首飾りを差し出せ(3)
宝物方の部屋は、王宮の西の翼の日当たりの悪い一角にあった。
戸口の前には、紫の師団の若い侍従が二人立っていた。王女が歩いてくるのを見て、二人とも目を丸くした。オルティーネは茶色の毛織りのふだん着に、飾り紐一本で髪をまとめただけの格好だった。
「宝物方の頭に、お会いしたいの」
侍従の一人が、慌てて中へ入っていった。
しばらくして出てきたのは、背の低い老女だった。
六十をいくつか過ぎているだろう。白髪をひっつめて、紫の頭布できっちり包んでいる。首から細い鎖で、宝石の傷を見るための小さな水晶の玉を下げていた。手の指はどれも節が太く、爪のまわりに黒い墨の跡がしみついていた。
「宝物方の頭を務めております、ゲルダと申します」
老女はゆっくりと頭を下げた。声は低く、乾いていた。
「王女殿下がこのようなところへ。ご用でしたら、こちらから伺いましたものを」
「急ぎの用なの」
オルティーネは背筋を伸ばした。
「衣装方の三番の箱に、黒い鎖の首飾りが入っているでしょう。紫の石の。あれはわたしの品なの」
ゲルダの目が、わずかに細くなった。首から下げた水晶の玉に、指先がふれた。
「三番の箱は明朝、陛下のご検分を待っております」
「知ってるわ」
「陛下のお触れでは、王宮にある宝飾品はすべて王家のものでございます。王女殿下のお品であっても、王家のものであることに変わりはございません」
「それも知ってる」
オルティーネは一歩前へ出た。
「だから、返してとは言わないわ。あの首飾りは古い品なの。鎖が細くて、留め金も緩んでる。衣装方の人たちが、ほかの飾りといっしょに箱へ入れたでしょう。傷がついていないか、自分で確かめたいの」
ゲルダは黙っていた。
「一晩だけ預からせて。確かめて、自分の手で包み直して、明日の朝、陛下のご検分の席へ、わたしが自分で持っていくわ」
「王女殿下がご自分で」
「わたしの品だもの。わたしが陛下にお見せするのが筋でしょう」
ゲルダは長いあいだオルティーネの顔を見ていた。
それから、首から下げた水晶の玉を指先でつまんで、くるりと一回転させた。考えるときの癖らしかった。
「控えに、取り出した者の名を残さねばなりません」
「残して」
「明朝、品が戻らなければ、その名の者が責めを負います」
オルティーネの後ろで、ついてきたマグダが小さく息をのんだ。
「わ、わたしの名前を」
マグダが一歩前へ出た。
「わたしが、姫さまのお使いで取り出したことに――」
「わたしの名前を書いて」
オルティーネはマグダの前に腕を出して止めた。
「オルティーネ。取り出すのはわたし。持っていくのも、わたし。戻らなかったら、責めを負うのもわたし」
ゲルダの指が、水晶の玉をつまんだまま止まった。
しばらくして、ゲルダは小さく息をついた。それから、ふり返って、侍従に帳面を持ってこさせた。厚い革表紙の帳面だった。ゲルダは帳面を台の上に開くと、細い羽根筆を墨の入った小さな器に浸した。
一行、書いた。
ゲルダは羽根筆を置いて、帳面をオルティーネのほうへ向けた。
黒き鎖の首飾り、紫の石、一。王女殿下ご自身にて取り出し。明朝ご持参。
その下に空いた欄があった。
「お名前をご自分の手で」
オルティーネは羽根筆を取った。墨をつけて、空いた欄に自分の名前を書いた。手が震えなかったことに自分で少し驚いた。
羽根筆を返すとき、ゲルダの目がオルティーネの手の上で止まった。
指先に、小さなやけどの跡がいくつもある。人差し指の腹には、包丁で切った古い傷が白く残っている。王女の手には、似合わない手だった。
「料理をなさる手でございますね」
ゲルダが言った。
「ええ。毎日」
「わたくしの母も、こういう手をしておりました」
ゲルダはそれだけ言った。帳面の上で、ゲルダ自身の節の太い指が、墨の跡のついた爪のまま、しばらく動かなかった。
ゲルダは帳面を引き寄せて、名前を確かめてから閉じた。それから、侍従に衣装方の鍵を取りに行かせた。
鍵を待つあいだ、ゲルダはぽつりと言った。
「王女殿下は陛下の幼いころのことを、お聞きになったことがおありで」
「ないわ」
「陛下はお小さいころ、ご自分の玩具を、先代の陛下に取り上げられてばかりいらしたそうです。木の馬も鉛の兵隊も。お気に入りの品ほど、王子のなさることではないと言われて、どなたかに下げ渡されたとか」
ゲルダは帳面の表紙をなでた。
「わたくしが王宮へ上がったのは、陛下がまだ十をいくつか過ぎたころでございました。陛下は、ご自分の持ち物をいつも数えておいででした。夜、寝る前に一つずつ。誰かがそれに触れると、たいへんお怒りになりました」
