第六話【理由としては十分な】
ヒリヒリと痛む両手首をさする。あの重苦しい空気は霧散し、次々に会場から足音が遠のく音が聞こえる。
その中央にはポツリと取り残された二人の影。俺は何を言えばいいのか分からず、視線を地面へ彷徨わせていた。すると、そんな俺を見かねたのかそうでないのか、男はパッと人懐っこい笑顔を浮かべて振り返った。
「いやー、ほんと悪かったな。痛むか?」
「あ、いや……少しだけ」
唐突な声に驚きつつも、平静を装って顔を上げる。だがそんな俺の緊張とは裏腹に、男は先ほどと変わらない笑みを向けていた。
「改めて。俺はスベギライス・タイタン、【土の街】の17代目司祭だ」
「俺はソル。さっきはありがとう……ございます」
土の街の司祭……母さんも【地の街】の司祭ではあったが、地の街は土の街に包括される立場。ゆえにその地位は同列とは言えない。色々な意味で目上の人間であることを思い出し、ぎこちない敬語を咄嗟に並べる。
だが、彼はそれに笑うことなく、裏表のなさそうな笑顔を向けてきた。
「——礼は安売りするものではないぞ、ソルよ」
いつの間にか人がいなくなっていた空間には、俺たちの会話を鼻で笑うかのようなの声が響いた。
「ミルキール……」
わざとらしく靴音を響かせてやってきたそいつは、高圧的なまでに口角を上げている。
何がそんなに面白いのか知らないが——俺の体は、無意識に強張った。
「貴様も貴様だ、タイタンの小僧。何だあれは? わざとらしいにも程がある!」
「あれー? 俺的にはベストのはずなんだけどなあ」
「何がベストだ! ……はあ、組む相手を間違えたかな。これなら、ダイモスの小僧にでも任せておくんだった」
「いやー、それはどうでしょうね。あの人、仕事に私情は挟まないタイプでしょ? 俺じゃなけりゃ、こうもすんなりソルくんを無罪にできなかったと思うなー」
「実質プラマイゼロだ馬鹿者め。はあ、私の勘も鈍ったかな」
分かりやすく肩を落としたミルキール。だが、それよりも俺は気の置けない様子で繰り広げられる二人の会話に、耳を疑わざるを得なかった。
「——ちょ、ちょっと待て! 無罪に、って……つまりそれ」
「む? 言葉通りの意味だ。いくら私が、他方に顔の効く偉人だからと言って、融通の効かんこともある。殊、【土の街】の件においてはな」
「なんでだよ。お前、ディオネ家の人間だろ? 顔が効くって意味じゃ、【土の街】は庭みてえなもんだろ?」
各街における司祭はいくつかの家系による競争のもとに任命されている。【土の街】には4つの家系があり、今は司祭の任をスベギライスのタイタン家が勤めているが、ミルキールのディオネ家と他2つの家系も負けず劣らずの名家だ。
(まあ、俺も詳しくは知らねえんだけど……)
各街の司祭とそれに連なる家系について教わった時のことを思い出す。俺には関係のない話だと思って聞き流していたが……まさかこんなところで役立つとは。
そう思ってミルキールを見上げるが、なぜか応答はない。どころか、その顔はどこか浮かない。どうしたのだろう、と思いながらその顔を見上げると代わりに答えたのはスベギライスの方だった。
「ま、そこは大人の事情ってやつでな! 俺は元々借りがあったし、それを返す意味でも、この人情のカケラもねえ裁定に一泡吹かせてやったってだけさ。だからお前は気にすんな! ……ですよね? ミルキールさん」
「うむ。と言いたいところだが……これだから貴様は能天気小僧なのだ。もう少し同期を見習え」
「ひでぇ」
「この阿呆はこう言うがな、貴様はこれから証明せねばならんのだ」
「証明? それって、暗黒とかいうやつの……」
「それもそうだが……良いか? 貴様の自由には、私とこいつ……2枚の後ろ盾がある。が、それは永遠と有効であるわけではない。私はさておいても、こいつが永劫と司祭を続けられるわけではないからな。任期は最長で15年……だが、近年ではそれが満足に果たされた事例は少ない」
「はは、ほんと情けねえ話だよなあ。でも、お前はそれを身に染みてるはずだぜ」
「それは……」
「そういうわけでさ。ソルくんはこれから学園で学びつつ、未だ疑心感の抜けきらない捻くれた大人への説得材料に、功績を上げなきゃいけない。暗黒についての情報収集は俺らの仕事でもあるんだが……君も、君自身の目的のためにそれは必要なことなんだろ?」
橙色の瞳が細められる。宿っていた光が細く鈍くなり、彼もこの世界を統べる一人であることを嫌でも理解させられた。
(……いや、目的を知られてようが関係ない。結局、俺にとって暗黒を解明することは必ず通らなきゃいけない道なんだ。たとえ暗黒がなかったとしても、それでいい。その時はただ、母さんたちに杞憂だったと笑って会えばいいんだから)
そう、自身がすべきことはそれだけだ。
昔から何も変わりはしない。自身のためだけではなく、誰かのために……それが、幸せであってほしいと願う相手のためならば。
顔を上げた。その視界には、満足そうに笑う二人の姿があった。
