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第9話  崩れゆく椅子

磯崎浩一、29歳。営業部長。


朝のデスクで、反省書を睨みつける。


あの九条常務から、直接言われた言葉が耳に残る。


「あなたは、反省書を提出しなさい」


冷たい声。いつもの完璧な女帝の視線。


高校時代、俺は九条べにに告白した。


「好きです」って、勇気を出して言ったのに、彼女は淡々と「考えさせて」と返事して、結局何もなかった。


それでも、俺は彼女を追いかけた。


同じ大学を目指し、九条コーポレーションに入社した。


ようやく、部長にまで上り詰めた。


営業部全体では二百人余り。


その一角を任される部長として、俺はここまで来た。


失敗係みたいな雑魚を踏み台にして、俺はここまで来た。


なのに、今。


すべてが、崩れ始めている。


あの大型プロジェクトのトラブル。


俺の指示ミスだったのは、認める。


取引先のメールを無視して、強引に進めた。


だが、いつもなら部下に押し付けて、なんとかなった。


失敗係の奴に「君の確認不足だ」って言えば、周りも笑って済ませてくれた。


なのに、今回は違う。


九条常務が、直接介入してきた。


しかも、あの失敗係のミスじゃないって、はっきり言った。


「磯崎のせいだ」


周りの視線が、変わった。


会議室で、部下たちが俺を見る目が、冷たくなった。


「おい、磯崎部長。反省書、どうすんの?」


隣の課長が、ニヤニヤしながら聞いてくる。


「うるせえよ。知らねえよ」


俺は舌打ちして、立ち上がる。


廊下で、田所がすれ違う。


「おはようございます、部長」


いつものように、へらへら笑っていた奴が、今日は目を逸らした。


・・・・なんだよ、それ。


最近、失敗係の奴が、妙に言うことを聞かなくなった。


昨日も、資料の修正を頼んだら、


「部長、それ取引先の了承取ってますよね?前回のメールで『変更不可』って書いてあったやつですけど」


って、平然と返してきた。


周りの奴らが、くすくす笑った。


俺の顔が熱くなった。


「細かいこと言うなよ。早くやれ」


そう言ったが、奴は「了解です。でも、了承取らないと後で揉めますよ」って、さらっと言ってのけた。


・・・・生意気な。


あいつ、最近変わった。


以前は、ただ俯いて「すみません」って言うだけだったのに。


今は、俺の指示に、ちゃんと確認してくる。


しかも、それが正しいことが多い。


おかげで、俺のミスが目立つ。


「磯崎部長、最近調子悪いっすね」


加藤が、昼休みに言ってきた。


「失敗係にまで突っ込まれてるって、ウワサですよ」


「ウワサ?」


俺はコーヒーをこぼしそうになった。


「ええ。なんか、九条常務が失敗係を目にかけているらしいっすよ。常務室に呼ばれて、二人で話してたって」


・・・・まさか。


九条常務が、あの失敗係を?


ありえない。


あいつは、33歳の冴えないサラリーマンだ。


安月給で、残業ばかり。恋人もいないらしい。


俺が「失敗係」って呼んで、周りも笑っていたのに。


なのに、九条常務が?


「おもしろくないな」


俺は独り言を呟いた。


すべてが、うまくいかない。



午後の会議。


俺はイライラを抑えきれなかった。


「この資料、誰が作ったんだ!こんなミスだらけで、どうすんだよ!」


部下の一人が、縮こまる。


「す、すみません・・・・」


「すみませんじゃねえよ!やり直せ!今すぐ!」


声を荒げた。


周りが、静かになった。


田所が、小さく舌打ちした気がした。


加藤が、目を逸らす。


・・・・なんだよ、みんな。


俺が部長だぞ。


俺が、トップだぞ。


なのに、なぜ。


会議が終わって、デスクに戻る。


スマホが震えた。


妻からだ。


〈今日も遅いの?子供が待ってるよ〉


返事する気にもなれなかった。


最近、家でもイライラしてしまう。


子供に当たったり、妻に八つ当たりしたり。


すべてが、悪循環だ。


夕方、失敗係の奴が、資料を持って来た。


「部長、これで大丈夫ですか?取引先の確認、取りました」


奴の目が、まっすぐだ。


以前は、俯いていたのに。


「・・・・・・・・ああ、いいよ」


俺は、投げやりに言った。


奴は、軽く頭を下げて去っていく。


その背中が、妙に堂々と見えた。


・・・・おかしい。


あいつが、俺より上に見えるなんて。


夜、オフィスで残業する。


反省書を書くためだ。こんなところ、誰にも見せられない。


九条常務に提出するもの。


「私の指示ミスにより・・・・」


指が、震える。


高校時代、俺は後輩だった九条べにに憧れた。


完璧で、美しくて、誰も逆らえない。


彼女の隣に立ちたかった。


なのに、今。


彼女は、あの失敗係を・・・・。


噂は、広がっていた。


「九条常務、最近あの失敗係とよく話してるらしいよ」


「常務室に呼ばれて、二人きりで」


「もしかして、常務のお気に入り?」


部下たちの会話が、耳に入る。


俺の評判は、落ちていく。


「磯崎部長、最近キレやすいよね」


「九条常務に怒られて、ストレス溜めてるんじゃない?」


「失敗係にまで負けてるし」


・・・・負けてる?


俺が、あいつに?


ありえない。


だが、現実だ。


プロジェクトは、失敗係のフォローで、何とか収まった。


取引先から、「あの担当者、しっかりしてるね」って、褒められたらしい。


担当者は、失敗係だ。


俺じゃない。


胸が、焼ける。


すべてが、崩れていく。


・・・・おかしい。


すべてが、おかしい。


俺の人生が、狂い始めている。


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