六章 御常御殿 01
御常御殿まで移動した一行は絶句した。
建物の屋根の一部が崩れ、濃厚な瘴気が渦巻いている。
「これは……千弘様に二年もかけられていた呪詛だけあって凄まじいですね」
晃成がつぶやいた。
「千弘様はそんなにも苦しめられていたんですか?」
「はい。寧々さんが見つからなければ、呪詛は更に進行していたと思います」
寧々の疑問に答えたのは千晃である。
御殿の前では、皇宮の使用人や近衛兵が建物を遠巻きにして騒いでいた。
溢れ出す瘴気のせいで、常人である彼らは一定の位置から先に進めないようだ。
「東宮様! 神祇卿宮様も!」
近衛兵のうちの一人がこちらに気付いて声をかけてくる。
「陛下が中に! 様子を見てくるとおっしゃって……我々も続こうとしたんですが、体がすくんでどうしてもここから先に動けなくて……!」
おそらく建物から漂う瘴気のせいだ。
瘴気への耐性は霊力に比例する。
とてもではないが常人に耐えられる気配ではない。
「中で禍物が発生したのかもしれない。千晃、行くぞ」
発言したのは千弘だった。
「はい、兄上」
千晃は普通に受け答えするが寧々は戸惑った。
(中身は小夜さんよね……?)
化けるのは得意だと自称していただけあって、目の前にいる千弘から小夜の面影は感じられない。
「お待ちください! 宮様方まで中に行かれるのですか!?」
近衛兵が千弘にすがりついた。
「お前たちが近寄れないのは中から溢れる瘴気のせいだ。ある程度の霊力がなければ耐えられない。行ける者が行かないと」
「しかし……」
「中には父上の近侍がいる! この瘴気に晒され続けたら死ぬぞ! お前は見捨てろと言うのか!」
千弘の強い語調に近衛兵は怯む。
力が緩んだのか、彼は兵の腕を振り払うと建物に向かって駆け出した。
「晃成、俺たちも行くぞ。貴子さん、怪我人の救護と神祇庁への連絡をお願いします」
千晃は晃成と貴子に指示を出してから寧々に視線を向けた。
「あなたは貴子さんの手伝いを……」
「私も行きます」
寧々は千晃の発言を遮り、答えを待たずに移動を始めた。千晃は慌てた様子で寧々を追ってくる。
「戻ってください! 中はどう考えても危険です」
千晃は隣に並んで説得を始めた。
「千晃様、議論の暇はありません。彼女は貴重な戦力です。本人がやる気になっているんですから協力してもらいましょう」
割り込んでたのは晃成だ。
「……わかりました。ただし、身の危険を感じたらすぐに外に出てください」
千晃が折れてくれたので寧々は安堵した。
建物の中に入ると、膝をついてしゃがみこむ千弘の姿があった。
彼の前には侍従の制服を着た男性が倒れている。
どうやら千弘は男性の様子を確認していたようだ。
「小夜、うまくやってくれてありがとう」
千晃が声をかけると彼は振り返った。
「もっと褒めていいわよ」
千弘は得意げだ。
女言葉を使う彼の姿は少し不気味だが、中身は小夜なのだと実感できた。
「その体は兄上のものだからあまり無茶は……」
「わかってる。倒れてる人間の救護に徹するわ。もちろん外ではバレないように気を付ける」
中身が小夜の千弘は早口で告げると、倒れている侍従に視線を戻した。
「瘴気に中てられて気絶したみたい。早く外に出して浄化しないとまずいわ」
「小夜、助けられるだけでいい。頼む」
「任せて」
小夜は侍従の体を担ぎ上げる。
「晃成、寧々さん、俺たちは奥に進みましょう」
千晃は先頭に立って移動を始めた。
「お待ちください。一番前は私が。御身に何かあったらどうするんですか!」
晃成は慌てて千晃を追いかけて注意する。
「すまない、中がどうなっているのか気になって体が勝手に」
千晃は弁解すると、晃成の後ろに下がった。
「お気持ちはわかりますけど、もう少しご自身を大切にしてください。あなたは皇子なんですよ!」
「わかってる。悪かった」
千晃は素直に謝罪する。
そうこうしているうちに突き当たりにたどり着いたので、一行は角を曲がった。
すると進行方向の廊下に人が倒れている。
「他にも倒れている人がいるかもしれませんが、小夜に任せましょう。俺たちの役目は瘴気の源を探ることです」
千晃の意見に寧々も異論はなかった。
強い瘴気に普通の人間が生身で曝されると命に関わるが、倒れている人の数が多すぎる。
「瑠璃が消えた場所から禍々しい気配が移動してる」
千晃がつぶやいた。
あまり感知能力が高いとは言えない寧々にも、不吉な気配の方向はわかる。
一行は晃成を先頭にそちらへと向かった。
人がそこかしこで倒れ、瘴気の靄が漂う御常御殿の中はお化け屋敷みたいだ。