罪だと糾弾された。責任から逃れるなと。いくら否定しても、それすら嘲笑する人の多さに暗闇が見えた。
けれど——たった二人。たった二人が、その道を信じて背中を押してくれた。
足を動かす理由には、十分だった。
✤✤
「——遅い! 獣の餌にでもなる気か!?」
衝撃。右脇腹に衝撃が走った。その重みのまま吹き飛ばされた俺は、全身を壁に強打する。
「……ぐッ!」
「伸びている暇はない! 土煙が晴れる前に星神力の一発くらい撃ち出さんか!!」
そうしたくとも、吹き飛ばされた衝撃で体が痺れている。
だが、それすらもあいつは分かっていて言っているのだろう。
「——ああッ!!」
ここで反撃せねば、容赦ない追撃が襲ってくるのだろう——と、経験から訴えられた俺は体に鞭を打って言われるがまま、星神力を捻り出した。
「反撃してきたことは成長だが——粗末すぎる! 赤子でも避けられるわ!!」
言った側からこれだ。一つ一つの工程をクリアするだけではない、その中に次へ繋がる動作がなければ容赦なく一蹴される。
土煙の隙間から、当たり前のように俺の攻撃を交わすミルキールの姿が見えた。
その表情がなぜか笑っているような気がしたが、それはぐらりと揺れた視界が見せた幻覚であってほしいと心の底から思った。
晴れた土煙の奥から、どさりと重いものが倒れる音がした。
やはり、そこには赤髪の少年——ソルがうつ伏せで倒れていた。
「この程度で気絶とは情けない。このプログラムを開始してもう一年だぞ、反撃の一つくらいまともに撃てんのか」
「——正確にはまだ一年です、母様」
いつもの如く、どこからともなくやってきたメルディーは、そう言ってソルの顔を覗き込む。
プログラムを開始して一年、という自身の言葉を新ためて思う。
【地の街】から連れてきたソルに対し、自身が提唱した3年間のプログラム。
【土の街】の司法所に招集されてしまったせいで始めるのに数日遅れとなったが、こうして何とか一年という月日を継続できている。
今日も今日とて、朝からしごいてやっているが、一向に成長の兆しが見えない。
「部屋まで運んでおきます。目覚めるまで、母様は休日を謳歌してください」
「ああそうする。全く、これでは休日ではなく休時間だな」
書類仕事の息抜きがてら……と思ったが、ほんの数時間で意味をなくした。修行をつける名目で休めるかと期待してみれば、実態は日々の職務より休憩が少し長くなっただけではないか。
「しかしだ、いくらなんでも時間がかかりすぎだ。器用にこなすタイプだと思っていたが……半年で習得したメルディーを見習ってほしいものだな」
「そうでしょうか。人の身で、しかも本来あった星神力の大半を封じられたハンディキャップを背負っての状態なら、上々ではないのですか?」
ソルを寝室まで運び終えたメルディーは、私室に入るや否や、独り言を聞きつけたのか言葉を返してきた。
「ハンディキャップだとお? ちゃんと人並み程度の量に封印したわ、たわけ! ……そうではない、拒絶されているのだ。あやつの内部から」
「……内部から?」
「ああ。あいつの星神力の核へ触れたのは二度。一度目はその量の全容を把握するため、二度目はやつの力を封じるためだ」
プログラムが開始してから一年。今でこそ、星神力の応酬など慣れたものになった。それを可能にしているのが、二度目に施した封印術。あの時の違和感は、今でも鮮明に覚えている。
「……まるで、私の力が拒絶されたように感じたのだ。ほんの一瞬、明確な自我があるとさえ思えるほどの——そう、言うなればあれは一瞥だったのだ、その体に触れるものを選別するための。もし、私の力が守るための封印ではなく、明確な敵意だったとしたら……きっとこの身はここに居なかっただろう」
この国——いや、この星での天下を問われれば、それは私だと言う自負がある。自負だけではない。傍目から見てもその答えが大半だ。
(あいつの体には温もりがあった。それはあの力も同じ。だが、それと同じくらい——無慈悲だった。私の存在が矮小だと、指先一つで消せると言わんばかりの……)
忘れていたわけではない。久方、感じていなかった——恐怖。あの感覚を言葉にするならば、きっとそれが相応しい。
あの一瞬以降、その影を見たことはない。だが、忘れてはいけない。——あれは、神になり得た可能性なのだと。
「……母様?」
「……何でもない。つまり、あいつの力はそれほどまでに強大ということだ。それを残りの二年でどうにかするのが目下の課題だ」
そう、微々たる懸念に頭を悩ませている暇ではない。私……いや、あいつには明確な目標がある。遠くのものよりまず、目先のことから片付けていかなければ。
(それに、いざというときの私だ。万一に対処できず、何が”神現”か)
誰がつけたかも知れぬ異名も、長年寄り添えば愛着が湧くというもの。
頭を切り替え、早速山積みになった目の前の書類に手を伸ばした。
「……さて、今日は寝られるのだろうか」
「コーヒー、淹れてまいります」
