第1話「風のように走る少女」
赤い彼岸花が咲き乱れる花園を、あたしは円を描くように走っていた。
描かれる円の中心には巨大な怪物がおり、遠目からでも暴れているのがよくわかった。轟音が耳に届くたびに、後ろから足場が崩れていくような脅迫感に襲われ、汗が滴る。戦いが行われているのだ——そうあたしに実感させていたのだった。
月明かりだけが頼りで、黒いフードで身を隠すあたしにとって視界は最悪。その上、彼岸花たちは多種多様な茎の長さを持ってしてあたしの進路を塞ぐ。
それでもあたしという名の芝刈り機は、自分の数倍ほどの身長を持つ茎たちをかき分け、足が千切れんばかりに走っていた。さっきあの子が投げたそれは、この先に着弾したはずだった。
「…………あった!」
あたしが見つけて持ち上げたのは、巨大なハンマーだ。カラフルなギザギザ模様と頭につけられた星形の宝石——横向きにすれば太鼓に使えそうなほど中心部が巨大な上に過重で、油断すると操り人形にされてしまう。あの子はこんな代物を手品のように取り出してハンマー投げ(物理)してしまうというのだから、本当に普段のあの子とは似ても似つかない。
あたしはハンマーを引きずりながら再び足を動かし始めた。今度はハンマーで茎をかき分けつつ、円の中心——そう、巨大な怪物へと向かっていく。ピントが合う距離まで近づいてみると、やはり植物をモチーフとした怪物だった。植物らしく、特定の場所に鎮座し動かない。
恐怖はなかった。あったのは、胸の高まりだけだった。
その時、怪物はハエたたきの要領で、無数にあるツタの一本を上から振り下ろした。パチンという音が鳴り、地面から土煙が発生した。あの子だ。空中ではたき落とされたのだ。
心臓から湧き出てくる怒りという炎がエンジンとなり、あたしは走るスピードを一段と上げた。
怪物までの距離がグングンと近づき、目と鼻の先まで到達する。そこであたしはハンマーを高く振り上げ、地面を叩いた。凄まじい衝撃波と共に黄色い波紋が彼岸花を燃やし、体は空中へと発射される。あたしはハンマーを手放してはいなかった。
高度が増していき、怪物の全貌が見下ろすあたしの視界に丸々収まる。
「喰らえっ!」
上空から飛来してくる一人の女の子に、怪物は気づけなかったようだった。
あたしの振るったハンマーが怪物に直撃し、星形の波紋は緑色の表面を滑るように広がっていく——肘のあたりまで、ジーンと衝撃が加わった。まるで言語化のしようがないファンシーな音が耳を貫く。
あたしは勢いそのまま、少し離れた場所へ。体勢を崩しながら、転がって着地した。彼岸花たちがクッションになってくれることはなかったし、叩きつけるようで、無慈悲で蛮族的な痛みが全身を襲う。
怪物が唸りをあげ、ツタを縦横無尽に散らし始める。しかし、本能的な暴走には三秒でピリオドが撃たれるのだった。地面にはたき落とされたあの子が、新しく取り出したハンマーを軽やかに振って怪物にぶつけたらしい。
あたしに見えたのは、薄暗闇の中で星形の波紋が広がって、怪物が枯れ果てる場面だけだった。怪物が撃破される少し前より、あたしは全速力で戦況から撤退していたからだった。怪物から逃げていたわけではない——どちらかというと、あたしはあの子から逃げていたのだった。
しばらく地面を蹴り付けていると、ふらりふらりと視界が揺れ、ついには転んでしまった。上半身だけを起こし、肩で息をする。
目の前から、茂みの音がした。
「全く、お前。ここ、いかれちゃってんじゃねーの?」
あたしの前に立ちはだかるようにして見下す英子は、ニヒルな笑みを浮かべ、右の親指で自らの脳天をツンツンと強めに突いた。白色の髪に親指が吸い込まれていて、雪を踏んでいるみたいだと思った。
「……そうかもね。あたしも自覚はしてるよ。こんなこと、ハイリスクローリターンだってわかってるよ」
「わかっているならなんでそんなことするんだよ。矛盾にも程があるぜ」
「矛盾してこそ人間だって思うけど? そんなことはどうだっていいから、さっさと現実世界に戻らないと……」
「開き直りすぎだろ」
「自覚してるっつーの」
立ち上がろうと試みたが、両足が棒だった。まるで動く気配がないし、感覚もない。
そんな様子を見て、英子は一瞬ポカンとしてから、ブワッと吹き出した。腹を抱えて、しばらく甲高い笑い声を発する。
「あはははは! いい加減学べっての! 必死で駆け回った挙句に、ダメダメな受け身! 体が動かせなくなるのも無理ないというか当然中の当然だから!」
「………………」
「……あはぁ、全く。間抜けを見るのは、この世の全ての何よりも面白いぜ。そんじゃあ、帰るぞ。後始末を担当してやると持ちかけたのも、もとより俺だかんな」
体が持ち上げられ、ぶらりと四肢が垂れる。一歩一歩英子が足を進めるたびに、四肢は鞭のように上下した。
「ある程度の治癒ならやってやるさ。折れた骨をつなげて、体力もある程度は戻して……できるのはそれくらいだ。中途半端に回復させた分、そこそこの痛みがしばらく残るぜ。まあ、感謝して受け入れな。俺以外の魔法少女にバレてたら、殺されてたかもしれないんだぜ、お前」
「わかってるよ」
