改めて
本編の最終回です。
ちょっと長めの3,000字。
四日目に熱が下がり、六日目に宿場町を出発した。
その間に馬車の座席が改修されて、私は体を横にして行くことができたのだ。
「すみません。こんなことまでしていただいて」
恐縮する私に、魔術師はなんてことないと言う。
「僕がやりたかっただけだから。それより、少しでも辛くなったら言ってね」
そう言って、馬車の改修図面を見ながら、何やらブツブツ検討し始めた。
マメに面倒を見てくれるのに、不快ではない。母と何が違うんだろう?
その答えを見つけられないまま、ウトウトと寝入ってしまうのだった。
その後、無事に仕事に復帰し、日常生活が戻ってきた。職場には予定より長く休んでしまったことを詫びると、刺されたのは仕方ないと言われた。
魔術師にお世話になったお礼をしたいと話したら、ピクニックに行きたいと。お弁当を作ってほしいとリクエストされた。
馬が放牧されている牧場に、一般の人が入れるエリアがある。
パンに具を挟んだものとチーズや果物といった簡単なものを用意した。少し緊張しながら、迎えに来た馬車に乗り込む。
魔術師はご機嫌で、ちらちらとバスケットを見ている。私は料理はあまり得意ではない。
母が料理自慢で、私は言われたとおりに野菜の皮を剥くだけ。味付けや仕上げには一切手を出していないし、さんざん不器用だと言われて自信がないのだ。
子爵家で美味しい料理人の食事をいただいていたので、こんなものを出すのは気が進まない。
「お礼」でなければ、断ったのに……と、恨みがましく考えてしまう。
ふと、「美味しくなくてもこの人なら文句を言わずに食べてくれそう」と思って、そんな自分に驚いた。
青い空に緑の牧場。もう、それだけで心が洗われるようだ。
馬車を降りると、風がそよぎ草の匂いがした。
魔術師はバスケットを私から取り上げて、もう片方の腕に敷物を抱えている。
「あの、バスケット持ちます」
慌てて後ろから追いかける。
「腕の傷が開いたら困るでしょ」
「逆の手で持ちますから」
「強情だなぁ」
と笑いながら、返してくれた。
帰る時間を決めて、御者と馬はそれまで別行動だ。
緩やかな丘の上に大きな木が何本か立っている。先客がいない木を探して、シートを敷いた。
のんびりとした空気に、とりとめのない会話が続いていく。
そんな中で、私は「優しい」と言われて困惑した。
「あの、私の場合は事なかれ主義なだけで……。優しいふりが上手いだけです」
「君はよく自分を『優しくない』って言うけど、それで救われる人がいるんだ。心の奥底でどう考えていようと、現実の行為で判断された結果じゃないかな」
魔術師は立てた膝の上で、頬杖をついた。
「僕も君に救われた一人だ」
「え? 何かしましたっけ?」
魔術師は苦笑いをして、話題を少しずらした。
「僕には才能があるらしいけど、特に情熱もなく生きていたんだ。
君と話していると、作ってみたい物が浮かんでくる。どういう理屈かはわからない。
ただ、『こんなのがあったら喜んでくれるかな』と思う。
それは僕が勝手に思うだけだから、君の責任じゃないし」
こちらの相槌も待たずに、魔術師は早口になっていく。
「えっと、僕がやりたいからやっているだけで、やりたくなくなったらやらなくなると思う。
だから、気にしないで。嫌だったら言って」
小さな声で「やめられるかどうか、自信はないけど」と呟いている。
それは、実質「やめる気がない」と言うのではないだろうか?
