番外編 男たちの集い
弟が結婚することになった。それと同時に実家を出ることになっている。
俺は父と弟を誘って、飲みに行くことにした。定時で上がれそうな日をすり合わせ、半個室になる店を選んだ。
乾杯でジョッキを合わせ、弟へ祝福の言葉を贈った。柔軟な弟なら、新婚生活もうまくやっていけるだろう。だから、そんなに心配はしていないのだが。
「親父、お袋と二人きりになるけど、大丈夫か?」
弟はそんなことを口にした。
「まあ、なるようになるさ。お前たちが生まれる前は二人暮らしだったんだ」
「なら、いいんだけど」
「ははは。まあ、俺たちの世代は、お前たちほど繊細じゃないからな。我慢できる範囲が広いんだ。その分、鈍くて……気がついたら取り返しのつかないとこもあるけどな」
妹のことだろう。
俺たちは、母の愚痴や八つ当たりを、妹が引き受けていたことに気がつかなかった。
大人しくて優しくて、人に好かれているのに、妙に自信がない子だなと思うだけだった。特に問題がなく生活できていたから、そういう性格なんだと……。
妹は母に拒絶反応を示すようになり、家に寄りつかなくなった。
俺の嫁も、俺の実家とは最低限の付き合いをしている。結婚に辿り着くまで、何度か別れ話も出た。最近はお袋が昔の育児の知識で口を出してくるから、喧嘩になることもある。
嫁を見ていると、「ああ、こうして言い返せるから、まだマシなんだろうな」と思う。
お袋の言いなりになる必要はない。
あまりひどいようなら里帰りは俺だけにしてもいいと、子どもが生まれたときに覚悟を決めた。
あの魔術師といる妹は、よくしゃべる。家ではにこにこと笑って聞いているだけだったから、無口な子だと思っていた。
親父は海老を飲み込んでから、話し出した。
「俺たちの世代は、今のように『愛し合っているから結婚する』なんて時代じゃなかった。
親が決めてきた相手と、信頼し合って家庭を築ければ上出来だったんだ」
「え、そういうものか? まあ、親父たちの世代でラブラブな夫婦って珍しいか」
弟は野菜スティックをポリッと囓った。
「ああ、俺の親父――お前たちの爺さんの時代なんか、家は安らぎの場じゃなかったからな。
家長の命令は絶対で、嫁は口答えなんか許されない。子どもも容赦なく殴られたし。誰も、幸せがどうとか考えずに、必死に生きていた」
親父の子ども時代は戦争があって、食糧事情も厳しいものがあったようだ。
「『早飯、早糞、芸の内』という標語があってな」
「なんだ、それ。下品だな」
弟が笑う。
「爺さん世代の軍人はよく口にするぞ。排泄行為の素早さが、生死を分けることもあるって。
それに、そんな考え方の人間が、家でくつろぐのは難しい。当然、他の家族もどこかピリピリしていたりな。
親子で仲良く――なんて概念はなかった。理想の夫婦像が、司令官と有能な秘書みたいな感じだったんだぞ。愛じゃなくて、絆を育むってやつだ」
「ああ、夫を立てて、三歩後ろを下がるって、そういうことか」
妙に納得した。家という組織を運営するメンバーで、まさに「主人」と「奥さん」という役割分担なんだな。
「あいつは自分の母親を尊敬している。だから、一世代前の理想を演じようとしているんだ。
昔だったら『ちょっとお節介なおばさん』ですむところを、今じゃデリカシーがないと爪弾きになる。
そういう時代の変化に乗るのは、本当に難しい。
俺は職場で若い者ともやり取りをしなくちゃならんから、どういう思考回路か知って、通じる言い方を模索する。
だが、それが必要ないならば『最近の若い者は』と愚痴を言っているさ」
親父がグイッとジョッキを傾けた。
「お前たちだって、もう少し年を取ったら若者が理解できなくなって苦労するぞ」
「ぼちぼち後輩が入って来てるけど、まだ俺は大丈夫な気がするな」
弟がニヤッと笑う。
「何百年も前の人間も『今どきの若い者は』と書き残しているんだから、人類共通だ」
親父もニッと笑い返した。
「お飲み物の追加はいかがでしょうかぁ?」
店員に声をかけられた。ふと見ると、親父も弟もジョッキが空だ。
追加注文をしながら、妹がいたら残りが少なくなった時点でオーダーしていたなと気付く。
ああ、そんなことをしているから気が抜けないんだ。いや、気を抜かないよう、躾けられていたのか。「女の子だから」と言って。
まさに、有能な秘書を育成していたってわけか。家にいても安らげないって言われてショックだったが……そういうことなんだな。
「違う家庭で育って『当たり前』が違うからな。驚いたときに『信じられない』と否定するんじゃなく、話し合うようにしろ。
俺たちは台所に立つなと言われて、家事はやるべきではないという教育を受けた。
そんな状況だと、専業主婦はその家の女王様だ。理不尽な上官の下についたくらいの感覚で乗り切るしかない。
……それも、あいつが我を押し通すのを助長したかもしれないな」
「親父、そういうことは俺のときにも言ってほしかったぜ」
俺は、親父に新しいジョッキを手渡しながら、冗談めかして言った。
「ああ……違うぞ。お前と嫁の言い合いを見て気がついたんだ。俺は言い返さなかったなぁって」
そう言われてしまうと、文句も言いづらい。
「良妻賢母を目指しているから、浮気や借金の心配はないし、根性があるから万が一のことがあっても遺族年金で子どもを育て上げてくれるだろうという安心感があった。
今日だって『男が外に出るときに、恥をかかない金を持たせろ』って財布に金を足してくれているんだ。
まあ、過干渉と時代が違うっていうのを自覚してくれないのは困るがな」
「姉貴のところに突撃していかないか、それが心配だ」
弟がマッシュポテトを肉の上に載せた。一緒に食べると旨いよな。
「まあ、相手が子爵のご子息だから、多少は遠慮すると思うが……」
親父が少し不安そうな顔になる。妹が暮らしているのは馬車で数日かかる街だ。弟の世話があるから行かなかったけれど、親父だけになったらどう動くかわからない。
「兄貴が結婚前に同棲していたから、騒がないのかと思っていたんだが……。
『身分差の恋』とか『愛人の行く末』とか、そういう恋愛小説を図書館で借りてきているよな。姉貴に会って、余計なことを言わないといいんだが……」
「結婚式では、あいつの側を離れないよう気をつけるよ。娘との接触は短時間で終わらせる」
「……そうしてくれると助かるよ」
男三人、同時にため息を吐いた。
「親父」
弟が語りかける。
「俺の代わりに、何かペットとか飼うといいんじゃないか?」
「ああ、できるだけ手がかかるのがいいだろうな」
俺も、弟に賛成した。
「はは、それいいな」
親父は笑いながら、目尻を拭った。