答えると、彼女はしばらく沈黙した。あたしの視界には、彼岸花しか映らない。
「流石に命かけすぎじゃねーの。どれだけ魔物退治に協力したところで、そして、無茶をしてでも結果を出してみたところで、お前が魔法少女になることはないし、ただ傷つくだけだぜ? それとも、ドMなのかお前は?」
「……そんなわけないでしょ」
「そんじゃあ尚更意味がわからねえ。魔法少女になりたいなら今すぐ首を掻っ切って、来世にワンチャンスだ。この力とこの宿命は、産まれた時から決まってるもんなんだからよ。まあ、俺はおすすめしないけどね。毎日が死と隣り合わせってのは、お前の思うきらきらな魔法少女とぁ全然——」
「わかってるって言ってるでしょ!!」
「……そんなにキレなくもいいじゃん。あんまりうるさいと、ここに置いていくぜ?」
「…………」
あたしは沈黙を保つことしかできなかった。脅されたからではなく、何を言っても自分が惨めだと思ったからだった。
「前々から言ってるけど、別に俺はお前の行動を否定したいだけであって、気持ちを否定したいわけじゃない。理お前が親友のためにこんなことをやってるって、俺は知ってる。親友の力になるために命かなぐり捨てて躍動するお前は、親友思いのナイスガールだよ。恐らくそれが正義ってやつなんだろう。魔法少女みんなお前みたいなやつだったら、世界は平和に満ち溢れるだろうな」
「力になるんじゃない、守るためなの。あたしはあの子を守らなくちゃいけないの。あの子が一人で戦って、それで勝てないような魔物にぶち当たったら、もう2度とあの子には会えなくなる。そんなのは、絶対に嫌だ」
「そうだな。現状この辺りじゃ、中学生の魔法少女ってあいつ一人だけだし」
「……じゃあ、あたしがあいつを守ってやんないと」
「はっ、一般人が偉そうに。 そんな状態じゃまるで説得力がねえ。さっさと手を引いて自分の人生を生きた方が、お前にとってもあいつにとっても身のためってやつだ。まあ、お前の気持ちがわかるくらいにゃ、あいつ雑魚いんだけどな!」
はっはー、と英子は高笑い。
「どこぞのネコ型ロボットみたいなことできるのに、それを使ってやることといえばハンマー投げだ。弱いというよりは、おバカちゃんかな。脳みそのネジが1スタック足りてないんだよ」
「…………」
何も言い返せないほどに、あたしはあの子のおバカさを信頼しているのだろう。
「そ……そのおかげで、あたしはあの子を手助けできてるんだけどね……。流石に、全く何もない状態じゃ、あんな怪物たち相手にできることなんて、何もないし」
「確かに。なんか皮肉っぽいな!」
「……よく喋るよね。それに、なんかいつもにましてテンション高くない?」
「そうか? 俺は四六時中こんなもんだぞ?」
はっはーははー、と続けて英子はわざとらしく笑う。
「ともかく、もっと自分のこと考えろよ。お前の親友の件については、できる限り一人で戦うような場面を作らないように手を回せと、リーダーに伝えておけばお前も文句はねーだろうよ」
「………………」
「せっかく運動神経いいんだから、部活動に精力を出してみればいいじゃねーか。お前ならどんな部活でも一年からレギュラーになれんだろうよ」
「それは…………」
誰だって同じことを言う。あたしの苦悩も何も知らないくせして。スポーツなんて、あたしはやりたくもない。そんなものより、あたしには大事なものがあって、それで——。
「あからさまな反応するじゃんか。もしかしなくても何かあんのか?」
「……なんもないし」
「あっそ。お前って、マジ意味わかんねー。ははは、ウケる」
頭に血が昇るような気がした。
「いや、別にわかんなくていいから。もしあんたがあたしと同じ立場だったとしたら、懸命に、距離を取ったりするんだろうね。親友を守るために、大事なものを守るために、命かけたりできないもんね。人生の価値って、そういうところに現れるんじゃないの? 人生というか、人間としての価値?」
「あぁ?」
早口で捲し立てた直後、心臓にヒヤリと冷たいものが当たった。霧が晴れて、視界が明るくなったような感覚だ。穴があったら入って、できればそのまま永眠したい。今すぐにここから逃げ出したいのに、体が言うことを聞いてくれない。
「…………否定はしねーよ、否定は、な」
言いながら、英子はあたしの体を彼岸花の大地へ投げるように落とした。ゴロゴロと転がり、うつ伏せになる。現実世界へのゲートは目と鼻の先だったが、あたしにはそれが遥か遠い場所に見えた。
「でもさあ、だからってさあ! あんまり調子乗ってるとイラつくんだよ、なっ!」
感覚はなかったが、強い勢いで蹴り上げられたらしい。豪快な音が鳴り、あたしのまたまたゴロゴロと転がる。今度は仰向けになった。その後も音が連続する。体を踏みつけられているのだ。
「愛か!? 愛を語ってるつもりなのか!? 人生とか人間とか、何もかもをわかった気になってんじゃねぇ!」
彼岸花の花弁が宙を舞う。
「………………こんくらいにしといてやるさ。へへっ、恨むなよー。ちょっとカッとしちゃったもんでな」
もう一度担ぎ上げられ、英子の勝ち誇るような声がかすかに届く。
少しずつ視界は暗くなり、次第にあたしは意識を失うのだった。




