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第3話  「とても支えになりました。ありがとう」

翌朝。


電車の中で、俺は昨夜のエクレアとの会話を思い返していた。


『相手が嘘をついているかどうかがわかりますよ』


それだけで、十分だった。


会社に着くと、いつもの空気が待っていた。


「おはよう、失敗係くん!」


田所がニヤニヤしながら近づいてくる。


「昨日も部長に怒られてたよね?あの資料、結局俺が直したやつだろ?」


いつものパターンだ。


俺のミスじゃないのに、全部俺のせいにされる。


今までは「すみません・・・・」と俯くしかなかった。


だが、今日は違う。


耳元で、エクレアの声が小さく響く。


——ご主人様。あの人は、嘘をついておりますわ。


——本当は、自分が直したのではなく、加藤先輩に押し付けて直してもらったそうです。


俺は息を吸って、初めてまっすぐ田所の目を見た。


「・・・・いや、田所くん。あの資料、直したのって加藤さんだよね?」


一瞬、田所の顔が強張る。


「は?何言ってんの、俺が——」


「いや、加藤さんが『田所に頼まれたから直した』って、昨日俺に言ってたよ。覚えてない?」


もちろん、そんな会話はなかった。


だが、エクレアが教えてくれた”田所の嘘”を、俺はただそのまま口にしただけだ。


田所は言葉に詰まり、視線を逸らす。


「・・・・まあ、どっちでもいいじゃん。失敗係の仕事は失敗することだし」


いつもの捨て台詞。


でも、声が少し震えていた。


周りの笑いも、昨日より小さかった。


次に磯崎部長が会議室から叫ぶ。


「おい失敗係!昨日の修正、まだかよ!」


俺は立ち上がりながら、静かに答えた。


「部長、昨日の修正指示、全部終わってます。メールで送りましたよね?」


「はあ!!?」


——あの方も、少し嘘をついておりますわ。メールは確かに見ておられますが、ちゃんと読んでおられないだけです。


「『これでOK』って返信いただいたやつです」


エクレアの囁きが、俺の背中を押す。


部長が一瞬、眉をひそめた。


「・・・・ああ、そうだったか。まあいい、早く次の仕事やれ」


いつもの威勢は、少しだけトーンダウンしていた。


大したことじゃない。


ただ、嘘を見破られた相手が、少しだけ気まずそうにしただけ。


でも、俺にとっては初めての“やり返し”だった。


胸の奥に、小さな火が灯った。


——ご主人様。よくできました。すばらしいですわ


エクレアの声が、甘く優しく響く。


——これから、もっとお力になれますように。


俺は小さく息を吐いて、デスクに戻った。


今日は、ほんの少しだけ、違う一日になりそうだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


終電一本前。


俺はいつものコンビニに入った。


「いらっしゃいませ」


レジに立っていたのは、店員の早乙女さん。


二十代後半くらいだろうか。


少し疲れた目をしているのに、客に向ける笑顔はいつも柔らかい。


弁当とサラダ、栄養ドリンクをレジに置く。


ピッ、ピッ。


「・・・・今日も遅かったんですね」


不意に、そう言われた。


「まあ・・・・」


それ以上、言葉が続かない。


「・・・・無理、してませんか」


胸の奥が、わずかに揺れた。


責めるトーンではなく心配が前面に表れた声だ。


会計を済ませ、袋を受け取る。


「ありがとうございました」


そのまま出ようとして、


「・・・・あの」


呼び止められた。


早乙女さんは、レシートの裏を差し出してくる。


「今日のお弁当、塩分強いので・・・・これ、あとで飲むと少し楽になります」


そこには、スポーツドリンクの名前と、短い一文。


“寝る前に、深呼吸だけでも。吐く方を長く”


「変ですかね・・・・」


「いや」


俺は素直に言った。


「・・・・ありがとう。助かる」


彼女は一瞬驚いて、それからほっとしたように笑った。


——ご主人様。


耳元で、エクレアの声が響く。


——この方は、もともと人の役に立ちたい。喜んでもらいたいと願っている方のようですよ。


あんなふうに人から心配の目を向けられるのは久しぶりだ。


だからだろうか、その夜、俺は家で言われた通りに深呼吸をした。


吐く息を、長く。


不思議と、頭の重さが和らぐ。


翌日も、気付けばまたそのコンビニに足が向いていた。


「いらっしゃいませ」


「あ・・・・昨日の」


向こうから声をかけてきた。


「アドバイス、役に立ちました?」


「・・・・ああ。ちゃんと寝れた」


それを聞いた瞬間、彼女の表情が、はっきりと明るくなった。


——ご主人様。


——今、この方は「自分が役に立てた」と、喜んでおられます。


そっか。


俺も彼女が喜んでくれたら嬉しい。


すると、不意にエクレアが、


——この方は、どうやら「支えになれた」という表現がもっとも喜ぶようですよ。


会計の途中、早乙女さんは棚から小さなゼリー飲料を取って、そっと差し出した。


「今日の新作なんです。胃に優しいって聞いたので、良かったら・・・・」


俺は一瞬、迷ってから首を振る。


「・・・・ありがとう。でも、今日は大丈夫です」


こんなにまで気遣ってくれる彼女に喜んでもらえたらと思い、俺はさきほどエクレアから聞かされた言葉を使ってみることにした。


「その気遣い、とても支えになりました。ありがとう」


そう言った瞬間、彼女の身体がビクッと震えた気がした。


けれど何事もなかったように、少し驚いた顔をして、それから、恥ずかしそうに笑った。


「そう言ってもらえるだけで、嬉しいです」


店を出た。


夜風が冷たいが、足取りは軽かった。



そんな俺の後ろ姿を見ながら、彼女は、


「なぜかしら。支えになっていると言われた瞬間、彼がもっと喜ぶ顔を見たくてたまらない」


エクレアが彼女を見つめる。


——ご主人様は、彼女に喜んでほしいと願われました。


エクレアは、早乙女を静かに見つめる。


——ですので、その願いに応える力を、ほんの少しだけ後押ししました。行動に移したいという気持ちを、わずかに増幅させたのです。


——きっと、少しずつご主人様のために動きたくなるでしょう。


そうつぶやくエクレアの声は、俺の耳には届かなかった。


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