11.肉体を蝕むUMA細胞
サイ型UMAの巨体が崩れ落ち、あたり一面に血の雨が降り注ぐなか、長月さんは血に染まった長刀を杖のようにして、辛うじてその場に立っていた。
呼吸は浅く、満身創痍という言葉すら生温いほどのボロボロの絶望的な状態だった。
(勝った……! 5メートルもあるあんな怪獣を、長月さん一人で倒しちまったんだ……!)
凄まじい衝撃と興奮で、俺の心臓は激しく波打っていた。生きていてくれたという純粋な喜びのままに、俺はビルの影から彼女の元へと駆け寄りそうになる。
「――こちら三神。サイ型UMAの討伐完了。これより帰還する」
インカムから響いた三神隊長の報告と同時に、隊長自身が弾かれたように長月さんの元へと駆け寄った。その緊迫した様子に、俺の足がピタリと止まる。
隊長の背中越しに、長月さんの姿が視界に入った。
アクアマリンのように澄んでいた彼女の瞳には、もう完全に光が失われていた。何より異常だったのは、大きく破損した天色のスーツの隙間から露出した、彼女の剥き出しの『肉体』だった。
(な、んだ……これ……!?)
吐き気を催すほどの悪寒が、全身の毛穴から吹き出した。
長月さんの白い肌に、あの化け物の肉片と同じどす黒い『UMA細胞』が、びっしりと網目状に広がって激しく癒着していたのだ。それはまるで、自らの意志を持つ奇怪な寄生虫のように蠢き、彼女の血管や神経の奥深くまで強引に根を伸ばして繋がっていた。
侵食された肉体の一部は不気味な紫色に変色し、浮かび上がった血管の筋がドクン、ドクンと生き物のように波打って脈動している。化け物の細胞そのものが生きていて、長月さんの肉体の主導権を、内側から強欲に喰らい尽くして奪おうとしている――そんな悍ましい光景だった。
「かなり侵食が進んでいる。癒着も、予想以上に酷い……っ! 医療班、すぐに長月を頼む! 急いでくれ!!」
三神隊長の焦燥に満ちた怒号が無線に響き渡る。
上空から飛空船が猛スピードで滑り込んできて、俺たちを乗せるとすぐに上昇に転じた。
機内の簡易治療室へと運び込まれる負傷者たち。俺も治療の場に立ち会った。
先ほど強烈な一撃を喰らった五十嵐さんは、全身の打ち身や打撲、数カ所の骨折という重傷ではあったものの、あくまで生身の怪我だけだった。
治療してしばらく安静にしていれば、命に別状はないという。身を挺して弟を庇った真一さんも、大鎌で衝撃を殺しきれたため、軽傷で済んでいた。
一番の重症、いや、文字通りの『致命傷』の淵に立たされていたのは、やはり長月さんだった。
激しい肉体的な負傷もさることながら、彼女の命を最も脅かしていたのは、あのUMA細胞による侵食だった。
「立花、心拍を維持しろ! 脳波の乱れを抑え込め!」
「了解です、隊長! 精神安定剤、最大投与! 侵食抑制剤の回路、接続します!」
治療室の自動扉の隙間から、医療部隊の二人が長月さんの肉体に起きている異常事態に、必死に対処している姿が見えた。
副隊長の立花さんが鋭い眼差しで様々な薬剤を矢継ぎ早に処方し、医療機器をコントロールしていく。
そしてその中心で、医療部隊長である御剣さんが、長月さんの神経に直接触れるかのような極限の集中力で、彼女の肉体を蝕むUMA細胞を、一本一本爪を剥ぐようにして肉体から切り離し、取り除く苛烈な施術を開始していた――。
ハッチが閉まり、飛空船が猛スピードで上昇する。その機内の簡易治療室は、もはや戦場そのものだった。
「立花、鎮静剤の最大投与! 早くしろ!!」
「はいっ!!」
立花さんが鋭い手つきで注射器を構え、長月さんのボロボロの腕へ迷いなく突き刺した。
数秒後、不気味に蠢いていたあの『UMA細胞』の脈動が、わずかに弱まりを見せる。
その瞬間を待っていた御剣隊長が、ピンセットと特殊なメスを手に、長月さんの肌へと肉薄した。
「――これより神経分離を行う。立花、バイタルを注視しろ」
御剣隊長は長月さんの神経を寸分たりとも傷つけないよう、極限の集中力で、丁寧に、かつ確実に細胞の癒着を切り離していく。
隙間から覗くその光景は、もはや医療の領域を超えていた。
破損したスーツをまるで『自分の皮膚』の代わりにするようにして、網目状に広がったUMA細胞。それが彼女の生身の肉体に深く侵入し、血管や神経の道筋をなぞるようにして、自身の触手を伸ばし繋がっていた。長月さんの全身と化け物の細胞が、生きたままドロドロと同化していく。
「チッ……不味いな。癒着が酷いなんてレベルじゃない。もう完全に、肉体の根幹から同化が始まっているぞ。このまま侵食を許せば、長月の肉体そのものがUMA細胞へ書き換えられ……本当に、本物のUMAになる!」
医療部隊長である御剣さんと、副隊長の立花さん。ガイアの医療のトップである二人が、かつてないほど険しい表情で、癒着の弱まった箇所を一つずつ、力ずくで引き剥がしていく。
――ビリリッ、と肉が裂けるような凄まじい音が響いた。
