8.その作戦一瞬で崩壊
ゴオオオ
という微かな駆動音だけを残し、飛空船は驚くほど静かに夜の空を滑るように進んでいく。
(この飛空船、あれだけの巨体なのに全然音を立てずに飛行するんだな。一体どういう仕組みなんだろ……)
無機質な機内の天井を見上げながらそんな疑問を浮かべていると、対面の席に座っていた女性が、俺の顔を覗き込むようにして声をかけてきた。
「どうも、一ノ瀬はん。うちは清乃女七菜香言います。どうぞよろしゅう頼みますな」
清乃女と名乗った彼女は、さっき地下訓練場で目にも留まらぬ双剣捌きを見せていた女性だった。茶髪を綺麗なおさげ髪に結い、やたらと古風な京都弁でふんわりと微笑む。
「あ、えと……こちらこそよろしくお願いします。皆さんの足を引っ張らないよう、精一杯気をつけます!」
緊張のあまり少し硬くなって返すと、すぐさま横から鋭い言葉のジャブが飛んできた。
「当たりめえだクソガキ。お前は大人しく後ろで指くわえて見てろ」
シャワー室で最悪の出会いをした、あの十和田真一さんだった。相変わらず凶悪な大鎌を抱えたまま、蛇のような目で俺を睨みつけている。
「まあまあ兄貴、タクマは今回完全な後方見学だから、誰の迷惑にもならないよ。な?」
すかさず、斧槍を握った弟の真二くんが苦笑いしながらフォローに回ってくれた。
(相変わらず真一さんは容赦なくて怖いな……。でもこれで名前が一致したぞ。双剣の人が清乃女さんってことは、あの長刀を背負った冷徹な人は長月さんだ)
視線を少しずらすと、長月さんはさっきからずっと腕を組み、静かに目を閉じたまま微動だにしていなかった。
「あれは時雨ちゃんの戦闘前のルーティンだよー。瞑想中だから、今は絶対に邪魔しちゃダメー」
俺が不思議そうに長月さんを見つめているのに気づいたのか、如月さんが小声で教えてくれた。
「そうなんですか……なんか、独特な雰囲気の人ですね」
(長月時雨さん、っていうのか。それにしても『時雨ちゃん』って、あの近づき難いオーラの人に対してずいぶん親しげな呼び方だな……。あ、というか如月さん、いつの間にか普段のゆるい話し方に戻ってるや)
少しだけ緊張が解けた俺は、機内の奥に座るもう一人の人物について尋ねてみた。
「そうだ、如月さん。あの医療部隊の人、立花さんの隣にいるもう一人の方はどなたですか?」
「ああ、あの人は医療部隊の『隊長』の御剣零さんだよ。本来なら、緊急事態に備えて隊長か副隊長のどちらかは絶対にガイア本部に残るルールなんだけどね。今回は時雨ちゃんが出撃するから、万が一のためにね」
(……? 長月さん専属の医師ってことなのかな? でも、副隊長の立花さんじゃなくて、わざわざ医療部隊のトップである御剣隊長が直々に出張るってことは……立花さんだけじゃ手に負えない『最悪の事態』が起きる可能性があるってことか?)
UMA細胞の侵食、肉体の一体化。前に聞いたばかりの不気味な呪いが頭を過り、背筋が冷たくなる。
「――視認した! ターゲット、サイ型だ!」
前方に立つ三神隊長の鋭い声が、機内の空気を一瞬で戦場のそれへと変えた。
「このまま飛空船で一気に距離を詰め、降下接近ののち作戦を開始する!」
三神隊長の合図と共に、飛空船がガガガと高度を落とし、地上の目標へと急速に接近していく。
窓の外を見ると、そこにはビルをなぎ倒し、アスファルトを粉砕しながら暴れ回る、巨大なサイの化け物が鎮座していた。
降下可能な高さで戦闘の間合いに入れる距離まで来た瞬間、ハッチが開き、猛烈な突風が機内に吹き荒れる。
三神隊長は何の躊躇もなく、真っ先に対空へ向けて飛び降りた。清乃女さん、五十嵐さん、十和田兄弟、一切の無駄のない動きで次々とその後に続いて降下していく。
「さっ、あたしたちも行くよ、タクマくん!」
「はい!」
如月さんが飛び降り、俺もその後に続いて地表へと着地した。
今回の俺の任務はあくまで『見学』であり、如月さんも遠距離からの援護射撃がメインだ。そのため、俺と如月さんは前線から大きく離れた、安全な後方のビル影に身を隠して陣を構える。
前方の前線では、起点作りを担う三神隊長と清乃女さんが並び立ち、その後方を真一さん、五十嵐さん、真二くんの重量級メンバーがガッチリと固めていた。
ズウゥン……と、地響きのような静寂が街を包む。
ガイアのメンバーが着地した気配を察したのだろう。それまで猛り狂って街を破壊していたサイ型のUMAがピタリと動きを止め、その禍々しい巨大な一本角を、黙ってこちらへと向けた。
サイ型UMAの禍々しい瞳が、俺たちを明確な敵として捉えた。
「そのツラは……俺の邪魔をしようってツラだな、おいッ!」
空気をビリビリと震わせるような、凄まじい敵意がこちらへ向けて放たれる。
「そうだ。お前をここで討伐する」
三神隊長が冷徹に応じ、背負っていた鞘から2本の片手剣を同時に、流れるような動作で引き抜いた。
(……え!?)
