39.未来へ繋ぐ真一の想い
俺は見て見ぬふりをして戦った。真一さんがUMAになる前にサソリ型を倒す。今は余計なことは考えるな、そう自分に言い聞かせた。
しかし。
刺された腹部から黒い血管のようなものが、少しずつ皮膚の下を這っていた。腕は次第に形を変えて皮膚も変色している。
次第に真一さんの動きにキレがなくなっていった。
「……そろそろか」
真一さんが小さく呟くいた後、真二くんが駆け寄る。しかし、真一さんは手を上げて止めた。
「近づくな」
「兄貴……?」
「俺の体……もう始まってる」
その言葉を聞いた瞬間、背筋が凍った。
「始まってるって……」
「UMA化だ」
真一さんは静かに言った。その言葉が洞窟の中に響く。
「……嘘だ」
真二くんが首を振る。
「そんなの……嘘だろ兄貴」
「真二」
真一さんは弟を見る。いつもの厳しい表情ではなく、優しい兄の顔だった。
「俺は今まで何度もUMAを倒してきた」
「……」
「でもな、俺はずっと戦う理由を間違えたくなかった。大切なものを守るために戦う。それだけは絶対に変えなかった」
真一さんの腕が震える。筋肉が異常に膨れ上がり、指先の形が少しずつ変化していく。
「兄貴……」
真二くんの声が震える。
「俺……何とかする」
涙を浮かべながら続ける。
「絶対助ける。だから——」
「真二」
真一さんが遮る。
「お前は昔からそうだ。自分より他人のことばっかり考える」
真一さんは少し笑った。
「でも、それは俺も同じだった。いつもお前のことばかり考えていた」
その言葉に、真二くんが黙る。
「だから、お前には俺みたいになってほしくない。もっと、自分を大切にしろ」
「……」
真一さんが俺を見る。
「タクマ」
「はい」
返事をする。でも、声が震えていた。
「一人で全部背負おうとするな。まるで、自分を見てるみたいでょ」
真一さんは俺にも笑って見せた。
「お前は自分が守ろうと必死になって、自分が傷つくことを引き受けようとする。でもな、それじゃいつか壊れる。今の俺みたいに」
胸を突かれる。まるで俺自身の弱さを見抜かれているようだった。
「真二のこと、頼んだぞ」
「……え?」
「お前なら分かるだろ」
真一さんは真二くんを見る。
「真二」
「……」
「最後まで一緒にいてやれなくて、ごめんな」
「兄貴……」
真二くんの目から涙が落ちる。
「そんなこと言うなよ……俺は……まだ兄貴に勝ってない」
真二くんはむせび泣きながら、声を震わせて叫ぶ。
「まだ教えてもらいたいこといっぱいあるんだよ……」
真一さんは少しだけ笑った。
そして。
一番聞きたくなかった言葉を口にする。
「もし俺が……俺じゃなくなったら」
真一さんの体が大きく震える。
「その時は、お前の手で終わらせてくれ」
「……!」
真二くんが息を呑む。
「できるわけないだろ……兄貴を……俺が……」
「できる」
真一さんは迷わず言った。
「お前ならできる。俺が信じた弟だからな」
その瞬間。
真一さんの体が大きく揺れた。
「ぐっ……!」
「真一さん!」
体の変化が一気に進む。皮膚の下を黒い線が広がる。筋肉が膨張し、骨格が変化していく。人間の体が、別の存在へ変わっていく。
「……くそ」
真一さんが歯を食いしばる。
「まだだ……まだ俺は……俺だ……!」
必死に抗っている。自分が失われていく恐怖と戦っている。
でも。
限界は近かった。
「真二……」
「タクマ……」
真一さんが最後に俺たちを見る。
「後は頼ん——」
——その瞬間。
真一さんの姿が大きく変化した。腕が異形へ変わる。背中の筋肉が膨れ上がる。顔の形が少しずつ崩れていく。
「兄貴!」
真二くんが叫ぶ。
「兄貴ぃぃ!!」
しかし。
返事はなかった。そこにいたのは。かつて真一さんだった存在、UMAだった。
「……」
沈黙が空間を支配していた。俺は動けなかった。頭が理解を拒否している。さっきまで話していた。笑っていた。俺たちを守ってくれていた人が。
