五章 東宮御所 04
呪詛は破られるとかけた張本人に返るものだが、その時に周囲に瘴気を撒き散らす。
千晃と晃成はそれから身を守るための護符を全員に配り、呪詛の返る道を作るために雨戸を開け放った。
そこから見える庭に小夜と皇子たちの姿はなかった。
どうやら建物の中に遊ぶ場所を移したらしく、どこか遠くから楽しげにはしゃぐ声だけが聞こえてくる。
「小夜が気を利かせたみたいですね。室内に移動してもらう手間が省けました」
千晃はそう告げると、寧々が官用車から持参した荷物から護符や縄を取り出して、晃成と手分けして室内に結界術を施した。
その間に千弘は着衣を緩めていた。
あらわになった彼の上半身は、白い包帯で覆われ、その上からは何枚もの護符が貼り付けられていた。
「呪詛の進行を抑えるための護符です」
寧々が驚いた顔をしたからか、千晃が説明してくれた。
「今から護符を外すので、寧々さんは呪詛を斬る準備をしてください」
「はい」
寧々は頷くと、制服の内ポケットに忍ばせて持参した羽々斬を取り出して握りしめた。
千晃はそれを横目に確認してから千弘に近付き、護符を一枚ずつ剥がしていく。
「さて、一体誰が私に呪詛をかけたのか。首尾よくいけばわかる訳だ」
千弘は含むところがありそうな笑顔を浮かべた。
顔立ちは全然似ていないのに、その笑い方は千晃にそっくりだった。
犯人の疑いが濃厚な櫻皇妃は、予定通り礼子が帝都郊外にある櫻井侯爵家の別邸に誘い出したらしい。
(本当に実のお母様が犯人だったら、斎宮様は大丈夫なのかしら……)
寧々は礼子の心中を想像して目を伏せた。
そうこうしているうちに、呪詛を封じる最後の護符に千晃が手をかけた。途端に黒い靄のような瘴気が千弘の左胸から湧き上がる。
「呪印は心臓の位置にあるんです。最初はうっすらとしていたのが少しずつ濃くなっていまして。真っ黒になったら術が成就するのではないかと思います」
呪詛の成就が意味するのはきっと死だ。
ようやく包帯が取り払われ、素肌に刻まれた呪印があらわになった。
薄墨色の円形の呪印には、アルファベットが書かれている。
一目見ただけでも直感的にわかった。これはこの国のものとは系統が全く違う術によるものだ。
包帯を解いた時に溢れ出した黒い瘴気の源はこの呪印だった。
禍々しさに生理的な嫌悪感を覚え、寧々の肌が粟立つ。
「寧々さん、お願いします」
千晃に声をかけられ、寧々は我に返った。
見入っている場合ではなかった。
寧々は唇を引き結ぶと、羽々斬に霊力を流して青白い光の刃を出現させる。
「本当に適合者なんですね」
千弘が感動した表情でつぶやいた。
羽々斬では生身の人間は斬れない。
一応自分の体で確認済だが、人に向けるといけないことをしている気持ちになる。
でもやらなければいけない。
寧々は意を決すると、千弘の前に移動して声をかけた。
「千弘様、斬りますね」
「はい。お願いします」
千弘が承諾したのを確認してから、寧々は光の刃を呪印に突き立てた。
その途端ガラスが割れるような破砕音が響き渡り、羽々斬を突き立てた場所から瘴気が一気に吹き出した。
瘴気は蛇のようにとぐろを巻き、強い風を巻き起こす。
あらかじめ千晃から貰い、制服のポケットに入れておいた護符から金色の光が迸り、瘴気が直接体に触れるのを防いではくれるが、風圧はそのまま寧々に襲いかかってきた。
「きゃあっ!」
寧々はたまりかねて悲鳴を上げながらよろめいた。
その体を誰かの手が支えてくれる。
「おそらく返しの風です」
手の持ち主は千晃だった。
彼は寧々を庇うように抱き寄せながら発言した。
「千弘様っ!」
貴子の声が聞こえたので、瘴気の中心点にいる千弘を見たら、左胸を手で押さえ、苦悶の表情を浮かべていた。
「貴子、大丈夫だから来るな……」
千弘は貴子に向かって脂汗を流しながらも笑みを浮かべた。
「貴子様、おそらく反動が来ているだけです」
晃成もまた貴子を制止する。
「ああ、術者のところに返りますね」
冷静に成り行きを見守っていた千晃がつぶやいた。
彼の言う通り、瘴気はうねりながら窓から外へと出て行った。途端に風が治まる。
千晃は寧々を解放して手を伸ばすと何かの神術を使い、指先に青紫の翅を持つ蝶を出現させた。おそらく式神だ。
「瑠璃、追え」
彼は庭から上空へと向かった瘴気に向かって蝶を放った。
その直後である。
至近距離に雷が落ちたかのような爆音が聞こえて地面が揺れた。
寧々は悲鳴を上げてその場に蹲る。
「御常御殿だ……」
千晃が青ざめた表情でつぶやいた。
「兄上、瘴気が向かった先は御常御殿です! 屋根が崩落して酷い状態に……」
(御常御殿って……)
一花に頼んで予習をしておいたから知っている。皇帝が日常生活を送る建物だ。
「どういう事ですか!? まさか陛下の近侍の誰かが……」
晃成が尋ねた。
千弘も貴子も驚いた表情を千晃に向けている。
「…………瓦礫の中に瘴気の塊が……っ、ぐっ!」
発言の途中で千晃は目元を手で押さえてその場に膝を付いた。
「千晃様!?」
寧々は苦しげな表情をする千晃に駆け寄る。遅れて晃成もこちらにやってきた。
「瑠璃がやられた」
千晃の発言に晃成は目を見張った。
その直後である。小夜が室内に飛び込んできた。
「千晃、衝撃が私にも来たわ! 羽虫がやられたの!?」
「小夜……御常御殿に行かないと……」
よろめきながらも千晃は立ち上がった。
顔色が酷く悪い。寧々は思わず彼の背中に手を添えていた。
「わかった。同行するわ」
小夜は千晃を見上げた。
「私も行こう」
貴子に体を支えられた千弘が告げると、その場の全員が驚いた表情をした。
「こんなにふらついていらっしゃるのに……! 無理です!」
貴子が大声で叫んだ。
「立場上多少無理をしてでも行かなければ。私は東宮なんだ」
千弘の発言に貴子はぐっと押し黙った。
「……千弘、私を受け入れて」
発言したのは小夜である。
「私が憑依してあなたの体を動かす。少し休んだ方がいいわ」
「……小夜に私の代理が務まるかな?」
「あら、私を誰だと思ってるの? 化かすのは得意よ」
「言われてみればそうだ」
千弘は微苦笑を浮かべた。
「任せた」
「ええ」
小夜は返事をすると千弘に飛びかかった。
黒猫は千弘の中にすうっと消える。
「貴子殿、小夜がボロを出さないよう付き添いをお願いします」
千晃の依頼に貴子は頷いた。一方で千弘は顔をしかめる。
「信用ないわねぇ……」
千弘の声だが中身は小夜なのだとわかる。
「心配でも任せるしかないようです。行きましょう」
貴子が促した。
「危険かもしれませんが寧々さんも来てくださいますか?」
千晃に依頼され、寧々は頷いた。
彼のためならなんだってする。その気持ちは今も変わらない。




