第2話「あたしのベストフレンド」
目覚めるというより、脳が再起動したかのような目覚めだった。
「っ……」
体の節々が痛む、特に腹部のあたり。英子のやつ……確かにあたしも言いすぎたが、ここまでやらなくてもいいだろうに。短気ってよりは、誰かを攻撃することへの躊躇というものが存在しないのだろう。いじめっ子気質というか魔法少女らしくはない。体を起こすのに支障はなかった。身体機能は、特に問題なく動いている。
立ち上がる。1日の始まりである。
ベッドからすぐ正面にはあたしの勉強机があり、案の定書き置きがある。そこには荒い筆圧で、あたしが気絶した後で何が起こり、どのようにして家に戻したのかという説明が書かれている。英子のそういうところは、嫌いじゃないが嫌いだ。内容だけ把握したら、ぐしゃぐしゃに破いてゴミ箱へ入れた。そんなことをする必要も、多分ないんだろうが。
時刻は6時半くらい。出されていた宿題を軽く済ませ、授業の予習もしてしまおうかと思ったが、結局あたしは制服に着替えて自室を出た。
「おはよう爽ちゃん! 今日は遅くなるから、出前でも頼んで!」
「わかった」
ちょうど家を出たのはあたしの母親だった。あたしが6時くらいに飛び起きてリビングへ行けば、家族みんなで朝食くらいは取れるのだろうが。
ダイニングテーブルへ向かい、朝食を済ませる。特段やれそうな家事もなく、しばらくぼーっとしたあたしは家を出た。
一歩一歩進む足が重かった。比喩的な意味ではなく、むしろ学校は楽しみなのだが、それはそれこれはこれというやつである。光を遮っている眩しくない空をしばらく進んでみれば、いつも通りにあたしを待つ親友の姿があった。
「おっまたせ〜! ごめん、遅くなった!」
無理やり背筋を伸ばし、高らかに敬礼。
有馬鹿乃子は、この世の平穏のために戦う戦士である。その中でも、まだつぼみらしい。世間的には存在しないとされている、そんなファンシーでエキサイティングな秘密をあたしが知った時から、いつも一緒にいるくらい仲良くなった。友達と親友の違いについて心得はないけど、お互いに親友であると認定している。詳しい話は、5、60ページくらい後で話しているのではなかろうか。
……知らんけど。
手を繋ぎ、二人は歩き出す。あたしの方が身長がかなり高い。
「いやいや、集合時間ぴったりだよ。さわちゃんは流石だね」
桜を連想させるような優しい声色で、いつも鹿乃子はあたしを褒める。彼女は鮮やかな黄色の髪で、丸い二つのお団子ヘアーなので、どちらかといえば梨とかだろうか。
ちなみに、あたしの名前は爽。入学から一ヶ月ほど経ったのだが、さわと読んだ方が可愛いと、最初に誰が言い出したかはもう覚えていない。
「昨日も魔物退治してたの?」
「あ、やっぱりわかる? うん、そうなんだ。最近は魔物が多くて……。実はまたマントの人に助けられちゃったんだ。魔物を倒した頃にはいなくなってて、顔は見られなかった。お礼を言いたいんだけどなぁ……」
「ぎくっ」
いや、まあ、そりゃ、見られていないはずもないし、初めてでもないんだが、いざ話に出されると背中に冷たいものがある。うなじに冷たいジュースをいきなり当てられたみたいな。
「何か言った?」
「え? あーいや、何も」
「じゃ、いいんだけど。あーあ、なんでかはわかんないけど、わたしが一人の時にしか現れないの。先輩の誰かが変装でもしてるのかなーって。なんかなあ、どうにもなあ……」
鹿乃子はあたしの体をグッと寄せる。彼女のお団子ヘアーが腕に当たり、体に振動が走るようだった。スキンシップが激しいことは、今に始まったことでもないが。
一人で戦っている時に助けられるってのも、プライドを傷つけられるようで嫌なのだろうか。あたしにはよくわからない。本人がそう思っていたとして、別に辞めるつもりは全くないのだけれど。
「もしかしたら、鹿乃子の新しい能力かもしれないよ。影分身〜みたいな!」
「だとしたら、とんだ暴れ馬だよー。あ、でも、どうしてか全然わかんないんだけど、わたしのハンマー使ってるんだよね。もしかしたら本当にそうなのかも?」
「そ、そう! きっとそう!」
「……でも、遠目で見てもわたしより身長が大きいし、そもそも、なんでわたしが一人の時にしか現れないのか……謎が多すぎて、頭がぐるぐるしちゃう」
目が渦を描いていて、カートゥーンアニメみたいだ。
