第三十二話【死角】
「ソル! 2匹そっちへ行ったぞ!」
「——はい!!」
前方から向かってくる二匹の野獣。
虎のような、チーターのような見た目をしている。
だがその牙は顎下に届くほど長く伸びていて、鈍く光る。
ビルベッドさんの指示のもと、俺は星神力を放つ。
ハンドボールほどの大きさの玉を二匹めがけて。
だが、そう簡単にはいかないらしい。
左右へ軽々と避けられてしまう。
「……くそっ、だったら!」
今度は土を——いや、数十個の粘土岩を具現化する。
それを乱れうちの要領で、二匹に向けて放つ。
粘土岩に当たり、動きが鈍った瞬間、今度は砂漠に星神力を流す。
そしてそれを操り——野獣の足元に蟻地獄を生み出す。
砂の流れに従って、野獣が砂漠に引き摺り込まれていく。
もがけばもがくほど、深みにハマる。
「うまく行ったようだな、ソル」
「ビルベッドさん……みたいっすね」
「やはり星神力の有無は大きいな。俺も使えれば良かったが」
ビルベッドさんは大鉈についた血を振り払うと、転がっている野獣の一体を担ぎ上げた。
その周囲には腹を割かれた野獣が三体も転がっていた。
「それは?」
「今晩の飯だ」
野獣が? 嘘だろ。
この世界にはヘンテコな料理が数多くあるが……
それは予想外だ。
「食える、んですか……?」
「ああ、意外といける。あまり食う奴はいないが」
これぞ野営の知恵。
頼もしい限りだ。
……明日、腹壊さなきゃいいな。
集会場の一件から二日。
俺とリィリスはビルベッドさんの案内の元、麓の村を抜けて砂漠を歩いていた。
野獣を討伐しながら、リィリスが言っていた北東の遺跡を目指して。
そんな中で俺たちは野獣の肉を煮た鍋を囲んでいた。
「どうだ、野獣の肉は」
「んん〜……むぐっ。はい、まあ肉は結構硬いですけど、弾力があると思えばいけますね。意外とクセがなくて……味付けのおかげかな」
「お気に召したようで何よりです。もっと時間があれば、ちゃんと煮込めるのですが」
「そうか? これほどうまい飯は食べたことがない。まさか野獣の肉がここまで化けるとはな……」
いや、今までどんなの食べてきたんですか。
リィリスのおかげで柔らかくはなっているらしいが……噛みちぎるの、結構きついぞ。
二口、三口、咀嚼するだけで顎が疲れてきた。
「……なあ、一つ、聞いていいか」
「はい?」
肉と格闘していると、ビルベッドさんが手を止めて聞いてきた。
思わず俺も肉を飲み込んで、食べる手を止めた。
「お前はなぜあの時、あんなことを言った?
人の恨みや怒りを受け入れる……言っていることは立派だが、お前にその義理があるのか?
お前が家族を大切にしているというのは分かっているが……
まるで自身が傷つくことを恐れていないかのようだ。
そんな無謀をお前は是とするのか?」
「……是とする、っつーか……どうしたんですか、突然」
「いや何。お前を見ていて思ったんだ。お前の周囲には、それを後押しする者しかいなかったのだろうと。
否定とは、時に相手を守るためになる。まあただ、その大部分は結果的にだが」
それは経験則だろうか。
難しい話だ。
だが改めて聞かれるとそうだな……。
怖くないかと言われれば、怖い。
だって俺はマゾヒストじゃないから。
痛いものは嫌いだ。
いくら瞬間的に傷が治るとはいえ、ちゃんと痛覚はある。
けれども、まあ……、
なんだろう、うまく言えない。
こういう大事なことを言葉にしてこなかったからか、そういうのはどうも苦手だ。
言葉がまとまらない。
「……ビルベッドさんたちには、悪いこと言ったと思ってるよ。
けど、俺にとってメルディーは大切な家族だ。そこは譲れない。
でも……いや、だからこそかな」
ずっとそうだ。
秋奈に何も言わなかった。だからあいつを泣かせた。
この世界に来てからも、後悔は何度も俺を襲った。
【金の街】での初任務。
あの時、俺は心の底でブレーキをかけた。
感情のまま星神力を使えばお前はまた倒れるぞ、と。
そしたら、みんなが傷ついた。後一歩で死ぬところだった。
天の声なんてイレギュラーが現れなければ、実際俺は死んでいただろう。
メルディーを、裏切り者だと断罪した。
そんなことないと分かっていたのに。冷静になりきれなかった。
不安定な己の心がささやくまま、俺は彼女を見捨てるところだった。
メルディーは、俺を心配してくれたのに。
「恐怖や自己保身の末に迎える後悔なんてクソ喰らえだ。
心の奥底で、わずかに滲んだ想いがあるのなら……
それが誰かのためになるのなら、俺は貫き通したい。
そうやって生きると、俺はあの夜、決めたんだ」
俺の中で、未だ答えの出ない問いがある。
あの一夜を——母さんたちを報わせるにはどうすればいい。
ミルキールやスベギライスたちのおかげで起点に至ることができた。
けれどもその先は?
