第五話【不条理な裁断】
無機質な道を歩く。埃ひとつない壁や床は、高い天井につけられたシャンデリアの灯りが反射している。
靴音が響く。自分の足音と、もうひとつ。
「これはこれはミルキール・ディオネ殿。本日はこのような——」
「世辞はいい。司祭自らの通達とは大袈裟だな」
猫撫で声で背後から話しかけられるだなんてたまったものではない。というかそもそも、この小太りな男は誰なのだ。
白いローブに茶のストライプをあしらった腕章の装飾——見たところ、【土の街】の司祭のようだ。何より、禿げかかった金色の髪が大きな証拠だろう。
「大袈裟などではございませんよ! 【地の街】に異変を起こすとは、すなわち我ら【土の街】の民——引いては司祭様に泥を塗るようなもの! ミルキール殿も、さぞ御冠でしょう?」
(ああ、お前たちにな)
とは、口が裂けても——いや、今際の際くらいにしか言えない。
相変わらず気持ち悪い声を止めようともしない男に対し、いちいち目くじらを立ててもいられない。そんなことを思い、ため息を吐く。
そのため息一つで終止符を打ちたかったが、どうにも察しの悪い男は自慢げに言葉を続けた。
「そもそも、保護区の管轄は我らの重大な責務! 今代ではタイタン家が司祭の任を負っていますが、私はディオネ家——いえ! ミルキール殿こそ相応しいと自負しております!」
これはどんな拷問だ? 聞いているだけでも吐き気が込み上げてくる。
(というかどんな自負だ。本人にくらい許可を取れ)
人を縛り、あまつさえそれを責務として誇る——そんな神経を持つ者たちへの共感など、あの時の幼心と共に捨て去った。それを知る者がいないとは、なんと歯痒くやり辛いものなのか。
「……私は学園の管理で忙しい。最も、そんなものに端から興味はない」
もはや何度目とも知れぬ、世間と自身へのため息。
早くこの辟易とする会話を終わらせられないだろうか——と顔を上げた時、目の前に扉が見えた。
「さ、着きましたぞ。すでに司祭様たちはご到着です」
男は重厚な扉を開いた。
ああ、やっと会話が終わる——という安堵の息を吸った瞬間、今度は臓腑が凍えそうなほどに冷え切った空気が体中に入り込んだ。
✤✤
まるで絞首刑を待つ囚人のようだ。
冷え切った空気に、鋭い視線。頭上にはスポットライトのように光るシャンデリア。
(何だ。一体、何が始まるってんだ……!?)
重々しい雰囲気に、呼吸が浅くなる。
今すぐ逃げ出したい衝動に駆られるが、腕も足も動かない。それは精神的な意味でもあり、物理的な意味でもある。
(くそっ、腕も足も……まるで罪人じゃねえか!)
キツく縄で縛り上げられた両手足。座らせられた椅子の背もたれを挟み腕を固定され、椅子の足に俺自身の足が固定されている。
「——なあおい! ここはどこなんだ!? 誰かいるんだろう!」
人の気配は感じるのに、声だけが一向に帰ってこない。来るのは、わずかに反響した自身の声だけ。
(確か、ミルキールのやつは”司法所からの通達”……とかって言ってたよな。だったらここがその司法所——昔で言う裁判所的なもんか?)
というかそもそも、そう告げた本人はどこへ行ったのだ。
目線の先には、自身を囲むようにそびえる壇上。裁判所で裁判員が座っている場所のようだと思ったが、その中心にいるのは俺ただ一人。弁護士も刑事も見当たらない。
その時、無機質に規則的な音が響き渡った。カンカンカン——と脳の奥まで合図を告げるように響いたそれは、まさしく断罪の始まりを告げる鐘の音のようだった。
「——これより【地の街】司祭”レヴィーナ”の叛逆の容疑及び、【地の街】虐殺への審判を始める!!」
誰かが高らかと告げた。
それが当然であるように。
その事実を、全ての者が納得しているかのように。
「……どういう、ことだよ。——叛逆? 虐殺? そんなもん、あるわけがないだろ!! 母さんたちは、この世界の未来を願って命を捧げたんだ!」
”巻き込まれた身”、”被害者”……なんてことをミルキールは言ったが、今の俺にはそんなこと関係なかった。だって、そうだろう。家族を貶されて黙っていられるやつが、どこにいるって言うんだ。
——だが、俺の意思に反するように現実は非情だ。
「……聞いた? やっぱりあの話は本当だったのよ」
「ああ、だとすれば【地の街】は本当に……」
ざわざわと空間に細かな声が満ちた。だがその空気は先ほどとは違う……いや、それ以上に冷え切った空気をしている。
(何で、そんな目をする……? なんで誰も、何も言わないんだ。これじゃあまるで、まるで——)
この中で、俺だけが異質だった。異分子だった。いや、この空間だけではない。きっとこの世界で俺は不自然な存在なのだ。
その事実を突きつけるような声が、静まり返った空間に響いた。
「——お聞きになりましたでしょうか! 今のは自白以外の何ものでもありません! 『命を捧げた』と言う証言通り、【地の街】の司祭は禁忌を犯しました! 弁明の余地はないでしょう!」
まるでその言葉を待っていたかのようだ。嬉々とした声音が空間を占拠し、俺はただ茫然と冷酷な瞳たちを見上げる他なかった。
その中で、一つの見慣れた瞳があった気がした。それは、俺を囲む四方八方の視線の中で、唯一わずかに熱を持った気配だった。
「……ミルキール? ——おい! ミルキール、いるんだろ!? どういうことか説明しろ!! ここは何だ!? 何が起こってる!? 自白って……俺は罪を犯した覚えはねえ!! 母さんたちが一体何をしたって言うんだよ!」
口早に捲し立てた。こうでもしないと、あいつが俺を見てくれなくなってしまう気がして。
「お前言ったよな!? 『暗黒について聞いたことがある』って! 母さんはあの儀式を行うことが使命だって言っていた……それってつまり、暗黒っていうのがそれほどまで強大で、この世界に危機をもたらす何かだって言うことだ! それをあんたの口からも説明してくれ!」
彼女の凛々しく振る舞いつつも、どこかで気の抜けたような声を思い出す。いつも彼女は、奥にある何かを隠すようにおどけるが、その本音はいつだって現実的だ。
(あんたの目に、俺は今どう映ってる?)