うん。寝させる気はないらしい。
部屋を後にしたメルディーの背を見届けることなく、私は書類へと向かった。
✤✤
翌朝——ミルキールに伸されてから、丸一日寝てしまった俺は心地よい気分で目覚めてしまったのだった。
いつまで寝ていると叩き起こされそうなものだったが、それをされなかった理由を、今朝あいつの私室に積まれていた書類の山を見て理解した。ついでに、その中央で放心状態になっているあいつの姿も見かけたが、良心でそっとしておいた。
そんな中、今日も訓練場へ向かう。あの様子だと今日は一人での特訓になりそうだ——と思っていた矢先、目の前に一つの影が立っていた。
「おはようございます、ソル」
「ああ、おはよう。今日はメルディーなのか」
「ええ。母様には今日中にあの書類を終わらせて頂かないといけませんから」
「そ、そうか……」
それは御愁傷様としか言いようがない。俺は心の片隅で手のひらを合わせた。
俺はメルディーを見上げる。背丈は彼女の方が少し高いくらいで歳もそんなに差がある印象はない。約一年二人と寝食を共にしてきたが、俺は彼女のことを——いや、二人のことをあまり知らない。
「早速ですがソル、以前の復習といきましょう。星神力を分類する”創生術”と”創星術”については覚えていますね?」
「あ、ああ。確か『火・水・木・金・土』の5属性から成るのが”創生術”で、『天・地・海・冥』の4属性から成るのが”創星術”……だったよな?」
そこは何度もテストをさせられたから覚えている。『星神術の基本の”き”だ!』とミルキールに口酸っぱく言われていた。
ただ、俺はそれを知識として知っているだけで、自身の星神力がどの属性に当たるかなど知る由もない。
今日はそのことについてやるのかと彼女を見上げると、メルディーは相変わらずの無表情で淡々と続けた。
「しっかりと覚えているようで何よりです。では本日は、それに基づいてあなたの属性を確認します」
「俺の……?」
やはりそうかという思いもありつつ、今までやってきたプログラムの内容と隔離した内容に、珍しさを覚える。こう言うことは段階を経て受けさせるタイプだと思っていたのだが……今日は特別な日なのだろうか。
「ではソル、まずはこの水晶に触れてください」
「お、おう」
懐から両手で収まる程度の水晶玉を出したメルディーは、それを俺の前に差し出す。
言われるがまま水晶玉を受け取ると、今度はそこに星神力を流すように言われた。
「ほんの少し、手のひらに集中させるだけで良いのです。あらかじめ設定された周波と同じものが水晶の外部に検出されると、自動的に水晶が属性の色を表してくれます」
ほんの少し、ほんの少しとはどの程度だろう。メルディーの説明が右から左へと流れていく。
俺はどうやら星神力の調整が下手らしいと、この一年でミルキールから何度も言われた。あいつの封印術のせいではと勘ぐった時もあったが、体内を圧迫するほど膨大な俺の星神力は4割程度に圧縮され、今も俺が生きていられる理由だと言われてはそれ以上何も言えなかった。
「創生術は青・黄・緑・桃・橙。創星術は銀・茶・金・紫。それぞれが各民の瞳の色と一致しています。例外はあれど、瞳の色を見ればその者の属性が分かると言われるほどに……」
じっと俺を見下ろすメルディーの言葉は続かなかった。いや、続ける必要はなかったのだろう。俺が一番、それを理解している。
(あの裁判で、やっと俺も認められたと思ったのに。こんなところでも、見せつけられるのか……)
ヒヤリと心臓が冷えた。指先から凍るように、まるで間違いを指摘された子供のようだ。
そっと、視線を上げた。俺を見下ろすその瞳は見慣れたものであるはずなのに、今の俺には未知であるように思えた。
(ミルキールもメルディーも、瞳の色は金に近い橙……対して、俺は——)
異端である自覚はあった。自身の過去を鑑みずとも、鏡を見れば理解させられる現実。
——赤髪に、赤眼。
どの民とも、星神力の属性色とも一致しない色。
例外はあるとメルディーは言った。けれどそれがこの場に当てはまるか否かは、俺が一番知っていた。
「……何も、変わりませんね」
彼女は、何も変わらない水晶玉を見下ろして言った。
ああ、やっぱり。悲壮感たっぷりの独り言が心の中で溢れた。
「あなたが今、何を感じているのかは分かりかねますが……こうなる事はすでに想定済みでした。ですからソル、あなたは思慮深い母様をやはり崇めるべきなのです」
——微笑みだった。
穏やかな声音で、それでもどこか見よう見まねな温もり。初めて見た彼女の表情は、思わず息を呑んでしまうほどに慈愛に満ちていた。
「ソル、手を」
メルディーの冷たくて温もりのある両手が、水晶を支える俺の両手を包んだ。
彼女の手から、俺の手を取って水晶を光が包む。それが彼女の星神力であることなど、疑いようもなかった。
「これは私と母様からの祝福の証。困難の一部を払い除ける、一つの盾。どうか受け取ってください——13歳の誕生日、おめでとう」




