第8話 「運も、実力の内」
午後のオフィスは、静かだった。
別の上司——人事部長の部屋に呼ばれた。
ドアを開けると、部長が柔らかい笑みを浮かべて俺を迎えた。
「座ってくれ。いい話だ」
テーブルの上に、異動通知の書類が置かれている。
「△△△支社長への就任打診」
東北出張で成功させた土地買収の件。
地元の有力者との難航交渉を、一日で終わらせたことが社内で高く評価されたらしい。
「君の判断力と実行力が決め手だ。九条常務のコネではなく、君自身を見ての判断だ。ぜひ、支社長として社を支えてほしい」
部長の目が、真剣だ。
俺は胸が熱くなった。
これまで、誰かに押し付けられ、誰かに笑われ、誰かに守ってもらっていた。
でも今、俺自身が評価されている。
嬉しかった。
それでも、すぐに頷けなかった。
「・・・・少し、考えさせてください」
部長は困った顔をした。
「わかった。急かすつもりはないが・・・・社としても、君を必要としているんだ」
部屋を出ると、廊下で深く息を吐いた。
——ご主人様。
エクレアの声が、耳元で優しく響く。
——この度の活躍は、ご自分の力ではないとお思いでしょうか?
ぎくりとした。
エクレアには、すべて見透かされている。
「あの霧島さんの名前を出したからうまくいったと思う。俺自身は何もしてない・・・・」
——わたくしも何もしておりません。あの方との出会いは、縁です。言い換えると運とも言えましょう。
——運も、実力の内です。
エクレアの声が、穏やかだが力強い。
——どうか、ご自分を責めず、大事にしてくださいませ。
俺は目を閉じた。
そうだ。
霧島玲に声をかけられたのも、名刺を受け取ったのも、俺がそこにいたから。
運を掴んだのは、俺自身だ。
「・・・・わかった。受けるよ」
エクレアの声が、優しく響く。
——よくご決断なさいました。ご主人様。
その日の夕方、俺は人事部長に連絡を入れた。
「支社長、受けます」
部長の声が、弾んだ。
「ありがとう!すぐに手続きを進める」
本社からの移動。
新しい人生の始まりだ。