廊下から鍵の触れ合う音がした。ゲルダは帳面の表紙から手を離し、戻ってきた侍従に向き直った。
衣装方の奥の部屋は、窓が一つもなかった。
ゲルダが小さな明かりを掲げると、壁際に、大小の箱がいくつも並んでいるのが見えた。どの箱にも、取っ手に布札が結んである。札には、集めた場所と品の数が書いてあった。箱と箱のあいだに、衣装方の手入れを待つ衣装の包みが、山のように積まれていた。黒と紫の服の包みも、きっとこの中のどこかにある。
ゲルダは迷わず奥から三番目の箱の前へ歩いていった。
「この部屋の箱は、わたくしが自分で数えております」
ゲルダは振り向かずに言った。
「ゆうべ、宝物方の頭のわたくしが帰ったあとで、箱が一つ増えておりました。今朝、数え直して気づきました。若い者たちは、わたくしが気づいていないと思っております」
オルティーネは、何も言わなかった。
ゲルダも、それきり何も言わなかった。
ゲルダは三番の箱を開けた。新しい布札が、箱の取っ手に結んであった。箱の中には、指輪や腕輪や髪飾りが、柔らかい布に包まれてぎっしり詰まっていた。ゲルダはその中から、迷わず一つの包みを取り出した。
包みを開くと、黒ずんだ銀の鎖と、深い紫の石が出てきた。
オルティーネは両手で受け取った。
石は冷たかった。
いつもの、少しだけ温かい石ではなかった。半日、ほかの品といっしょに箱の中にいたせいなのか、それとも。
オルティーネは石を両手で包んで、胸に押し当てた。
手のひらの中で、石がゆっくりと温まっていった。
◇
離れへ戻る道で、オルティーネは首飾りを一度も手から離さなかった。
台所の戸を開けると、ファルがかまどの前に立っていた。鍋の中の豆を、腰をかがめてのぞきこんでいる。オルティーネが入ってきたのに気づいて、ファルは慌てて背筋を伸ばした。
「火はつけていない」
「つけてていいのに」
「どこまでつけていいのか、分からなかった」
オルティーネは笑って、握っていた手を開いてみせた。
ファルの目が首飾りの上で止まった。肩から目に見えて力が抜けた。
「……取り戻したのか」
「一晩だけね。明日の朝、お父様の検分の席へ、わたしが自分で持っていく約束」
オルティーネは食卓に首飾りを置いて、ゲルダとのやりとりを話した。帳面に自分の名前を書いたことも話した。ファルは黙って聞いていたが、名前のところで眉のあいだにしわを寄せた。
「戻らなかったら、あなたが責めを負う」
「戻すわよ。ちゃんと首に着けて、持っていくもの」
ファルは何か言いかけて、やめた。代わりに、首飾りのそばにしゃがんで、石に顔を近づけた。
しばらく、そのまま動かなかった。
「色が少し深くなっている」
「え?」
「前に見たときより、紫が濃い。三日前、国王の手首から吸い戻した呪いが石の中に残っている」
オルティーネもファルの隣にしゃがみこんで、石をのぞいた。言われてみれば、そうかもしれなかった。黒に近い紫の奥に、さらに暗いところがある。墨を一滴、水に落としたばかりのような。
「残ってて、平気なの?」
「首飾りはそのための器だ。呪いを受け止めて、しまっておく。それに」
ファルは言葉を探すように少し黙った。
「魔女の魂は、呪いと同じものでできている。吸い戻した呪いは、魂のそばに降り積もる。何度も重なれば、魂のほうも目を覚ますかもしれない」
「目を覚ますと、どうなるの」
「分からない。郭の書物にも、首飾りのことはほとんど書いていない」
ファルはゆっくり立ち上がった。
「だから、三日ごとに見に来ることにした」
オルティーネはしゃがんだまま、ファルを見上げた。
それから、ファルの長衣の肩に、白っぽいものがついているのに気づいた。宝物方の部屋で、帳面の上に身をかがめていたときについたのだろう。古い紙の粉だった。
オルティーネは立ち上がって、手を伸ばした。ファルの肩を、手のひらでぱたぱたと払った。弟の礼服の肩を払うときと同じ手つきだった。ついでに、襟が少し折れていたのも指で直した。
ファルが固まった。
払い終わって手を引っこめても、ファルはしばらくそのまま動かなかった。長い腕を体の両脇にぴたりとつけて、まっすぐ前を見ている。耳のふちが、じわじわと赤くなっていった。
「ファルさん?」
「……紙の粉か」
「うん。宝物方の帳面の」
「そうか」
ファルはくるりと背を向けて、窓のほうへ歩いていった。窓の外を見ている。窓の外には、菜園の豆のつるの束があるだけだった。
戸口のほうで、マグダが前掛けで口元を押さえていた。




