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ルルの幸せ

 ―――幸せだった。私はきっと、幸せだった。


 私が生まれたのは、小さな村の、小さな家の、ごく普通の家族の下。犬の獣人として、私はお父さんとお母さんに愛されながら生まれて来た。

 物心付いた時には、ちょっと怖いけど優しいお父さん、優しくていつも笑顔だったお母さん、そして私よりも小さい妹が1人、そこに私を加えた4人家族が私の世界だった。


 いつも、毎日が幸せだった。


 普通に同い年の友達が居て、普通に外で駆け回って、普通に家に帰れば笑顔で迎えてくれる両親がいて、まだ物心付いていない妹が両手をぺちぺち叩いている。お母さんの美味しいご飯を食べたり、お父さんの大きい背中におんぶして貰ったり、幸せだった。

 本当に本当に、この時間が何時までも続けばいいのにって思う位に……幸せだった。


 でも、日常に変化が訪れたのは突然だった。私達の村に、人間達がやってきた。今考えれば分かることだけれど、アレは所謂、犯罪者ギルドと呼ばれる、冒険者でありながら犯罪を好んで行う者達だった。

 彼らは、私達の村のありとあらゆる物を奪い去って行った。お金も、食料も、命も、人も、何もかもを略奪していった。今でも思い出すと、身体が震える程怖い。あの時の彼らは……凄く、凄く怖い存在に見えた。


 傷だらけで殴られた痕のある友達が、檻に入れられているのを見た。


 村の男の人達が、血の海に沈んでいるのを見た。


 私を護ろうとしたお父さんが、切り裂かれるのを見た。


 妹と私を逃がそうとしたお母さんの首が、地面に落ちるのを見た。


 そして、私と妹を含め……獣人の子供達は全員檻に入れられた。抵抗すれば殴られ、その痛みと力の差に、私達子供は怯えることしか出来なかった。結局、私に出来たのは……お母さんから渡されたまだ幼い妹の身体を、彼らから護る様に抱き締める事だけ。

 気付けばとめどなく涙を流していた。悔しかったのか、悲しかったのか、絶望していたのか、良く分からない涙だった。とにかく、私には何も出来なかった。


 そして最後には私の手の中からするりと、妹までもが奪い取られた。


 それから、私は奴隷として商品になった。もう眼に見える何もかもが怖くて、自分に何も残っていない事が嫌で、何時死んでしまうのかも分からない暗闇から逃げられなくて、感情を持っているのが辛くて、黙って震えているしか出来なかったのが、あの頃の私。


 間違いなく、あの時の孤独は―――私の絶望だった。


 でも、奴隷になってからどれほど時間が経った時だろう。

 私を包み込む暗闇の中に、もう1度……幸せの光が差した。私を買う人間が現れた、そうきつね様だ。


 きつね様と一緒に居る時間は、きっと私の人生の中で……最も幸せな時間だった。最初は私を虐げるんだろうと思っていたあの人は、私に幸せをくれた。失った筈の家族になってくれた。私を、家族にしてくれた。

 我儘を聞いてくれて、優しく頭を撫でてくれて、美味しいご飯を一緒に食べてくれて、私に色んな物をくれた。


 本当に、本当に……幸せだった。


 お父さんが死んで、お母さんが死んで、妹も何処かで奴隷として売られたかもしれない、もう家族なんていない、そんな真っ暗な未来しかなかった私に、最後の最後で幸せが訪れた。

 フィニア様に向ける優しい笑顔が好きだった、私の頭を撫でてくれる手の温もりが好きだった。きつね様と過ごす、フィニア様と過ごす、他愛のない日常が好きだった。これ以上ない程の、幸せだった。


 でも、そんな幸せは皮肉にも……皆に幸せを齎す『勇者』によって引き裂かれた。

 きつね様が、死にそうなほどボロボロになって、戦っていた。私には、また何も出来なかった。見ていることしか出来なかった。どれだけ伸ばそうと、私のちっぽけな手は届きはしなかった。

 だから、身を引き裂かれる様な思いだったと思う。きつね様が……私と、フィニア様を、勇者の下へと行かせる決断をするのは。

 迎えに行く、必ず取り返す。だから、待っていて欲しい……そう言って、私とフィニア様を手放す決断をしたきつね様の顔は、いつもの薄ら笑いなのに……凄く、今にも泣きそうなほど、辛そうだった。心が、泣いているのが分かった。


 ―――あの時、村を襲われた時の私と同じ顔だと思った。


 だから、私はきつね様を信じた。私はきつね様にだけは、私と同じ絶望を味わって欲しくなかったから。

 勇者の下へ行って、きつね様が迎えに来るのを待つ事にした。そして誓った、強くなって……今度は私がきつね様を護ることを。もう、泣かないことを。弱い自分から、変わることを。


 でも、私はきつね様に会う前に……巫女によって刺された。

 心臓を穿たれ、きつね様と再会することなく死という現実を与えられた。視界がぼやけ、フィニア様の泣き声が聞こえた。


 ―――ああ、泣かないでください……フィニア様


 そう言おうとしたけれど、口は動いてくれない。熱い血が、喉を埋め尽くしている。視界が真っ暗になっていき、そして意識が遠のく。

 死にたくなかった。まだ、私はきつね様になにも返せていない……貰った分の幸せを、返せていないから。このまま死ぬなんて……そんなの、あんまりじゃないか……酷いじゃないか……私はただ、きつね様達と普通の日常を送れればそれで良かったのに。


 この世界は残酷過ぎる。私を産んでおきながら、両親を奪い、妹を奪い、希望を奪い、失った家族という存在を得たと思ったら、それすらも奪い、最後はこうして再会すら許してくれないなんて。