「……嘘だ」
声が漏れる。
「嘘だろ……」
その時。
UMA化した真一さんが動いた。巨大な腕が振り下ろされる。
「危ない!」
真二くんが俺を突き飛ばす。さっきまで俺が立っていた地面が砕ける。そこにいたのは、もう俺たちの知っている真一さんではなかった。
「兄貴……」
真二くんが武器を構える。
でも、手が震えている。
「俺に……やれって言っただろ」
涙が流れる。
「分かってる。分かってるけど……」
真二くんは斧槍を握り直す。
「できるわけねぇだろ……!」
その様子を見ていたサソリ型UMAが笑う。
「素晴らしい」
岩の上から拍手が響く。
「これほど愚かで、美しい光景はない」
俺はこの生き物が何を言っているのか理解できなかった。
「仲間を想い、苦しみ、そして戦えなくなる」
サソリ型UMAは楽しそうに言う。
「これが人間の弱さだ。どれだけ力を求めても、どれだけ抗っても、最後には簡単にすべてを失う」
俺はこいつが何を言っているのか理解できずにいた。何を喋っているのかよくわからない。意味を持たない音を並べて発声している。そして次第にその音も、何も聞こえなくなった。
目の前の光景だけを見ていた。真一さん。
俺を認めてくれた人。
努力を見てくれた人。
戦う意味を教えてくれた人。
その人が、今、敵として立っている。
「……」
足に力が入らない。立てない。戦わなきゃいけない。
分かっている。
でも、心が動かなかった。
「タクマくん!」
如月さんの声が聞こえる。
「動け!!」
「……」
返事ができない。
俺は、また守れなかった。また大切な人を失った。守られるだけの存在。
そんな考えだけが頭を埋め尽くしていた。
そして。
真一さんだったUMAが、俺たちへ向かって歩き出した。一歩踏み出すたびに地面が揺れる。その姿を見ても、俺は動けなかった。戦わなければいけない。
分かっている。
でも、頭では理解していても体が動かない。
「タクマくん!」
また、如月さんの声が響く。
「立って!」
それでも、足に力が入らない。目の前にいるのは敵じゃない。
「……無理だ」
小さく呟く。
「俺には……」
その瞬間、真一さんだったUMAが腕を振り上げた。
「兄貴!」
真二くんが飛び込み、斧槍で攻撃を受け止める。しかし、力が違う。
「ぐっ……!」
真二くんの体が押し込まれる。地面を削りながら後退する。
「真二くん!」
如月さんが援護しようとする。しかし、真一さんだったUMAは如月さんの動きにも反応した。まるで戦闘経験をそのまま残しているように、最も効果的な動きを選択している。
「……」
俺はそれを見ていた。
違う、ただ暴れているんじゃない。真一さんが持っていた戦闘能力、判断力。それすら残っている。
だからこそ、余計につらかった。
「兄貴……!」
真二くんが叫ぶ。
「戻ってこいよ……!」
届かない。真一さんだった存在は、ただ目の前の敵を排除しようとしている。
「タクマくん!」
如月さんが叫ぶ。
「今やるべきことは何か、分かっているはずだよ!」
「……!」
真二くんが歯を食いしばって攻撃を抑えている。
分かっている。真一さんが最後に託したこと。
「兄貴……」
真二くんが構える。
「俺……まだ兄貴に認めてもらえるほど強くないけど」
震える声。それでも、武器を握る手には力が入っていた。
「約束する。絶対に強くなる」
真一さんだったUMAが迫る中、真二くんは走った。
「だから……!」
斧槍を振り上げる。
「安心して眠ってくれ!!」
激しい攻防が続く。真二くんは必死だった。攻撃を受け流し、避け、隙を探す。
でも、相手は真一さんの力を持っている。簡単には崩れない。それでも真二くんは諦めなかった。兄が最後に残した想いを。絶対に無駄にしないために。
そして、一瞬の隙。
真二くんは踏み込んだ。
ドスッ!