寧々は緊張と不安に苛まれながら最後尾を歩く。
「……この向こうだ」
一行は奥まった場所にある襖の前で立ち止まった。
「開けますよ」
前置きをしてから晃成が襖を開ける。
中は広々とした座敷だった。
内部は障子も襖も締め切られていて薄暗いが、部屋の中央には豪奢な椅子が置かれており、長い髪を下ろし、白い着物を身につけた女性が座っていた。
「母上……」
千晃のつぶやきに寧々は目を見張った。
言われてみれば、女性は千弘や晃成と共通する容姿の持ち主だった。
しかし彼女は無反応だ。彼女の位置からこちらが見えていないはずはないのに、ぼんやりと虚空を見つめている。
「皇后陛下は亡くなられたはずです。よく似た別人では……」
「いや、間違いなく母上だ」
晃成の発言を千晃は否定した。
その直後である。
寧々は斜め前方から何かが迫ってくる気配を察知し、咄嗟に目の前の千晃に飛びかかって床に押し倒した。
何故そうしたのかは理屈では説明できない。
だがその行動は正しく、こちらに向かって霊力の塊が飛んでくる。
「ぐっ……!」
寧々と千晃は難を逃れたが、晃成までは助けられなかった。霊力をまともに食らってしまう。
「晃成!」
倒れ込んだ彼に向かって千晃が叫んだ。
「おや、避けられてしまったか。新人のその子は勘がいいね」
霊力の飛んできた方向から声が聞こえ、暗がりから抜き身の刀を手にした今上帝が現れる。
「まあいいか。一人は潰せた」
どうにか身を起こした晃成の胴体は、袈裟懸けに斬りつけられたような状態になっている。
制服が裂け、傷口からはドクドクと血が流れていた。
「はぁっ……はぁっ……」
晃成は荒い息をつきながら胸元を押さえた。
彼の指先から霊力が溢れる。
どうやら治癒術を使っているようだ。
「どういうことですか……。なぜ父上が俺を……!」
千晃は険しい顔で尋ねた。
「お前が千弘にかけた術を解いたんだろう? こそこそ嗅ぎまわってるのは知っていたが……。どんな手を使ったのかは知らないが、責任を取ってもらわないと。おかげで祥子が中途半端な状態で目覚めてしまった」
祥子は藤皇后の諱だ。それを呼び捨てにできるのは、今上帝くらいである。
彼は憎々しげに吐き捨てると千晃を睨みつけた。
「兄上に呪詛をかけたのは父上だったんですか」
「呪詛ではない。祥子のための特別な治癒術だ」
「何をおっしゃっているんですか……? 母上は三年前に身罷られました」
尋ねる千晃の声は震えている。
「死んでなんかいない。息をしているだろう?」
そうなのだろうか。寧々のいる場所からは距離があるので判断ができない。
「少しずつ呼吸や脈拍の回数が増え、体温も徐々に上がってきていたんだ。でもお前が余計なことをしたから!」
今上帝は怒りの形相で手にした刀を上段に構えた。
その刀身が凄まじい霊力を帯びる。
(霊刀……)
いや、その域を超えている。
彼は皇帝。神器を所有していてもおかしくない人物だ。
今上帝が斬りかかってくる。
圧倒されて硬直する寧々の前に千晃が体を割り込ませ、霊力の壁を展開して斬撃を受け止めた。
ガキン!
金属が触れ合うような音が響き渡る。
「これくらいは防いでしまうか」
今上帝はつまらなさそうにつぶやいた。
「秘密を知った俺の口を封じるつもりですか?」
「いや、お前には千弘の代わりになってもらう」
再び今上帝は刀に霊力を込め、こちらに斬りかかってくる。
寧々は懐から羽々斬を取り出して前に出ようとするが、千晃に制止された。
「その剣は人相手には役に立ちません。下がっていてください」
千晃は寧々と自分を守るように壁を広げて攻撃を防ぐ。
今上帝は壁に刀を当てたまま、少しずつ込める霊力を増やし始めた。
壁を維持する千晃は苦しそうだ。
手元に他の得物はないから、この場で寧々は無力な足手まといだ。それが歯がゆくて悔しい。
「草薙の力にいつまで耐えられるかな? ああ、消し飛ばさないように加減はしないと」
草薙剣――歴代の皇帝に継承されてきた有名な神器だ。
御祖神が羽々斬で八岐大蛇を退治した時に、その尾から出てきたとされている神剣である。
「先に謝っておきます。巻き込んで申し訳ありませんでした」
「そんな、謝らないでください!」
「美しい主従愛だね」
その発言の直後だった。
今上帝の左胸から突然人の手が生えた。
「……?」
彼は目を見開く。一体何が起こったのか理解していない様子である。その唇から鮮血がごぷりと溢れ出た。
状況を理解できないのはこちらも同じだ。
今上帝の体が傾ぐ。
その背後から現れたのは、椅子に座っていたはずの藤皇后だった。