俺はビル影から身を乗り出し、驚愕して如月さんに尋ねた。
「如月さん、隊長が今2本の剣を抜きましたよね!? でも、背負ってた鞘はどう見ても一本分しかなかったはずじゃ……! もう一本はどこから出したんですか?」
「あ、気づいた? あれはねー、二つの鞘をぴったり重ねて合体させて、一本の鞘に見せてる特殊な構造になってるんだよー」
如月さんはスコープを覗いたまま、手慣れた様子で解説を始める。
「外側に普通の長さの剣を、内側に短い方の剣をしまっててね。内側は死角になって外からは見えないから、一本しか持っていないように錯覚させてるの」
「なるほど……それで一本に見せてるんですね。でも、合体してるなら抜く方向が同じで抜きにくくないですか? 柄が2本分あったら、結局2本あるってバレちゃいますし……」
「それがね、見えてる外側の剣は、上から引き抜けるように背負ってるでしょ? でも、内側にある短いもう一本は、柄が『下』を向いてるんだよ。そのまま下から左横にスライドするように抜けるの。内側の鞘は『コの字型』になってて、刃が付いてない刀身側が剥き出しになってるから、横に引っ張るだけで一瞬で抜刀できるようになってるんだー」
さらに、短めの剣の柄は、普段はバタフライナイフのように折り畳まれて露出しない仕組みになっているのだという。だからこそ、必要な時以外は完全に一本の剣にしか見えないのだ。戦闘のプロとしての凄まじい工夫に、俺はただただ感心するしかなかった。
「――総員、作戦開始!!」
三神隊長の鋭い号令が響き渡る。その瞬間、全員が一斉にそれぞれの武器を構えた。
清乃女さんが左右対称の美しい二本の双剣を閃かせ、右手に長剣、左手に短剣を逆手に構えた三神隊長と同時にフロントラインへと突っ込んでいく。
二人の動きは人間の領域を遥かに超えていた。サイ型UMAの巨体では、その超高速のステップを捉えきれない。
三神隊長の一撃はまさに紫電一閃――稲妻のように鋭く素速く敵の肉を切り裂く。
清乃女さんの動きは行雲流水――流れる川のように滑らかに緩急をつけて敵を翻弄していく。
二人は凄まじい連撃で何度もサイ型の足元を斬りつけた。……しかし、敵の皮膚が硬すぎる。浅い傷はつけられても、巨体をよろめかせて大型武器メンバーが突っ込むための「隙」を作るには至らない。
「ちっ……ちょこまかとうざってえ奴らだな。だったら、こうだ!!」
サイ型UMAがグッと姿勢を低くし、四肢の筋肉に爆発的な力を込めた。
その前兆を見た瞬間、三神隊長の顔色が変わる。
「奴の突進が来る、警戒しろ!!」
次の瞬間、サイ型UMAはその巨体からは想像もつかないほどの、恐ろしい弾丸のようなスピードで突進を繰り出した。
三神隊長と清乃女さんは、いつでも次の攻撃に移れるようある程度の距離を保っていたため、間一髪でその軌道から身をかわした。しかし――。
「が、はっ……!?」
後ろに控えていた五十嵐さんが、その圧倒的な質量の一撃をまともに喰らってしまった。大剣の構えが間に合わなかったのだ。
サイ型UMAは激突の感触を確かめると、そのまま巨大な一本角を天へと突き上げるようにして、五十嵐さんの巨体を強引に上方へと撥ね飛ばした。
大剣を抱えたまま、五十嵐さんの身体が宙を舞う。
「五十嵐さん!?」
前線のメンバーの視線が、一瞬だけ上空へと釘付けになった。
化け物はそのわずかな隙を見逃さなかった。
五十嵐さんを突き飛ばした勢いのまま、強靭な肉体で路面を踏み締め、その凄まじい反発力を利用して次のターゲットへと牙を剥く。
次に狙われたのは――斧槍を構えた十和田真二くんだった。
(しまった……! こいつ、予想以上に速い……! いや、純粋なトップスピードじゃない、瞬間的な爆発力が異常に高いのか!?)