「振られたのにしつこくてごめんね」
突然飛び出した言葉に驚いた。
「振られた? 誰がです?」
「……僕が君に」
魔術師は頬杖をやめて、片目を手で覆った。
「え、嘘。いつですか?」
魔術師は顔を上げ、目を丸くして私の顔を見た。
「……飲み会で小さな花火を見せたとき」
何年も前、まだ王都にいた頃の話だ。
「お酒を飲んでたじゃないですか」
「素面で言えなかったんだよぉ」
魔術師の顔が赤くなっている。
「酔っ払いにからかわれたと思って……私、怒っちゃってた」
「……嘘だろ」
唖然? 呆然? そんな表情だ。
「――ごめんなさい」
私の頬も熱くなってきた。
「いや、僕の方こそ……? じゃあ、振られたわけじゃない?」
「振るも何も、す、好きとか、言われてませんし」
魔術師が唸りながら、髪の毛をぐしゃぐしゃにしだした。
「そういうことかぁ~。なんて間抜けな」
ふいっと顔をあげて、真面目な顔をした。
「……なんか、そんな感じで、隣にいられたら嬉しいです。
怪我をしたって聞いて、自分が怪我するより辛かった。なんでも、できることはしてあげたかった。
す、す、好きです」
そ、そういうこと? そうだったのね? そう言われて見れば、親切すぎたわよね。
「あ、あの。私も……親切にしてもらって、嬉しくて。
だけど、結婚とか、子どもとか、ちょっと無理で……」
もう、ちょっと顔を見るのとか、無理。
「あ、うん。家族が苦手なんだよね。
結婚しなくても、子どもができなくてもいい。義姉さんに外国にはいろいろな形があると聞いて、勉強したんだ。
パートナーとして隣にいることができたら、それで僕は幸せになれちゃうんだけど」
「貴族なのに?」
「僕は跡取りじゃないから。君に会う前は、家族に女友達もできないと思われてたし。実際にそうだったし」
「もしかして、女性がお嫌いで?」
「いや、身なりに構わなすぎて、嫌われる感じで。
君は飲み会とかパーティーでぽつんとしている人に、『足りてますか』って話しかけに行くだろ? 放っておけないんだろうけど、君自身は楽しめてないよね。
だから、店員や従業員にちゃんと飲み物や食べ物が行き渡っているか気にするように、裏で声をかけるようにしてて」
「いつの頃からか気を配る必要がなくなって、サービスの質が向上したんだと思っていました」
「もちろん、向上したと思うよ。一人一人の意識が高くなったわけだし。
僕は君に救われた立場だけど、同じように君を好きになる奴が出たら困るから、対処しただけで。
あ、僕のやってること、気持ち悪い? あの……うわぁ、支離滅裂だ」
「あの、大丈夫です。聞いていますから。ゆっくりで」
魔術師がパニックになっているから、こちらも釣られて慌ててしまう。
「何かしてあげたいと思う。それだけなんだ。
――もし、許されるなら、名前で呼んでいい?」
「……」
ちょっと血の気が引いたかもしれない。
「あの、やっぱり、無理だよね。ごめん。忘れて――」
「違うの。自分の名前が嫌いなだけ」
私の心の傷……。そんなことを気にするなんて、と呆れられてしまうかもしれない。
「私が生まれる前に、男の子の名前しか用意していなくて。慌てて、適当につけたらしいの。
母は、それを笑い話としてみんなにしゃべるのよ。
そのときに用意していた名前を、そのまま弟につけたの。
いらない子と言われているみたいで。すごく嫌なの。呪いの呪文みたいに、心が蝕まれていく気がする……」
魔術師がシートの上をちょっと移動して、私の頬に触れた。あれ、私、泣いている?
「じゃあ、どんな名前で呼ばれたい? 一緒に考えようよ」
魔術師が腕を伸ばしかけて、ためらうように手を止めた。
それから、恐る恐る私を囲う。
抱きしめるんじゃないのかと情けなくなり、ちょっと笑いそうになって、私から抱きついてしまった。
遠くで馬が追いかけっこをしたり、泥浴びをしたりしている。「やめてー」という悲鳴が、御者の声に似ていた。
それから数年経ったが、母のことは苦手なままだ。
弟も結婚し、暇になった母がこちらに来たいというのを父が止めてくれているらしい。
「自分の手には負えない」と困った父は、大型犬をもらってきた。軍用犬の候補として育てられたものの、不適格と判断された若い犬。
母はその世話で忙しく「この子は私がいないと駄目なんだから」と有り余る愛情を注いでいるとのこと。
嘘告をしてきた男の母親は、傷害罪で十年間の労働刑。
花屋は犯罪を唆したとまでは言えないと、罪には問われなかった。ただ、情報に対する意識が低いということで、軍関係との取引は全面的に禁止となった。
「そんなつもりはなかった」と、泣きわめいていたという。
今、私は魔術師と穏やかな日々を送っている。
彼の上司に、「新しい魔導具をもらったら見せに来るように」と密命を受けて――




