蛇神の怒り 2
朝食を終えて崇志の部屋に入室した晴彦は、蛇神についての説明を兄に施した。両親の事故後、ずっとこの土地に引き取られていた青年にも、地母神の祠の話は初耳だったようだ。
「稲荷の前にそんな神が信仰されていたなんて知らなかったよ」
と驚く。
「封印されてたぐらいやから、人の口に上ることもなかったやろうし」
と晴彦は補足した。
階下から、美耶に食事を促す母親の声が聞こえてくる。それを確認して、少年は話を再開する。
「美耶ちゃんが2階に上がってくる前に、ちょっと時系列を整理しようか。オレも混乱してきたし」
そう言って、崇志のパソコンのキーボードを弾く。
「まず、美耶ちゃんがおかしくなったところから」
中学1年、と打ち込む。
美耶の行動に異常が見られた最初の事例は、彼女が中学1年、崇志が高校3年生の秋だった。当時の早川家は、宗教大学に進学するとごねる崇志の進路について収集がつかない状態だったらしい。
「坊主になる事自体は反対されなかったんだけど、ここと縁を切りたいという要望が受け入れられなかった」
と、なんだか嬉しそうに説明する彼に、
「当たり前」
と言い捨てて、晴彦は続ける。
「じゃあ、兆候は秋から、と。そのころは深刻な状態ではなかったわけ?」
今度は内容について問うと、崇志は、
「深刻っちゃ深刻だけど……すぐに死んじまうような状態じゃなかったな。手首を切ったり、台所用洗剤を飲んだりしたんだけど、傷は浅かったし、すぐに吐き戻して大事には至らなかった。むしろ、心配だったのは長風呂のほうだよ。内鍵をかけるから、母さんじゃ開けられなくて」
俺も突入するにはちょっとなあ……と、場所柄、躊躇したことが多かったことを青年が告白すると、少年はわずかに相好を崩した。
「崇志兄にとっては妹じゃないもんな」
「事実、妹じゃないだろうが」
困った顔で答える仮の兄に、本格的に笑って、晴彦は先を進めた。
「長風呂っていうのは、どれぐらいの時間のことを言ってるん? 美耶ちゃん、いまも1時間ぐらい出てこんけど」
「4、5時間、だったと思う。気がつくと風呂場にいるって感じだったから、正確には、もっと長かったんじゃないか?」
「ふーん……」
パソコンの画面には、『自傷行為:リストカット、薬物』のあとに『自傷行為?:長い入浴』と記された。
少しの時間、考えこんだ晴彦は、やがて自分の考えを口にする。
「オレな、思うんやけど、このころの美耶ちゃんって、本格的におかしくはなってなかったんと違うかな……」
「でも……」
反論しようとする崇志を遮って、言葉を継ぐ。
「それまで正常だったから、急にこの手の行動を重ねるようになって、異常視するのはわかるん。けど、持衰さんが本当に美耶ちゃんの中で生まれ変わってるんなら、それまでおとなしくしてくれていただけで、表に出てくる機会をずっと窺っていたとは思えん? 思春期に入って、しかも家族が1人いなくなるかもしれんって環境の中で、本来の美耶ちゃんが不安定になってしまって、持衰さんに乗っ取られかけてた、と、オレは思う」
暗に『持衰の発現は崇志兄のせいでもある』と含めると、兄は沈黙して、指先を軽く払った。先を続けろということらしい。
「表に出たがった持衰さんにとっては、美耶ちゃんの意識は邪魔なわけやし。適当な自傷行為で美耶ちゃんが萎縮してくれることを狙ったんと違うかな」
「長風呂は?」
もう1つの異常行動について崇志が言及すると、少年は微笑んだ。
「そっちがあるから、こういう考えに行き着くん。持衰さんは航海の穢れをなすりつけられる存在や。『仕事中』は清潔にできん。弥生期の不満足な健康状態であえて不衛生にするいうんは、下手すれば生死に関わる。その恐怖が持衰さんの中に残ってたとしたら、入浴に固執するんは当たり前と違う?」
別の考え方としてシャーマンとしての習慣があったのかもしれん、と晴彦は付け足した。巫女は神降ろしをする際に禊をする。長い時間、冷水に身を浸して穢れを清め、神仏を降ろしても失礼のないような体を作る。
「持衰がシャーマンだった、っていうのは、どこから来た発想なんだ?」
少年が常識のように言う内容に、崇志は疑問をぶつける。
「それはあとにしようか。美耶ちゃんの話から脱線したくない」
晴彦は話を戻した。




