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【第1章完結】国王に虐げられた悪役王女が、転生した呪いの力で復讐する〜呪いは二人の共同作業〜  作者: 降月
第2章 首飾りを差し出せ

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首飾りを差し出せ(4)

 布札を二つに切ったのは、ファルだった。


 台所の小刀で黄みがかった麻布を、王家の紋のちょうど真ん中から縦に裂いた。炎の上に冠が載った紋が、左右に分かれた。裏の墨書きも二つに分かれた。片方には「持ち主の許しなく」が、もう片方には「開くべからず」が残った。


「お父様のそばには、どっちを置くの」


「どちらでも同じだ」


「じゃあ、こっち」


 オルティーネは、「持ち主の許しなく」のほうを取った。


「明日の朝の検分の目録って、お父様はいつ見るの」


「宝物方の者の話では、今夜のうちに寝所へ届けられる。陛下は寝る前に、寝台の脇で目録を確かめる習慣があるらしい」


「寝る前に一つずつ数えるのね」


 ゲルダの話が耳に残っていた。自分の持ち物を夜、一つずつ数える少年。


 オルティーネは布札の片割れをマグダに渡した。


「目録の紐に結べる?」


 マグダは布札を両手で受け取った。今度は前掛けでくるまなかった。四日前に石を運んだときのように、指先が震えてもいなかった。


「目録は、宝物方から侍従が寝所へ届けます。届ける前に、いったん控えの間の卓に置くんです。わたし、今夜もお寝間の世話番の手伝いに入れます。紐の結び目にこう、目立たないように」


 マグダは布札の紐の端を、自分の指に巻きつけてみせた。


「結べます」


「無理はしないでね」


「姫さまの首飾りを取り返しに行くより、ずっと楽です」


 マグダは少しだけ笑った。それから布札を前掛けの隠しにしまって、出ていった。


 日が暮れる少し前に、衣装方の女官が黒と紫の服を返しに来た。手入れが済んだのだ。胸元の鎖がこすれた跡は、細い黒糸できれいに繕ってあった。オルティーネは繕い目を指でなぞって、女官に礼を言った。女官は、王女に礼を言われたことにびっくりしたような顔をして、何度も頭を下げて帰っていった。


 衣装方の女官と入れ違いに、小さな足音が菜園の小道を駆けてきた。


「姉上!」


 戸口に、エーベルベインが立っていた。


 頬がまだ少し赤い。熱が下がったばかりなのだろう。礼服ではなく、ふだん着の上に厚い毛織りの上着を着せられていた。ずっと後ろのほうで、付き人の侍従が、息を切らしながら追いかけてきていた。


「エーベル。もう起きていいの?」


「熱はゆうべ下がったよ。侍医が少しなら歩いてもいいって」


 弟は台所に駆けこんできて、オルティーネの腰に抱きついた。オルティーネは弟の額に手のひらを当てた。まだ少し温かかったが、もう熱くはなかった。


「姉上、知ってた? 父上が戦をやめたんだって」


「知ってたわ」


「ぼく、行かなくていいんだって」


 弟は顔を上げて、にっと笑った。前歯が一本、抜けたあとにまだ生えそろっていなかった。


「姉上の言ったとおりだった。『行かないわ』って」


 オルティーネは、弟の髪をくしゃくしゃとなでた。熱で寝ていたせいで、後ろ頭の髪が一束、ぴんと跳ねていた。それを指で押さえつけて、ついでに上着の襟も直した。弟は、くすぐったそうに首をすくめた。


 それから、弟は食卓のほうを見て、ぴたりと動きを止めた。


 ファルが椅子から立ち上がっていた。


 ファルは背が高すぎた。台所の梁に頭がつかえそうな男が、紫の長衣を着て、無表情に自分を見下ろしている。弟はオルティーネの腰に抱きついたまま、そろそろと姉の後ろに隠れた。


「姉上。あの人、だれ?」


「紫の文官さんよ。帳面のお手伝いに来てくれてるの」


「……おおきいね」


 ファルはしばらく弟を見下ろしていた。


 それからゆっくりと片膝をついた。床に膝をついて、弟と目の高さを合わせた。その動きは、ひどくぎこちなかった。一度、長衣の裾を膝で踏んで、体が傾きかけた。


「ファルだ」


 ファルは言った。


「……書き役をしている」


 弟は姉の後ろから半分だけ顔を出して、ファルを見た。ファルの目をじっと見た。


「ぼく、エーベルベイン」


「知っている」


「どうして?」


 ファルは少し考えた。


「王子の名前は書き役ならみんな知っている」


 弟はなるほど、という顔をした。それから、姉の後ろから出てきて、ファルの前に立った。ファルの長衣の袖を、指でつまんだ。銀糸のふち取りを、ふしぎそうになぞった。


 ファルは動かなかった。袖をつままれたまま、片膝をついた格好でまばたきもしなかった。


「エーベル、もう戻らないと。侍従が待ってるわ」


 オルティーネが言うと、弟は名残惜しそうに袖から指を離した。


「姉上、また来てもいい?」


「熱がちゃんと下がったらね」


 弟は戸口で一度ふり返って、ファルに小さく手を振った。ファルは片膝をついたまま、少し遅れて、手を上げかけた。上げきる前に弟はもう侍従に手を引かれて、菜園の小道を戻っていくところだった。