ふとした瞬間、考える。
俺だけにしかできない使命。
あの涙を知る、俺にしか。
ビルベッドさんは何も言わなくなった。
何かまずいことを言っただろうか。
いや、この人にとってはずっとそうか。
俺の発言も行動も、この人の半生を思えば逆鱗に触れ続けているようなもんだ。
「……子供らしからぬと思ったが、そんな青臭さは年相応だな」
と、思っていたが彼の声は予想外にも穏やかだった。
とはいえ、納得はいかない。
これはあれか、厨二的な意味か?
いや、そりゃ改めて聞くと恥ずいけどさ……
そこまで言わなくたっていいじゃん?
「ああ、すまん。バカにしたわけじゃない。
ただ、尊いものだと思ったんだ。
俺の息子も、似たような青臭さを持っていたと思い出せた。ありがとう」
思わず面食らう。
どうやら顔に出ていたらしい。
だが、そんなふうに微笑まれちゃ、もう何も言い返せない。
「……そ、そういや遺跡まであとどれくらいだ? 期限まで……あー、と……二日? ってとこか」
「そうですね」
「期限? なんのことだ」
難しい顔をしていたビルベッドさんが顔を上げた。
そういえば話してなかったか。
とりあえず、話を逸らすことには成功だ。
俺は掻い摘んで、これまでの経緯を話した。
ビルベッドさんは終始「そうか」と何ら変わらない様子だった。
が、俺はいつ殴られるかちょっと身構えていた。
いや、そんなことにはならなかったけど。
「まさかお前がそんな大物だったとは。だがおかげで納得した。
変な部分が大人びているというか……子供らしからんと思っていたんだ。
妹ともどもな」
「いや、だから兄妹じゃないんですって」
「どちらかといえば、姉弟なのはメルディアン様とソル様ですね」
「ぐっ……それは、まあ……うん」
どいつもこいつも兄妹呼びしやがって。
今となっちゃ、それも懐かしいというか、嬉しいというか——
いや、嬉しくはない。うん。嬉しくはない……はずだ。
「——って、んなことはどうでもいい!!
リィリス、結局遺跡まであとどれくらいなんだよ」
「……このペースで行きますと、2、3日はかかります」
「はあ!? そんなに遠いのかよ……」
「仕方ありませんよ。観光客や星神術者に見つからないルートを通る以外にも、野獣との戦闘だってあります。私が戦えば話は変わってきますが……」
「待て。『戦えば』とはどういう意味だ? お前は戦えないのでは?」
「……戦えないと言った覚えはありませんが、今はその気遣いに助けられたのも事実です。ですが、そうですね……」
リィリスは視線を逸らす。
気まずそうに、何かを言い淀んでいる。
そういやそうだ。
今までビルベッドさんがリィリスを野営地に置いて行くのが流れだったせいで、忘れていた。
リィリスは星神力が使えたはずだ。
スベギライスと別れる前に『俺を守る』的なことを言っていたし。
それに断崖を降りるには【天】の属性を使う必要がある……とも言っていた。
そこら辺の知識もちゃんとあるのだろう。
「ビルベッド様。少し、短刀を貸していただいても?」
「……ああ、構わん」
リィリスはビルベッドから短剣を受け取ると、踵を返した。
何をする気だ? と俺たちが見つめる矢先、一つの大岩の前で立ち止まった。
リィリスの背と同じくらいの大きさだ。結構大きい。
「このペースでいけば、後2日。用心のためにと残しておいたのですが……これならその必要もありませんね」
「……リィリス?」
短剣を見つめてどうしたんだ?
一体何を……
そう思っていた矢先。
リィリスは片腕を背後へ引くと——拳を大岩にぶつけた。
瞬間、大岩は小石の数々となって砕け散る。
「……………………え?」
ドゴォ、という地響きにポカンと口を開けた。
というより塞がらない。
今、何をした?
大岩を砕いたのか? 拳一つで?
「……とまあ。私にはこのような物がなくとも、幾らかの命を絶つ術があります。星神力もその一つ」
ええ、そりゃ、ほんと……お見事で。
だがどうして突然そんなことを。
パラパラと土クズや砂埃が舞う中、振り返ったリィリスが言う。
「私は人造人間ですので、いろいろな部分が常人のそれとは違うのです。そのように造られた存在ですから」
うん、それは知ってる。
でもやっぱり疑問だ。あれから2日彷徨った今、ことの詳細を話す理由はなんだ?
「村の連中がいる場所ならともかく……ビルベッドさんはんな事を気にする人じゃないって分かってるだろ? どうして隠してたんだよ」
というか——待て。
『そのように造られた』だって?