ビルの影から見守る俺の目にも、三神隊長の判断が一瞬だけ後手に回ったのが分かった。
敵の予想外の突進速度に、あの隊長ですら一歩の出遅れを強いられている。三神隊長が必死に敵の性能を再分析し、指示を飛ばそうとしているが、すべてが遅かった。化け物の速度が、彼らの思考と行動のすべてを上回って先行していく。
真二くんの目の前に、死を運ぶ巨大な一本角が、一瞬で肉薄していた――。
化け物の次の凶刃が真二くんに向けられていると、誰よりも早く気づいた人物がいた。
それは三神隊長――ではなく、
「真二ィーーッ!!」
兄の真一さんだった。
真一さんは全力で地を蹴り、真二くんの身体を強引に突き飛ばした。その凄まじい怒号に、全員の視線が一瞬で引き戻される。
直後、真二くんを庇って身代わりとなった真一さんへ、サイ型の無慈悲な突進が激突した。けれど真一さんは間一髪、手にした巨大な大鎌を盾にするようにして直撃の威力を殺し、横へと大きく吹き飛んでいった。
「兄貴ィーーッ!!」
地面を転がった真二くんが、自分を庇って撥ね飛ばされた兄の姿に悲痛な叫びをあげる。
だが、化け物はその動揺すら冷酷に見逃さなかった。真一さんを弾き飛ばした勢いのまま即座に急制動をかけ、再び四肢に恐ろしい力を溜めて、今度こそ真二くんにトドメを刺そうと跳躍の構えを取る。
「馬鹿野郎! 敵から目を離すなッ!!」
三神隊長の鋭い声が響いた。
あのサイ型の突進には、一瞬だけ足に力を溜めるタメの動作が必要だ。その瞬間に足元を攻撃して体勢を崩せば、突進そのものを不発に終わらせられる――隊長は瞬時にそう判断し、神速の踏み込みでサイ型が踏ん張っている足へと、短剣は突き刺すようにして長剣で斬りつけた。
ギャリィィィンッ!
と火花が散る。
隊長の狙い通り、軸足を刻まれた化け物はバランスを崩し、最悪の二連続突進は不発に終わった。
バランスを崩すことに成功したが、大型武器メンバーは誰もこの隙をつくことはできなかった。
すかさず三神隊長は、恐怖で尻餅をついていた真二くんの襟元を掴み上げ、超高速のステップでサイ型から一気に間合いを引き離した。
「ふっ……本当にすばしっこい連中だな。だが、速いだけでは俺は倒せんぞ」
化け物は体勢を立て直すと、不気味に低く笑った。
「お前も、そこの小娘(清乃女)も、俺の皮膚を食い破るだけの攻撃力は持っていない。俺を殺せる可能性があるのは、さっき吹っ飛ばした大剣野郎(五十嵐)と大鎌野郎(真一)、そしてそこで震えている雑魚(真二)の大型武器持ちだけだ。そいつらを確実に仕留めればゲームオーバー。お前たちの敗北が確定する」
ゾクリ、と背筋に冷たいものが走った。
ただの獰猛な化け物じゃない。こいつは戦況を完全に俯瞰し、こちらの勝利の芽を一手ずつ確実に摘み取ろうとする、極めてクレバーな知能犯だ。
「……チッ、俺の判断ミスだ。こいつは見た目以上に頭が回る」
インカムから、苦渋に満ちた三神隊長の低い声が漏れ聞こえてくる。
「真二! 真一を抱えて即座に撤退しろ! 如月、五十嵐を回収して退避だ! 一ノ瀬、お前もすぐに飛空船へ戻れ! ――俺と清乃女で、死ぬ気で時間を稼ぐ!」
「おいおい、そう簡単に逃がすと思うなよ? お前ら全員、俺の極上の獲物だ。自分たちが『狩る側』だと傲慢に信じ込んでいたようだが……あいにく、俺の前では等しく皆、ただの『狩られる側』だ」
化け物の圧倒的なプレッシャーが、戦場全体を押し潰すように膨れ上がっていく。
(嘘だろ……。初めて間近で見た本物の戦線が、ここまで一瞬で圧倒的な不利に陥るなんて。本当にここから撤退なんてできるのか? 盾も武器もない俺はともかく……時間を稼ぐって言った三神隊長と清乃女さんだって、無事に逃げ切れるのかよ……!?)
目の前で突きつけられたあまりの絶望。五感を支配する戦場の恐怖に、俺の足はアスファルトに張り付いたように動かなくなっていた。逃げるという選択肢すら、もう化け物の手の中に握られているような気がしてならなかった。
――その時だった。
ストンッ。
俺のすぐ隣で、何かが軽やかに舞い降りたような、極めて静かな音がした。
驚いて視線を向けると、俺のすぐ真横を通り過ぎて、前線へと向かってゆっくりと歩き出す背中があった。
夜風にたなびく、天色の艶やかな美しい長髪。
その髪色と同じ、どこか神秘的な薄い青色のスーツを身に纏った、凛とした女性。
長月さんだ。
彼女は、狂暴なプレッシャーを放ち続けるサイ型UMAの正面へと、一切の気負いなく静かに歩み出ていく。
そして――それまでずっと閉ざされていたその瞼が、静かに、鋭く開かれた。