同時に、細胞を引き剥がされ想像を絶する激痛が、長月さんを襲う。
「んっ……ぐ……あ、あああ、あああああぁぁぁぁぁーーーーっっっ!!!」
あの物静かで、氷のように口数の少なかった長月さんが、身体を弓なりに跳ね上げ、喉を引き裂くような悲鳴をあげて悶絶した。
俺は、そのあまりにも悲惨な姿に脳を殴られたように呆然とし、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
「何をボサッとしてんだ! 小僧、身体を上から押さえろ!!」
御剣隊長の怒声が治療室に響き渡る。
「あ、はいっ……!」
反射的に身体が動き、俺は暴れる長月さんの肩と両腕を、必死に上から押さえつけた。スーツ越しに伝わってくる彼女の身体は、激しく震えていた。
「くそっ、ここでできることは正直言って応急処置程度だ! ガイアの設備がないと、根本的な同化は止められん! 今はこれ以上、侵食を進めさせないのが限界だ……! なんで、なんでいつも、こんなボロボロになるまで戦うんだ長月……! もっと、自分のことも大事にしろよ……っ!」
御剣隊長が、悔しさを滲ませながら必死にメスを動かす。その隣でサポートを続ける立花さんの目には、大粒の涙が浮かび、ポロポロと床へ落ちていた。
長月さんは痛みに顔を歪め、脂汗を流しながら、歯が砕けんばかりに食いしばって苦悶の表情で耐えている。
(なんで……? なんでこんなに酷いことになってるんだよ……。如月さんは言ってたじゃないか。普通に使う分には、UMA細胞の侵食なんて問題ないって……。それなのに、どうして長月さんだけが、こんな地獄みたいな目に遭わなきゃいけないんだ!?)
俺の頭の中は、聞いていた話と、目の前の悲惨な現実とのギャップで狂いそうになっていた。
俺の疑問を察したのか、御剣隊長はやりきれない表情のまま、手を動かしながら俺に語りかけてきた。
「……長月はな、『無我の境地』で戦っているんだ」
「え……無我、の境地……?」
「ああ。極限の集中力で、あの化け物どもに対抗するための最大の武器。だが――心を無にするということは、UMA細胞の侵食と同化が一気に進行してしまう。……自分の肉体を、最初から犠牲にする前提の諸刃の剣なんだよ、あいつの強さは」
御剣隊長の言葉が、俺の胸に痛烈な一撃となって突き刺さった。
(……そうか。あのサイ型との戦闘で、長月さんの出撃は、ハナから『最終手段』だったんだ。だから長月さんが戦場に立った時、三神隊長はみんなを下がらせた。彼女は最初から、連携のなかに組み込まれていなかったんだ。前衛の武器が通じない最悪の相手なら、長月さんが身を削って戦う以外に勝機はないと判断して、隊長は彼女を連れてきた。……そして長月さんも、最初からそれを分かっていたから、あんなに深く瞑想していたんだ)
誰も、彼女にこんな苦しい思いを最初からさせるつもりなんてなかった。
だけど――俺たちの実力が足りなかったから。前線が崩壊し、化け物を倒しきれなかったから、彼女は自分の身体を化け物に差し出すようにして、戦うしかなかったんだ。
長月さんの血の混じった汗が、俺の手にべっとりと付着する。
握りしめた拳が、怒りと悔しさで激しく震えた。
(……次は、俺も戦う。ただ足を引っ張らないように後ろで見学するんじゃない。俺が、役に立たなきゃダメなんだ……! 俺が強くならなきゃ、また誰かが、あんな化け物になるリスクを背負って身を削ることになる……!)
ベッドの上で痛みに耐え続ける長月さんの姿を見つめながら、俺の胸の奥底で、かつてないほど強固で、固い『決意』の炎が静かに、しかし、激しく燃え上がり始めていた。
ガイアへ帰還すると同時、治療室の自動扉が勢いよく開き、御剣隊長と立花さんが付き添うなかで長月さんが運び込まれていった。
すぐに大勢の医療隊員たちが集まり、緊迫したサポート体制に入る。
(……すごい人数だ。これだけの人が、長月さん一人に付きっきりになるのか)
長月さんの全身を蝕むUMA細胞を、神経を傷つけずに剥ぎ取るには、それだけ膨大なマンパワーが必要なのだろう。同化が完全に完了すれば、彼女は化け物になってしまう。文字通り、一分一秒を争う時間との命懸けの勝負だ。
ふと、医療隊員たちの姿を見て、俺の背筋に冷たいものが走った。
ここは無機質な治療室であり、決して武器を振るう戦場ではない。当然、白衣を着た医療部隊の人たちは誰一人として武器を持っていないのだ。
もしも処置が間に合わず、長月さんがその場でUMAに変貌して暴れ出したらどうなるか。彼らは丸腰のまま、かつての仲間であった化け物に、一方的に蹂躙されることになる。
いつ化け物が目を覚ますかも分からない極限の恐怖のなか、彼らはほぼ無防備な状態で、それでも仲間の命を救うために必死にメスを動かしているのだ。
扉の向こうで始まった集中治療の気配を感じながら、俺は静かに歩き出した。
(みんな、自分の命を懸けて戦ってる。……次は、俺の番だ!)