「まあ、魔法少女のアレコレって、まだ全部わかってるわけでもないんでしょ? それなら、不可能なんてないよ! 可能性は無限大だっ!」
「そうかもしれないけど……」
ど、どうにか、そっちの方向へ話を持ってかないと。断言できる。その正体があたしとわかったら、この子は絶対に怒る。
「そういえば、英子先輩も、おんなじこと言ってたような」
「へえ、そうなんだ。なんか意外…………」
「何て?」
「え!? いや、なんでもないなんでもない!! ひ、英子先輩ってのは、魔法少女の先輩なの……?」
赤信号の横断歩道を数歩進んでしまったような気分だ。実は、あいつの通ってる高校と住所くらいは知ってるんだよな。情報交換だ〜とか、そんなよくわかんない理由で。
「うん! すっごいいい人だよ」
「………………」
ああ見えても、あいつ、後輩には優しいんだな。まあ、もし仮に鹿乃子をパシリにでもしてたんだったら、ぶん殴ってやりたいところだけど。
どうにか誤魔化しずつ、学校に着いてからは、いつも通りの授業。いつの間にか時間は過ぎて昼休みだ。あたしの学校はいたって普通だが、連絡用に携帯を持ってきても良いという校則の甘さには驚かされた。鹿乃子の場合、魔法少女同士で連絡を取りたいからここへきたという理由も、もしかしたらあるのかもしれない。
給食を終え、昼休み。何をするでもなく、次の授業の教材を引き出しから取り出したところで、あたしのスマホが連続して振動する。
「……!」
教室の和やかな喧騒の中、あたしは血相を変えて教室から飛び出した。雪野英子——紛れもなく、あの高校生魔法少女の名前である。誰に聞かれても言い訳に困るが、特に鹿乃子はまずい。
廊下をかけめぐり、一階の空き教室へと向かう。周りに人がいないことを確認してから、着信に応じた。
『へいへーい、俺だよ俺。みんなのヒーロー、英子ちゃんさ』
素っ頓狂な声が聞こえてきて、全身の血液が全速力で頭を目指し始める。
「……何の用?」
『随分と冷たいじゃねーか。実は今、お前らの中学の体育館裏に来てんだよ。お前に見せたいものがあってな』
「え?」
咄嗟に電話を切り、空き教室から廊下に。そこからすぐ先の窓から外を覗いてみれば。
「おいおい! いきなり電話を切るなんてどーなってんだ!」
生い茂る雑草の中で、白髪が照り輝いていたのだ。肩くらいまでのロングヘアーの頂点に大きなアホ毛と、こんなやつにボコボコに蹴りまくられた自分が恥ずかしくなる。そして、制服でも何でもない、Tシャツ姿ではないか——と思ったが、彼女は確か定時制の高校に通っているとか何とか。
「お前本当に、先輩への敬意とかないのかよ!」
「はあ!? 動けなくなったあたしを気絶するまで蹴ったり踏んだりしたくせに、な、何が敬意だ! 馬鹿にしてるの!?」
あたしはぎゅっと両手を握り込む。
「それはすまなかった……と言いたいところだが、俺が持ってきたもんを見せれば、たちまち俺への怒りも引っ込むことだろうぜ。声を奪われるほどに感動して、俺に頭を下げる準備をしておくんだな」
「そのニヤニヤ顔が憎たらしくてたまらないよ……言っとくけど、あたしってかなり頑固だから。それがもし徳川埋蔵金だったとしても、謝ってもらうから」
「ほざけってんだ」
「……………………」
両手を握り込む力が強すぎて、血が出てきそうだった。
「わかったよ、わかったわよ。もしあたしが本気で感動させられたら、なんだってしてあげる。もしできなかったら、この場で土下座してもらうから」
そう宣言して、窓枠越しにズバリと彼女を右手で指を差す。強く握り続けた片手には、うっすらと痕ができていた。あたしの集中線がつきそうな動きに英子は目を丸くしてから、悪そうな笑みを浮かべた。薄ら笑いである。
「マジでお前ってやつは、意味わかんなさすぎて最高だぜ。下級生を土下座させるのは気が引けるけれど、負けた側の罰は同じってことにしよう。心からの土下座をしてもらうぜ。それじゃ、ほい」
あたしは身構えたが、持ってきていたらしき手提げバックから英子が取り出したものといえば、黒くて握り心地が良さそうな長めの棒であった。片方の端っこにかけて、少し太くなっている。なにかのギャグかと、ツッコミを叫びながら明後日の方向へ放り投げそうになったが、秀子は勝ち誇るような表情をやめず、手提げバックの奥から何かを取り出そうとして、動き澱む。ジャラジャラという音の後に、いくつかの、白い宝石のようなものを取り出した。
「その棒。くぼみがあるだろ? こいつをはめてみな、奇跡が起こる」