何も聞こえない、無音の空間が恐ろしい。気づけば、ざわざわとうるさかった喧騒も止んで、誰も彼もがその人の言葉を待ち侘びていた。
じっと壇上を見上げる。彼女が口を開く数秒がひどく長く感じられた。
だが、口を開いたのは彼女ではなかった。見上げた時、僅かに聞こえた押し殺すような吐息は聞き間違いだっただろうか。
「ははは! 暗黒などと、そのような……!」
その声は真の意味で俺を嘲笑し、無様と嘲笑っている。
「何がおかしい!!」
奥歯を噛み締め、睨みつけるように声を張りあげる。
だが、男の声を皮切りに周囲の喧騒が一層ざわめき立ってしまう。どくりと心臓が跳ねた。
沸々と嫌な予感が背筋を伝う。今になって、手首と足首に食い込む縄が痛い。
そして、男は喉の奥を震わせるような笑い声を低く響かせながら言った。
「暗黒? 誰がそんな世迷言を信じると言うのだ?」
それが、この世界の総意だった。俺には確かにそう感じられた。
呼吸が止まったかのように、くらりとめまいがした。息つく暇もなく、男は続けた。
「聞いたことも見たこともない! この数百年の歴史に、そんな言葉が記されていた覚えはなし! あまつさえそれを使命などと……」
その嘲笑は、次第に呆れへと変わった。そのため息に、俺は全てを理解した。
(信じないんじゃない。そもそも存在さえしないんだ。こいつらの頭にも、この世界の記録にも)
存在しないものを存在すると言って、あまつさえそれを理由に禁忌を犯す。その行為は、確かに男の言う通り妄言でしかない。
今になって重力という重みを感じたかのように、俺の頭はぐったりと項垂れた。
(でも、それでも……!!)
拳を握った。重く項垂れる頭を起こし、首筋にグッと力を込める。
こいつらの目に、俺がどれだけ滑稽に映っても構わない。ただ一つ、俺のまぶたには焼きついて離れない光景があった。
「——ふざけんじゃねえ!! 暗黒が無いだなんて、一体誰が言った!? お前らの狭い脳みその中で結論づけた答えを押し付けんな! ……確かに、母さんたちの行為が善だと言えるわけじゃない。——だがな!! 平穏を願った想いを裁く権利が、あんたらにあるってのかよ!?」
今だって、全てに納得したわけじゃない。困惑も疑問もある。ただ、それらを押し込められるほどのものが、そこにはあった。
(最後の一瞬……確かに見えたあの表情は、安堵だった。母さんたちの望んだ存在を演じた俺へ向けられた、確かな笑み。その希望が滲んだ涙を、俺は覚えてる。——その全てを、反逆や虐殺だなんて言葉で括らせてたまるか!)
