首飾りを差し出せ(2)
ファルは、もう一度控えの写しを手に取った。今度はゆっくり、一行ずつ読んでいった。
「この控えは、どこで書かれたものだ」
「宝物方の部屋よ。集めた品をそこで帳面につけるの」
「品には、札が付いているのか」
「たぶん。箱ごとに布の札が」
ファルは写しの端を指で叩いた。
「この写しには、箱の番号が書いていない。品の名前と集めた場所だけだ。写した者が急いだのか、もともと控えに番号がないのか」
それから、顔を上げた。
「宝物方の部屋へ行って、控えの本物と箱の札を見たい」
「ファルさんが?」
「この服なら、王宮の中を歩ける。紫の文官が帳面を見に来ても、誰も怪しまない」
オルティーネは、ファルの紫の長衣を見た。それから、ファルの顔を見た。
「ファルさん、王宮の帳面、読めるの?」
「郭の書庫には、王国の古い帳面の写しが山ほどある。子どものころから、それを読んで育った」
ファルは写しを丁寧にたたんで懐にしまった。
「字なら、読める」
ファルが宝物方の部屋へ向かっているあいだ、オルティーネは台所を歩き回っていた。
かまどの前まで行って、鍋の中のふくらんだ豆を見た。食卓まで戻った。窓辺まで行って、王宮の中庭を見た。またかまどの前に戻った。マグダが三度目に「姫さま、座ってください」と言ったとき、ようやく椅子に腰を下ろした。
座ると、手の置き場がなかった。
いつもなら、胸元に手をやれば、服の下に石の硬さがあった。三日前から、オルティーネは首飾りを着けて眠っていた。寝る前に小箱へしまったのは、ゆうべが初めてだった。衣装方が手入れのために持っていった黒い服の胸元に、首飾りの鎖がこすれた跡がついていたからだ。服が直ってくるまでは、外しておこうと思った。
外したのは一晩だけだった。
その一晩が明けた朝のほんのわずかなあいだに、なくなった。
◇
宝物方の部屋は紙と古い布と、銀を磨く粉の匂いがした。
ファルが戸口に立つと、中にいた若い者が三人、いっせいに顔を上げた。三人とも、ほっとしたような顔をした。
「ああ、よかった。書き役の方ですね」
一人が立ち上がって、ファルの腕を取らんばかりにして、中へ招き入れた。
「宝物方の頭が今朝から書き役を一人よこしてくれと上へ頼んでいたんです。品が多すぎて、手が足りなくて」
ファルは何も言わなかった。言わなくても話が進んでいった。
部屋の真ん中の大きな卓の上に、帳面が三冊開いて置いてあった。その周りに、布に包まれた品が山になっている。若い者たちは包みを一つずつ開いては、品の名前を読み上げ、帳面に書きつけ、また包んでいた。読み上げる声と書く手がちっとも合っていなかった。
「これを」
若い者が、ファルの前に帳面を一冊押しやった。
「西の翼から集めた分です。読み上げますから、書いてください」
ファルは卓の前に座った。羽根筆を取った。
若い者が包みを開いた。
「銀の耳飾り、真珠、一対。西の翼、二の間の女官より」
ファルは書いた。
「金の指輪、赤い石、一。西の翼、侍従控えより」
書いた。
「髪留め、象牙、一」
「ぞうげ、とはどう書く」
「え。あ、ええと」
若い者が、指で卓の上に字を書いてみせた。ファルはそれを見て書いた。
四半刻ほど、それが続いた。ファルの羽根筆は若い者の読み上げる声に一度も遅れなかった。若い者は、だんだん読み上げるのが速くなった。それでもファルは遅れなかった。
「書き役の方、字がお速いですね」
「郭で……」
ファルは言いかけてやめた。
「……書庫で写しばかりしていた」
「ああ、書庫の方でしたか。道理で」
若い者は、それで納得したようだった。
書きながら、ファルは隣の帳面を横目で読んでいた。衣装方から集めた分の帳面だった。黒き鎖の首飾り、紫の石、一。王女殿下の離れより。三番の箱。
三番の箱。
ファルは部屋の奥の棚を見た。棚には、中身のなくなった箱がいくつか重ねてあった。品を詰めた箱は、もう衣装方の奥の部屋へ運んだあとらしい。
部屋の隅に、くず布の籠が置いてあった。
籠のふちから、黄みがかった、使い古しの布の端が少しだけはみ出していた。端に穴が開いて、細い紐が通っている。布の表に、色のあせた糸の縫い取りが見えた。
炎の上に冠。
「籠にある古い札は、どの箱に付いていたんだ」
ファルは書く手を止めずに聞いた。
読み上げていた若い者の声がぴたりと止まった。
隣で包みを開けていた若い者と、顔を見合わせた。二人とも急に声を低くした。