 ファルは上げかけた手をゆっくり下ろした。


 立ち上がると、ファルは自分の長衣の襟を指で確かめた。オルティーネは弟の後ろ姿を見送りながら笑った。


「あの子、すぐ髪が跳ねるの。何度直しても」


 ファルの指が襟から離れた。


「……弟君は、あなたによくなついている」


「熱が下がって、うれしいのよ。今日はずいぶん走れたわね」


 オルティーネは戸を閉め、かまどへ戻った。ファルも食卓の椅子へ戻ってきた。


 夕飯は豆の煮込みだった。


 ゆうべから水に浸しておいた豆を塩漬けの脂身と、玉ねぎと、にんじんの残りと、香草の束といっしょに煮た。豆はかまどの上で一刻煮ると、指でつぶせるくらいにやわらかくなった。


 ファルは木のさじで一粒すくって、じっと見た。


「これが別のか」


「三日後のお楽しみ、って言ったでしょう」


 ファルは豆を口に入れた。


 かんだ。


 もう一度、かんだ。


 それから、何も言わずに、二さじ目をすくった。三さじ目をすくった。器の底が見えるまで、一度も顔を上げなかった。


 中身のなくなった器をファルは食卓に置いた。置いてから、器を見下ろしたまま、ぽつりと言った。


「豆は郭でも食べる」


「うん」


「同じ豆とは思えない」


 食卓の端で、マグダが自分の器を両手で抱えたまま、くすっと笑った。笑ってから、慌てて口を押さえた。ファルがマグダのほうを見た。マグダは器に顔を隠すようにして、豆を口に運んだ。


「郭の豆はどうやって煮るの?」


「水と塩で豆がつぶれるまで」


「それだけ?」


「それだけだ。千八百人分を大鍋で」


 オルティーネは、郭の大鍋を思い浮かべた。千八百人分の塩だけの豆。


 ファルの器を取って、おかわりをよそった。


◇


 目録は、思っていたよりも分厚かった。


 マグダは王の寝所の控えの間で、卓の上に置かれた目録を見下ろしていた。宝物方から届いたばかりの目録だった。厚い紙を二十枚ほど重ねて、背を細い麻紐でとじてある。紐は表紙の上で二重に巻かれて、蝶の形に結んであった。


 控えの間には、マグダのほかにもう一人いた。目録を届けに来た侍従だった。若い男で卓の脇に立って、寝所の戸のほうを気にしていた。陛下が湯からお戻りになったら、目録を寝台の脇の卓へ運ぶのが、この侍従の役目らしかった。


 マグダは、前掛けの隠しの上から布札の片割れを押さえた。


 侍従がいるあいだは結べない。


 マグダは控えの間のろうそくの芯を切ったり、水差しの水を替えたりして時間をつぶした。手を動かしていないと、膝が震えそうだった。侍従は卓の脇から動かなかった。寝所の戸のほうを見て、目録を見て、また戸のほうを見た。


 廊下の奥で、湯殿の戸が開く音がした。


 侍従がはっとして目録を取り上げようとした。


「あの」


 マグダは思わず声をかけた。


 侍従が目録に手をかけたまま振り向いた。


「陛下のお寝間の枕の具合を見ていただけませんか。わたし、この前整えたんですけど、陛下が高すぎるとおっしゃって。殿方の手で押さえていただいたほうが、ちょうどよくなるかと」


 自分でも、何を言っているのか分からなかった。陛下は、枕のことなど何もおっしゃっていない。


 侍従はちょっと困った顔をした。けれど、寝所の戸のほうを見て、うなずいた。


「すぐに」


 侍従は目録を卓に戻して、寝所の中へ入っていった。


 マグダは、前掛けの隠しから布札を取り出した。


 指が震えた。布札の紐の端を、目録の麻紐の結び目にかけようとして、二度しくじった。三度目で、紐の端が結び目の輪にくぐった。マグダはその端を一回、二回と巻きつけて、きつく結んだ。布札は目録の背の麻紐の結び目の陰に、ちょうど隠れるようにぶら下がった。


 王家の紋の片方が、目録の背で小さく揺れた。


 持ち主の許しなく。


 裏の墨書きの、半分だけの言葉がマグダの指先に触れた。


 寝所の中から侍従が戻ってきた。


「ちょうどよいようでしたが」


「ありがとうございました。わたしの思い違いでした」


 マグダは頭を下げた。頭を下げたまま、目録が侍従の手に取り上げられ、寝所の中へ運ばれていくのを見送った。


 顔を上げると、控えの間には、もう誰もいなかった。


 マグダは卓の端に両手をついて、長い息を吐いた。それから、ろうそくの芯をもう一度切った。さっき切ったばかりで、切るところなど少しも残っていなかった。


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noteに解説記事も置いてあります:https://note.com/ten_division/n/n804584159471

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