「兄貴……」
目から涙がこぼれる。
「今まで……ありがとう」
斧槍が心臓を射抜いていた。その一撃が、真一さんだったUMAの活動を止めた。
「……」
静寂が訪れる。
真二くんは動かない。ただ、その場に立ち尽くしていた。俺はそれを見ていた。
何も感じられない。悲しいはずなのに。悔しいはずなのに。胸の中が空っぽだった。
「タクマ……」
真二くんがこちらを見る。
でも。
俺は返事ができなかった。真一さんはもういない。その現実だけが頭の中に残っていた。
その時、体の奥で何かが蠢いた。
「……?」
UMA細胞を宿したスーツが震える。
次の瞬間。
黒い液体のようなものが、アメーバ状にスーツから溢れ出した。
「タクマくん……?」
如月さんが警戒する。
でも。
俺自身も何が起きているのか分からなかった。
(止まれ……)
腕で押さえる。しかし、止まらない。黒い流体がスーツの中から肩へ広がっていく。まるで生き物のように体を覆っていく。
「くそ……!」
抑えようとする。
でも。
心が折れていた。
守れなかった。
失った。
大切な人を。
また。
その感情が、UMA細胞を刺激する。黒い流体が体を包む。それは炎のように揺らめきながら、水のように形を変える。人間の姿を残しながら。人間ではない存在へ変わっていく。
「タクマ!」
真二くんが叫ぶ。
でも、声が遠い。
何も聞こえない。何も見えない。何も考えられない。
残ったのは失った悲しみ、怒り、苦しみ。そして、目の前の敵を壊したいという本能だけ。黒い流体が完全に体を覆う。俺はゆっくり顔を上げた。
サソリ型UMAを見る。奴は笑っていた。
「ほう……」
興味深そうに目を細める。
「こんな情報は聞いていない。それが貴様の本質か?」
俺は返事をしなかった。
いや。
できなかった。
口から出たのは人間の言葉ではなかった。
「……グゥゥ」
低い唸り声。自分の声なのに。自分のものではないようだった。
「タクマ……」
真二くんが呟く。
俺はサソリ型UMAへ向かって走った。考えていない。
ただ、壊す。それだけだった。
拳を振り抜く。サソリ型UMAは腕で受け止めた。衝撃で地面が砕ける。
「ぐっ、凄まじいな」
サソリ型UMAが笑う。
「力だけなら、先ほどまでとは比べ物にならない」
俺はさらに踏み込む。
拳。
蹴り。
噛みつき。
武器を使うことすら忘れていた。ただ本能のまま攻撃する。サソリ型UMAも受け流しながら反撃する。
巨大な腕。
鋭い爪。
尻尾。
互いの攻撃がぶつかる。
だが、サソリ型UMAは楽しそうだった。
「素晴らしい。脆弱な人間でも、理性を失えばこれほどの力を引き出せるとは。これが人間の強さか」
違う、そうじゃない。頭の片隅で何かが否定している。でも、届かない。
「タクマ!」
何度も何度も、誰かが俺を呼ぶ。
「戻れ!戻ってくれ!!」
なんだ?何も聞こえない。ノイズがする。
「お前までいなくなるな!!もう俺を置いていかないでくれ!」
その言葉がなんだか引っかかった。意味は分からない。音のする方を向いた。
暴走していた俺の体の動きが止まる。
「……」
真二くん。
その顔を見た瞬間。
記憶が蘇る。
真一さんの最後の言葉。
『タクマ』
『真二のこと、頼んだぞ』
俺は何をしている?
真一さんが最後に託したものを。
俺は今、自分から壊そうとしている。
「……チガウ」
黒い流体が揺れる。
「オレは……」
拳を見る。
異形になった腕。
でも。
その腕は、誰かを守るためにあるはずだった。
「おれは……」
真一さんの想いを受け取った。真二くんを託された。
「俺が……置いていくわけにはいかない」
黒い流体の動きが止まる。
「真一さんの想いを……」
力を込める。
「無駄にはしない!!」
その瞬間。
黒い流体が弾ける。体を覆っていたUMA細胞が徐々に引いていく。荒い呼吸をしながら、俺は膝をついた。
「はぁ……はぁ……」
戻った。
でも。
完全には戻らなかった。右腕を見る。そこには、燃え尽きた炭のような灰色の皮膚。ところどころ黒く染まった異形の腕。もう人間の腕ではない。パイルバンカーも飲み込まれてしまったのか、右腕には外骨格フレームもなくなっていた。
「……」
「タクマ!」
真二が駆け寄る。如月さんも銃を構えたまま距離を詰めた。
「戻ったのね!」
「……うん」
息を切らしながら答える。涙が止まらない。目の前には真一さんだったもの。もう動かない。血の匂いが漂う。
「……ごめんなさい」
小さく呟く。
そして、沈黙が流れた。