「そ、そんなまさか……」
真っ黒なのでわかりにくかったが、太くなっている方の端側に、小さなくぼみがあった。言われるがままはめてみると。
「……なっ!」
突然、黒い棒から二つの大きな太鼓のようなものが飛び出してきた。魔法少女らしさ抜群の、キラキラな装飾が施されている。というか、これは——
「ハ、ハンマー……?」
「そうそう。毎度のように、有馬のやつが投げたハンマーを探すってわけにもいかねーだろ? だから、武器を作ってやったんだよ。その石をはめ込むことで作動すんだ。テンション上がるだろう?」
「な、なんてものを……な、なんで、なんでよ。あたしの行いを認めてるわけじゃないんじゃないの?」
冷や汗を流すあたしを見て、英子は鼻で笑う。
「忠告を聞き入れるまともなバカより、俺は忠告を聞かねぇ本物のバカの方が見てておもしれーってだけだよ。お前はどうせ、こーいうのを欲しがってると思ってな」
「……確かに、そ、そうだけど。でも、あたしは負けを認めるわけには……」
あたしは歯を食いしばった。
認めたくないけれど、実は、こういう変形武器って、好きなんだよな。どれくらいかというと、チャーハンについてくる温かい中華スープくらいには好きなんだよな。でもだがしかし、甘かったな雪野英子。まだ足りないぜ。あたしを土下座させるには、もう一つかっこいい変形が——
「あ、そうそう。宝石がはめ込まれてる部分を横向きにひねると、剣に変形す——」
「負けました…………」
あたしは窓枠越しに頭をぐっと下げた。
「それじゃ足りねー。俺が要求するのは土下座だ。さっさと昇降口で靴に履き替えて、こっちまで来いよ」
「……………………はい」
あたしは全力で旋回し、校則違反の廊下走行をし始める。校舎をぐるりと回り、昇降口を目指していると、そこには有馬鹿乃子の様子があった。こちらを見つけたかと思えば、むすっとした顔になる。
「ちょっとさわちゃん! 昼休みは一緒に——」
「ごめん! ちょっと後で!」
するりと鹿乃子を避けて先に進んでいく。昼休みに何をすると約束していたかは忘れたが、申し訳なかった。何よりも、土下座ししに行くという理由で、更に、それが自業自得という事実が何よりも申し訳なさを加速させた。
ごめん鹿乃子——あたし、土下座しなくちゃいけないから。
昇降口にて靴に履き替え、昼休みだというのに部活の練習をしている苦労人たちを眺めつつ、体育館裏に辿り着いた。
そこに立っていた英子の表情は、この世の何よりも邪悪だった。
「よし、来たな。じゃあ、しな」
「くっ……」
雑草まみれの地面に膝をつく。そのまま、2秒ほど硬直し、あたしは覚悟を決める。
下げた。
がっつり頭を下げて、そのまま、1秒、2秒、3秒。
「……!」
後頭部を踏みつけられた。グリグリと。
「気分はどうだ? 言っとくけど、かなり自業自得だからな」
「わ、わかってる……」
「はっはっは。お前ってマジで意味わかんなくて最高だぜ。へ、へへへへへ…………あ」
咄嗟に頭が解放され、思わずあたしは顔をあげる。すると、英子は真っ直ぐに前を見つめていた。目をがっと開き、言葉が出ないようである。あたしの頭の中に黄信号が光った。恐る恐る、地べたに膝をついたまま後ろを振り返ってみる。
そこに立っていたのは、黄色い髪のお団子ヘアーの、小さい女の子。あたしのベストフレンド——有馬鹿乃子だった。
「え……え……ええぇ……?」
「鹿乃子。こ、これは、違くて」
「さわちゃん! な、ななな何したの!?」
「まず質問するのがそこなの!? もっとあるでしょ!!」
その後、見知った高校生が中学校で親友を土下座させているというとんでもない状況から生まれた様々な誤解を解くのは、片結びが解けなくなったズボンの紐を解いているみたいに難解だった。
「まあ、さわちゃん、今日の朝に英子先輩の話出した時に、意外って言ってたし……知ってるのかなって、思ってたんだけど……思ってたんだけど……」
「聞こえてたの?」
我が親友の地獄耳具合には、誠に驚かされるばかりだ。
そしてあたしは、あのクソ野郎に必ずや復讐をしようと、熱い闘志を燃やす。そう、このことは絶対に忘れない。今日、雪野英子に雑草だらけの地べたに土下座させられたこと、そして、頭を上げる際にちらりと見えた、雪野英子の黒の透け透けパンツを忘れない——そう固く誓うのだった。
絶対に絶対に、絶対に忘れないと、誓うのだった。