「……三番の箱です。宝物方の頭には内緒にしておいてください」
若い者は、戸口のほうをちらりと見た。
「もとは先代の王妃さまの、お手元の品を入れていた箱なんです。王妃さまが亡くなられてからずっと、何も入っていないまま、宝物方の棚の奥にしまってありました。札には、持ち主の許しなく開くべからず、と」
「それを使い回した」
「箱が足りなかったんです。ゆうべ急に品を集めろと言われて。衣装方の分を入れる箱がなくて、宝物方の頭がお帰りになったあとで、誰かが棚の奥から出してきて」
もう一人の若い者が、小声で付け足した。
「でも、陛下に知られたら、たいへんなことになります。陛下は、ご自分の物をほかの誰かに勝手に決められるのを、いちばんお嫌いになるんです。ご自分の母上の箱をご自分の許しなく札を替えて、別の品の箱にしたなんて」
「それで古い札を捨てた」
「明朝のご検分のときに、陛下のお目に触れないように」
若い者は、泣きそうな顔で両手を合わせた。
「誰にも言わないでください。お願いします」
ファルは羽根筆を置いた。
「言わない」
それから、立ち上がって、部屋の隅の籠のところへ行った。籠の中から、古い布札を拾い上げた。
若い者たちがあっと声を上げた。
「これは、俺が預かる」
ファルは布札を懐にしまった。
「陛下のお目には触れない。捨てた籠の中にあるよりは、見つかりにくい」
若い者たちは、しばらく口を開けていた。それから、一人がおそるおそる言った。
「……ありがとうございます」
ファルは何も答えずに卓に戻って、もう一度羽根筆を取った。
「次」
「は、はい。銀の腕輪、彫り物入り、一。西の翼、三の間の……」
部屋を出たのは、それから四半刻ほどしてからだった。帳面の写しもちゃんと懐に入っていた。
◇
半刻ほどして、ファルが戻ってきた。
戸を閉めるなり、ファルは懐から紙を一枚取り出して、食卓の上に広げた。紙には、ファルの細い字で、品の名前と数字がびっしり書きこまれていた。
「本物の控えを写してきた」
「写してきたって、この短いあいだに?」
「書き役と間違えられて、帳面を手伝わされた。そのあいだに」
ファルは紙の一か所を指で押さえた。
「首飾りは、まだ宝物庫には入っていない。衣装方の奥の部屋の三番の箱の中にある。明朝、陛下のご検分を受けてから、宝物庫へ収める品と持ち主へ返す品に分けられる」
「持ち主へ返すって、控えにも書いてあるの?」
「ああ。陛下のお気に召さなかったものは、返す、と」
オルティーネは少しだけ息をついた。
「じゃあ、お父様が首飾りを気に入らなければ」
「気に入るかどうかは分からない」
ファルは紙から目を上げなかった。
「それに俺はもう一つ見てきた」
ファルは懐からもう一つ小さなものを取り出した。
布の切れ端だった。手のひらほどの大きさの、黄みがかった、使い古しの麻布。端に穴が開いていて、細い紐が通してある。布の真ん中に、色のあせた糸で紋が縫い取ってあった。
炎の上に、冠が載っている紋だった。
「王家の紋」
「三番の箱に、もともと付いていた札だ」
ファルは布札を食卓に置いた。
「箱が足りなくて、宝物方の誰かがゆうべ棚の奥から何も入っていない箱を出してきた。そのとき、この札を外した。札の裏を見てくれ」
ファルは布札を裏返した。裏には墨で小さく字が書きつけてあった。かすれて、ところどころ読めない。
「先代の王妃さまのお手元の品。持ち主の許しなく開くべからず」
オルティーネは布札を見つめた。
「先代の王妃さまって、お父様の」
「母上だ。若い者たちは、陛下にだけは知られたくないと言っていた」
オルティーネは布札をそっと持ち上げた。思っていたより軽かった。何度も洗われて、縫い取りの糸だけが固く盛り上がっている。
「これ、呪いに使える?」
ファルは布札の墨書きに目を落とした。
「札そのものが嫌いなわけではないだろう。だが、勝手に箱を使われたと知れば、怒る。若い者たちが隠したがるほどには」
オルティーネは、持ち主の許しなく、と書かれたところを指でなぞった。
「捨てないでおいて。首飾りが戻ったら、使えるかもしれないわ」
「取り戻すあてはあるのか」
「宝物方の頭に会ってくる」
布札を食卓へ戻して、オルティーネは立ち上がった。
「マグダ。わたしのふだん着のいちばん地味なのを出して」
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