2.知識の肥溜めへようこそ
一瞬『破棄駄目』の語呂合わせで『掃き溜め』にしようと思ったのは内緒である(ぇ
旅路は順調に進み、翌日には国境を越えることに成功した。だが、ミラノールも宰相も両親も護衛達も、まだ安心はできなかった。
ルドヴィックが彼女から奪った研究成果。それは瘴気病の治療理論として確かに完成していた。ただし、実用化に向けての課題がまだ残っていたのである。
その課題をミラノールに解決させるため、ルドヴィックは追放処分の取り消しを画策するだろう――それが彼らの予測だった。
その予測は当たっており、ミラノールが国境を越えて三日後、王城からは追放処分の撤回と召還命令が発せられた。
“ミラノール・フォン・ヴァイスハイト伯爵令嬢への追放処分を撤回する。直ちに王城に戻り、王太子ルドヴィック殿下に謁見せよ”
その命令が出された時、ミラノールはすでに海路を進む船の上。戻ることは物理的に不可能だった。
さらに、両親は王太子からの使いに対して「ミラノールがどこに向かったまでは知らない」と、のらりくらりと追及をかわす。
最初はすぐに王城へ戻ると予測していたルドヴィックは苛立ちを隠せなかった。ミラノールが居なければ、彼らが真に欲しかったものが手に入らないのだ。ならばとルドヴィックは強硬策に出た。
「捕縛せよ! 王国のどこに隠れていようと、連れ戻せ!」
王太子という強権を利用した命令で衛兵たちを動かしたが、宰相と両親とミラノールについた護衛といった協力者達による巧妙な偽装工作の前には無力だった。
おまけに、王太子の陣営に紛れ込んでいるミラノールの支援者が真実の情報を握りつぶすから、結果として王太子の陣営は偽の情報に翻弄されるばかりであった。
「くそっ、ミラノールの奴……どこに行った!!」
荒れるルドヴィックにセリーヌは「諦めましょう」と進言する。
「だがあの理論は」
「私たちで何とかします。私の頭脳と残っている研究者達とラノールさんが残した資料があれば、きっと解決策を見つけられます」
ルドヴィックはしばし沈黙した後、ふっと笑った。
「……そうだな。君の頭脳はミラノール以上なのだ。期待してもいいのだな」
「もちろんです」
セリーヌは笑う。その笑みには他者を破滅へと導く危険な信号を発していたが、ルドヴィックはその笑みに隠されていた真の意味には気付かなかった。
こうして、ミラノールは追手を振り切る事に成功し、王国を出て二週間後には三ヶ国同盟医療研究所に無事たどり着けたのであった。
―——
三ヶ国同盟医療研究所。それは、世界最高峰の医療の権威達が集まる、医療の最先端の地。それだけに、外部の者は研究所を厳かな聖域という想像をしていただろう。
事実、ミラノールもそういったイメージを持っていた。
だが……研究所の実態は全く異なっていた。
廊下では白衣を着た研究者たちが熱い議論を交わし、実験室からは時折小さな爆発音が聞こえ、誰かが「おっと!」と叫ぶ声が響く。壁には複雑な数式や分子構造図が直接マジックで書き込まれ、所々にコーヒーの染みがついたレポートが山積みになっている。
ここは、外の世界が想像する『厳粛な聖域』とは程遠い、混沌とした知識の肥溜めだったのだ。
「驚いたかい?」
研究所を案内する所長のクロード博士は悪戯っ子のような笑みを浮かべた。白髪が目立ち始めた年頃の学者だが、その目には老いてなお健在ともいうべき若々しい好奇心を宿していた。
「は、はい……世界最高の医療の権威と聞いていたので、もっと厳かなところだと思っていました」
「ははは!彼らほど『厳か』から遠い人種はいないよ。権威も権力も俗世の評判も、彼らにとっては些事。興味があるのは貪欲なまでの知的好奇心を満たすための研究と理論を証明するデータ、ただそれだけさ。――そういう意味では、君も同じ穴のムジナと思っているが、違うかね?」
ミラノールは否定できなかった。最初こそ面喰ったが、十分も歩くうちに、この場所の本質が見えてきた。研究者たちは国籍も年齢も性別も超越して、ただ「知りたい」という欲求だけで結ばれていた。彼らはあれこれと率直な意見を出し合い、時には声を荒げて衝突しても、最後にはお互いの理論やデータを認めながら次の仮説を立てる。その姿勢に、彼女は深く共感を抱いたのだった。
「まあ、自身の心内なんてすぐに答えが出るものでもない。まずは君の所属を決めよう。瘴気病の研究を続けたいのだろう?」
「はい。王国で実用化の理論は確立できましたが、まだまだ発展の余地を残しています。例えば、第二段階の酵素反応における変異率が従来の想定より0.7%高いことから、長期投与時の耐性発生リスクを再計算する必要が――」
以後、彼女はずらずらと独自理論を三十分もわたって語り始めた。手振りを交え、時には空中に分子構造を描き、目を輝かせながら。それを止める事なく、クロード博士はただ黙って聞いていた。時折、うんうんと頷きながら……確信したのだ。
(くく。やはり君も同じ穴のムジナだったか)
博士は心の中で笑った。こうした長話は、若き天才と呼ばれる者を研究者を迎え入れる度に行われるのだ。すでに慣れている事もあって、彼はあえて彼女の気が済むまで語らせることにした。
……
…………
………………
あれから一時間経過し、ふと長話をしていた事に気付いたミラノールは、「すみません」とばかりに顔を赤らめて謝った。
だが、クロード博士は嫌な顔一つせず、笑いながら「気にするな」っと返した。
「君の情熱は十二分に伝わった。それだけの情熱があれば、ここでやっていけるだろう。所属は息子のアーロンが率いるチームを勧めよう。そこでは類似の疫病研究を進めているので、君にはピッタリだろう。最初の挨拶も、君の理論を発表しなさい。彼らなら、喜び勇んで昼夜に渡っての議論を行うはずだ」
こうして、ミラノールは所長の息子であるアーロンのチームに所属した。
アーロンは父に似ず、無口で実直な二十代後半の青年という若手だった。初めて対面した時、彼はミラノールの経歴や王国での地位を一切問わず、ただ研究データを記した書類を渡してきた。
「瘴気病に関する研究をしていると聞いている。早速だが、聞きたい事がある。ここにどうしても狂いが生じている。何が問題なのか、率直な意見を聞きたい」
「はい、そこは……」
挨拶代わりに研究の意見を求められた事に少々面喰いはしても、この研究所はこれが普通なのだろうと思い、気分を害する事なく率直な意見を出した。
その夜、二人は同僚の研究者たちを巻き込み、明け方まで白熱した議論を続けた。ミラノールは久しぶりに、自分の意見を真摯に受け止めてくれる同士に出会えた事による喜びを感じたのであった。
類は友を呼ぶ……馬鹿と天才は紙一重とはよく言ったものである(笑)




