隠そうとした美耶が、包帯を巻いた自分の状態を見せたくなくて、崇志の帰省を制限したのだろう。
その気遣いが、逆に、
「それで俺も、美耶に異常が見られなくなったんなら、帰る理由もないし、完全に縁を切ろうか、と思った」
と兄に判断させていたと知ったら、妹はどう思うだろうか。
「俺、自分勝手な方向にばっかり逃げてるな」
再度、自嘲する青年に、
「ん……でも美耶ちゃんは、そういう崇志兄の性格に気づいて、もう手を打ってるかもしれんよ」
と少年は笑った。先刻、居間で少女とすれ違った際に、
「今度からね、お兄ちゃんには隠し事をせずに、ちゃんと、全部伝えることにする」
と囁かれたことを伝える。
「オレ、崇志兄と美耶ちゃんの間にうまく入ったような気がする。崇志兄はオレがいてよかった?」
答えを確信していながら、改めて聞く得意げな晴彦に、
「……神棚に祭ってやってもいいぞ」
不器用な兄は精一杯の感謝を口にした。