 でも、遠のく意識の中で……一瞬、きつね様の声が聞こえた気がした。左手に、何か温もりを感じた。知っている、温もりだ。きつね様の、温もりだ。


 ―――きつね様……来て、くれた


 最後の最後で、幸せが訪れた。視界は真っ暗で、身体の感覚なんてもううっすらとしか感じられなかったけれど、それでも傍にきつね様が居ることを感じられた。


 この温もりを感じながら死ねるのなら……それもまぁ、悪くはないかもしれない。


 だから、きつね様……最後に1つだけ、言わせて下さい。



 ―――私は、貴方に会えて幸せでした。きつね様




 ◇ ◇ ◇




 ―――……目を覚ました。最初に目に入って来たのは、木で出来た天井。


 見た事のある天井で、直ぐに勇者様達と泊まった宿だという事が分かった。そしてそれを理解して、困惑する。だって、あれは夢なんかじゃなかった筈……胸を刺された痛みは今もはっきり思い出せるし、傷だって……あれ?


「傷が……ない?」


 服には刺された跡が無く、胸にも傷跡1つ存在してない。これはどういうことだろう? まさか、本当に夢だった……?

 ふと思い出そうとして頭に触れると、そこにはあった筈のお面がなくなっていた。ハッとなって、慌てて周囲を探す。アレは、きつね様の宝物で……フィニア様の命、一体何処に―――ッ!

 

 そこまで考えて、気が付いた。


「フィニア様は……?」


 フィニア様の姿が無い。きつね様と別れてから、何処へ行くにも一緒にいた筈のフィニア様がいなかった。そして、私は最悪の展開を思い浮かべてしまう。

 お面が無い、フィニア様もいない。そしてあの巫女に刺されたことが夢ではなかったとしたら……あの巫女にお面は破壊され、フィニア様は―――……!


「ッ……!」


 こうしてはいられない。ベッドから勢いよく立ち上がり、地面に足を付ける。急いで探しに行かないと……! フィニア様が死んでしまったかもしれない。お面が壊されてしまったかもしれない。そんな焦りばかりが募る。

 扉へと歩き出そうとして、身体がいつもより重くなっている事に気が付いた。足がふらつき、前のめりに倒れてしまった。なんだ? 身体が思った様に動かない……まるで、身体能力が格段に落ちてしまった様な感覚。


 何がどうなって……でも、そんなこと考えている暇はない。早くフィニア様の無事を確認しに行かないと……それでもしもフィニア様が死んでしまったとしたら、あの巫女を殺して……!


「あれ? 駄目だよルルちゃん、安静にしてなきゃ。治ったとはいえ、刺されたんだし」

「え……?」


 すると、うつ伏せに倒れた私の頭上から、聞き覚えのある声が降ってきた。フィニア様の物でも無く、勇者様達の物でもない。

 でも、私のことを『ルルちゃん』と呼ぶのは……フィニア様と勇者様以外には、1人しかいない。私の事を家族と言ってくれた、家族にしてくれた、あの人しか。


 でも、いや、しかし、だって、あの人が此処に居る筈がない。


 私は、恐る恐る顔を上げた。ゆっくりと視界に目の前に立っている人が入って来る。


 黒い靴が見えた。


 黒いズボンに包まれた足が見えた。


 黒い服に包まれた身体、前を留めているボタンがキラキラと輝いている。


 吊りあがった口端が、不気味な薄ら笑いを浮かべていて、両眼で色の違う瞳。


 なにより、肩の上にフィニア様を乗せ……頭にはあのお面を付けているこの人は……!


「きつね……様」


 夢なら覚めないで欲しい。遂に、遂に、私達を迎えに来てくれたのですね……きつね様。

 肩の上でにぱっと笑顔を浮かべているフィニア様。その笑顔だけで、この現実を信じられた。ふらふらと手を伸ばして、きつね様の身体に触れた。触れる……幻覚じゃない、夢じゃない。


 この人は間違いなく、私の家族で、大切な―――きつね様だ。


「うん、迎えに来たよ。ルルちゃん」

「きつね、様……きつねさまぁ……うわっ……ぁ……っ……!」


 きつね様の手が、私の頭を撫でた。瞬間、ひくっと嗚咽が漏れる。そして、ボロボロと涙が頬を伝った。泣かないと決めていたのに、きつね様の温もりが懐かしくて、嬉しくて、涙が止まらない。胸の中から溢れる様に、いっぱい、いっぱい溢れ出て来る。


 すると、きつね様は苦笑して私を抱きしめてくれた。


「待たせてごめんね……良く頑張ったね、ルルちゃん」

「うっ……ひくっ……ぎ、つねさ……ま……うわぁああぁあああああぁん!!」


 ぽんぽん、と優しく背中を叩くきつね様の手。もう、我慢なんて出来なかった。

 私は、大声を出して泣いた。きつね様の服が私の涙で濡れてしまう、でも気にしてはいられない。これまでの寂しさを埋める様に、私はきつね様を力一杯抱きしめて、その胸で涙を流した。

 きつね様の匂いと、全身で感じられる温もり、それが幸せ過ぎて……もうどうにでもなってしまいそうな感覚でいっぱいだった。



 やっぱりそうでした……やっぱり私は、貴方に会えて幸せです―――きつね様。



巫女の話で溜まった怨念を大天使ルルちゃんが浄化しました。


うぐぁあああ!!? こ、心が浄化されていく……ぐああああああッ!!



ああ……この世界が平和になりますように―――


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