そう。それを俺が覚え続けている限り、彼女たちの全てを否定させはしない。
「——よく言ったな! 司祭の坊主!!」
俺の言葉で静まり返った空間に、再び声が張り上がった。今まで嘲笑を続けていた男の声でも、ミルキールの声でもない。知らない、若い男の声だった。
両の手のひらをパンパンと高らかに叩くその音は、一種の喝采のようにも思えた。
「ハハッ、話には聞いていたがほんと面白いやつだな。その信念の貫き様は俺も見習わないとだな!」
「ス、スベギライス様……! 突然何を……!?」
スベギライスと言われた男は、嘲笑をしていた男の静止を無視し、壇上から降りてきた。
オレンジの癖のある髪を、犬の尻尾の様に後方でまとめている青年だ。嘲笑していた男とは違って、どちらかと言うと好奇心にも似ている。
「あ、あんたは……?」
「俺はスベギライス・タイタン。よろしくな!」
俺の目の前に立った男は、口角を上げて俺を見下ろしている。だが嫌な感じはない。と言うよりむしろ、人懐っこいしば犬の様な印象を受ける。
「スベギライス様! 他の司祭様たちもおられるのですぞ! これ以上の混乱は……!」
「混乱? そもそも保護区である【地の街】の管轄を担ってるのはこの街のはずだ。有事の際の権限はこっちに一任される。この判決がどう転がろうとも、否応なしに責任の一端はこっちにも付けられるんだ。だったら、一欠片と言わず全部を負ってやるって言ってんだ。他の司祭に何ら迷惑はかからねえはずだろ?」
「そ、それは……!」
男はそれでも何かを言いたげだったが、スベギライスは見て見ぬふりをして続ける。
「転生の儀の使用を予期できなかったことに関しちゃ言い訳も立たねえが、坊主の言うことも一理はある。本当に暗黒なんてもんがあったとして、もしそれがこの国を脅かす脅威であった場合……レヴィーナさんたちの想いは情状酌量の余地があるんじゃないか?」
彼は目線だけを俺に向けて僅かに微笑んだ。今の俺には、それだけで心が救われる様だった。
だがそれだけで覆るほど、現実は甘くはなかった。壇上の中から、抗議の声が上がる。
「いくらこの【土の街】が【地の街】を包括する権限があるとはいえ、それは横暴もいいところだろう! 本件に関して重要なのは、”転生の儀”を行ったという事実だ! それに加え、多くの人民の命を犠牲にしているのだぞ! 民の総意なら議論の余地はあるが……もはやそれを確かめる術もない。あなたの発言はこの事実への責任を放棄すると言っているも同然だぞ!?」
その言葉に嘘はない。どんな思いがあったとしても、事実は事実——どうすべきかと、俺は口を引き結んだ。
だがそんな俺に大丈夫だとでも言うように俺の頭を一撫でし、彼は凛々しく壇上を見上げた。
「確かに、その意見は尤もだ。とはいえ、事実の確認って点で言うなら、こいつに責任を負う理由は尚更ないはずだぜ?」
彼は背後にいる俺へ親指を向けた。突然のことでびくりと肩が跳ねつつも、その大きな背中を見上げた。
「”転生の儀”を受けた被害者の末路は皆さんもご存知の通りだろ? 今回は奇跡的な例外ではあったが……ま、つまりだ。被害者にその責任を持て、なんて話……理不尽にも程がある。結局、どう足掻いたって”暗黒”っつー存在がネックだ。なら、今回の件に関する処罰は暗黒って言うやつを解明した後の方がいいと思うんだが」
「ふ、ふざけるな……っ!! 被害者だろうが何だろうが、当事者であることに変わりない! その責任を放棄するというのか!? それに、暗黒などと訳の分からぬものの解明など、一体どれだけの時間を有すると思っているのだ!! 下手すれば何百年とかかるやも知れんのだぞ!!」
ダンッと音が響く。癇癪を起こすように、抗議をしていた男が机を殴りつけたのだ。
当事者の俺が言うのもなんだが、確かにスベギライスという男の言い分はまとまりかけていた判決に水を差した様なものだろう。
この分断しかけていた空気をどうするのだろうかとその背を見上げた時。一つの声が響いた。
「……そう声を荒げるでない。結果という事実の中に、汲むべき事実があるのならそれを無視しては公平は語れん。レヴィーナ司祭が亡くなった今、その責任を右も左も知らぬ子供に預けるというのも酷な話だ。それに【地の街】の権限は真の意味で【土の街】を統べるタイタン家……いや、司祭にあると言えよう。そしてその本人が責任を取ると言っておるのだ、もはや我らが言うことはあるまいよ」
「グッ、ぐぅ……!!」
癖のある言葉遣いに、その雰囲気に似合わない少女の声。俺は咄嗟に声の方向を見上げた。
その声の主は、ここからでも分かるほどに底知れぬ笑みを浮かべている。
(ったく、タイミングのいい奴だな……)
普段の抜けた態度はどこへ行ったのか。余裕綽々と言ったふうに腕を組む姿に、思わず口元が綻ぶ。
すると再び、パンッ! と空気を変える音が響いた。その音の源——スベギライスは自身に満ちた顔で笑っていた。
「——それでは此度の一件! 【土の街】司祭たる、このスベギライス・タイタンが預かろう!!」
彼は声を張った。まるで、空間にある光全てが彼に焦点を当てているようだ。先ほどまで、疑念の嘲笑の空気が満ちていた空間が、いつの間にか彼の空気に変わっている。
数分前までなら全ての発言に揚げ足を取られ、反論の余地さえなかっただろう。
——だが、今はどうだ?
いきなり現れ、いきなり物申し始めた男。行動の真意さえ読めない相手が、今はこんなに頼もしく思える。
全てが敵だと思った。信じようと思えたものさえ、敵だと思えるほどに。だが違った。暗闇の中で微かな希望の光が灯った。
(きっと、母さんたちもこんな気分だったんだろうな……)
目の前にある希望ほど、嬉しいものはない。俺はそれを理解した。
そして、いつの日か俺もそうあれればいいと心の片隅で願った。