おかしくないか? それ。
小さく吹いた風が、俺と彼女の間を割った気がした。
リィリスはメルディーを元にして造られた。
だが、その言い方じゃ、まるでこの怪力を意図して組み込んだと言っているようなものだ。
普通の人間には、彼女のような怪力はない。
完璧な人間を生み出す実験ならば、これほどおかしな話もないだろうに。
だが……俺はなぜかこの疑問を口にできなかった。
背を向け続けるリィリスが、不意に怖くなったんだ。
「どうやら、私はこの数日でだいぶ絆されてしまったようです。
人の心なんて、持たされてはいないはずなのに。博士に聞いてみなければなりませんね」
「……は、かせ……って。お前——」
どうして今、その言葉が彼女から出てくるのか。
俺は分からずにいた。
けれども直後、俺はその意味を理解した。
「——ソル!!」
突然、目の前で火花が散った。
鈍い金属音と共に。
「……は、え?」
呆然とする俺の前には、大鉈を構えるビルベッド。
その手前には、弾き飛ばした短刀が砂をかぶって転がっている。
「外しましたか」
「お、い……リィリス?」
「これは何の冗談だ、リィリス。後一歩で冗談とも呼べなくなっていた」
「冗談? まさか」
彼女の表情は変わらない。
笑顔で言ってくれていたら、まだ何か言える余地はあっただろうか。
俺だけが状況を飲み込めないでいると、状況が動いた。
リィリスは、先ほど砕いた大岩の破片を手に取り——投げた。
俺たちに向かって。
「——!?」
「くそっ——!」
再び、ビルベッドさんが大鉈で庇ってくれた。
俺は尻餅をついたまま、尚も動けない。
だって、それは明らかな殺意だった。
俺たちの脳天めがけて放られた一撃。
無数の投石一つ一つが、命を狩る機会を狙っていた。
「あなたは邪魔です」
「——がッ、……ッ」
今度は、リィリス自身が向かってきた。
大鉈を構えたビルベッドさんを蹴り上げ、吹き飛ばす。
まるで小さな子猫の腹を蹴り飛ばすかのように、軽々と。
「ビルベッドさん!!」
吹き飛ばされた方向には、数滴の血が飛んでいた。
ヒヤリと体が冷えた。
「……っ、おいリィリス! お前、自分が何やってるか分かってんのか!?」
いや、分かっている。
彼女はきっと正気だ。
何せ、その瞳が全く変わってないのだから。
「状況を理解できていないのはあなたの方では?
ただまあご安心を。
この数日間の気遣いに免じて命は保証します。
手加減はしましたから」
彼女の視線の先を見ると、遠くでうずくまるビルベッドがいた。
よく見えないが、モゾモゾと動きがある。
よかった、生きてる。
でも——だとしても。
ようやっと、俺の脳は事実を飲み込み始めた。
と同時に、ああまたか、と思った。
「……ざけんなよ。俺はもう、裏切りは懲り懲りだ。
自分がすんのも、誰かにされるのも」
拳を握った——と、同時に巻き込んだ砂をぶちまける。
咄嗟に顔を庇った瞬間に、俺はリィリスと距離を取る。
「けほっ、けほ……殺せないというのがこれほど難しいとは」
「俺を殺せない? そりゃおかしな話じゃねえか。
リィリスお前、メルディーを助けんのを邪魔するのが目的だろ?
いつからだ。いつから裏切ってた」
「裏切りとは心外な。私は博士に与えられた命令をこうして守っているではありませんか」
命令? 一体いつから——いや、そんなの分かりきってる事じゃないか。
与えられたってことは、リィリスは博士と接触した時があったということ。
俺が知る限り、それはあの時……メルディーが領主の屋敷を訪れ、さらわれた時。
どうしてこの可能性を見落としていたのだろう。
彼女は倒れてはいたが、怪我を負っているわけではなかった。
スベギライスが治療をしていたから、自然とそう思ってしまっただけで。
「——逃げろ! ソルッ!!」
「……っ!!」
後方からビルベッドの叫び声。
気づいた時には遅く。
背後には、ドリルのような形をした砂の塊が無数に浮かんでいた。
そして、それは俺に向かって——
「——がっ……ああああああ!!」
放たれた。
避ける暇なく、俺の体を無数の砂ドリルが貫いた。
腕、足、腹、胸部——いろいろな部分から焼けるような痛みが襲う。
喉を迫り上がった血が、勢いのまま口から飛び出る。
重力に従い、俺はそのまま地面へ倒れ込む。
「報告によれば、あなたは治療術を会得しているようですから。
まあ、それもこれも……あなたが適合者である証拠」
どうして、それを……?
俺が治療術を使えるなんてのを知ってるのは、あの洞窟にいた面々だけのはず。
それに適合者って——ああ、確かキマイラが言っていたような。
痛みで思考がまとまらない。
「……本当に体が治っていますね。冥府への道を遡行する必死さの理解はできませんが……博士が興味を持つのも頷けますね。意志朦朧とした状態で治療術が行えるとは」
自身の星神力が消費されている感覚があった。
そういや、オートにできるって言ってたな……
意識が朦朧とする中で、頭に浮かんだのはそんなしょうもないこと。
それほど頭が回っていないのだろう。
薄れゆく意識の中、俺はリィリスに担がれたということだけを理解した。




