第三話【再起点】
どうして俺はこんなに弱いのだろう。
皆の願いを叶えなければならないのに。
あの涙を、あの命を徒労で終わらせたくはないのに。
意識が遠のく一瞬、脳裏に浮かんだのは両親の笑顔であったり、街の人の楽しそうな風景だったり——当たり前に続くと思っていたものだった。
それを壊したのが自らの手であったとしても、彼らの意思を無碍にしていい理由にはならない。
(ごめん……ごめんな)
あの時——少女の挑発に乗らず、もっと冷静に物事を考えられていたら。
膨大な星神力をただぶつけるだけじゃなく、もっと工夫して戦えていたら。
そんな後悔が今になって湧いてくる。死んでしまっては、後の祭りだと言うのに。
(いや、待て……俺は本当に死んだのか?)
だったらなぜ、こうして物事を考えていられる?
(死後の世界……ってもんがあるかは知らねえけど、でもこれは)
意識だけじゃなく確かな感覚があることに気づく。
指先に感触がある。それだけじゃない、自身のまぶたが閉じている感覚も。体が何か温もりに包まれていることも。
これは、もしや——。
「う、うぅ……」
まぶたが開くと、その眩しさに目が眩んだ。何度か瞬きを繰り返し、ようやく目が慣れてきた時。
頭上から見知らぬ声と顔があった。
「目が覚めたようですね」
眼前にいたのは、金髪金眼の美少女。さらりとした金髪が俺の顔の横に垂れ下がる。
「……って、うぉっ!! 誰だあんた!?」
驚きのあまり飛び起きる勢いで大声が出た。だが金髪の少女は表情をぴくりと動かすこともなく顔を離した。
(こいつ、あの時の? いや、それにしたって雰囲気が……)
状況が状況だったこともあるのだろうが、あの時感じた威圧感を感じない。
「ふむ、元気良好……丈夫な体に感謝することですね」
「あ、あんたは……?」
「私はメルディアン。昨夜のことはどこまでご記憶ですか」
「昨夜……? そうだ、俺はあいつに……」
言われて思い出す。そして自身の手のひらをかざし見ると、そこには一筋のかすり傷さえなかった。
「覚えているようで何よりです」
端的な自己紹介と昨夜についての確認。その淡々とした様子に、やはり昨夜の少女ではないことを再認識する。
「なあ、ここは一体どこなんだ? 俺はあの後どうなった? 街は?」
「一度に複数の質問をしないでください。ですが、こちらとしてもその報告と確認をしておきたかったところです」
一呼吸を置くと、少女——メルディアンはひとつひとつ話し始めた。
「まずあなたの現状について。ご存知の通り、昨夜の一件で【地の街】は名実ともに滅びました。あなたはそこの唯一の生き残り……そして、ミルキール様はそんなあなたを保護されたのです。あのまま協会に引き取られればどうなっていたか……考えるものではありません。ですから、あの方の寛容なお心に感謝なさい。そして崇めなさい。母さまのその偉大なる——」
「——いい加減にせい! メルディー」
「あいてっ……」
聞き覚えのある声の直後、メルディアンの元から小さく鈍い音がした。見ると、そこにはメルディアンに手刀を食らわせる昨夜の少女の姿があった。
「起きたようだな、小僧。どうだ調子は」
「おかげさまで元気だ。礼を言う」
「ああそうだ、感謝をせい。あのままでは死んでいた貴様を義理もなく助け、保護したのだ。背を向けて寝られぬどころか、一生頭を下げて生活しなくてはいけんな」
胸を張る少女だが、その言い口がどうも皮肉混じりで、素直に受け取るものも受け取りづらい。
とはいえ事実は事実。感謝の礼くらいいくらでも言い足りないだろう。
(つっても、俺が死にかけたのはあんたの割合がデカかったと思うんだが……)
そんな突っかかりが顔に出てしまったのか、少女は俺の顔を見て首を傾げた。
「何だその不服そうな顔は。これこそお礼参りものだろう? む……まさか貴様、自身の状態さえまともに分かっていないな?」
「は? 自分の状態……?」
言われて自身の体を見下ろす。
彼女はあんな言い方をしたが、傷がないことは確認ずみ。それに加え、体力的な怠さもない。
だが彼女はベッド脇に近づいて、肩をすくめた。
「違う違う。私は内面的な話をしているのだ。自身の星神力を感知してみよ、以前との違和感が明瞭に分かるだろう?」
感知? 感知とはどうやるんでしょうか……などと、ふざけても言い出せない雰囲気に、俺は見よう見まねで意識を内側に集中させる。心臓がリズムよく鼓動し、呼吸に合わせて肺が動く。これでいいのか? と思っていた矢先、奥の奥……心の内側とも呼べるそこにある熱を感じ取った。
(ファーバスが以前、授業で言ってたな……『”星神力”はその読み通り”精神”と綿密な関わりを持つ』って)
あの時は意識が錯乱していて感じられなかった違和感。言われてみれば確かにある。
途方もない程に感じられていた熱が、今は鳴りを潜めている。その様はまるで殻に覆われているかのようだ。
「……星神力が増えてる、だけじゃない。何だ、これ……」
「気づいたか。言ってしまえばそれは神の力。そして貴様の感じてる違和感は、それを封じた名残だろう」
「神の力……? まっ、待て待て! そりゃおかしいだろ! だって俺の魂は儀式が失敗した結果のもんだぞ!? ただの人間だ!」
「……と、言われてもな。正直、私の叡智を持ってしても分からぬ事はある。それが貴様だ——小僧」
彼女の叡智がどれほどかは知らないが、この短い付き合いでこいつが格上なんてレベルのやつじゃない事は理解した。
何より、俺自身さえも分からないことを外の者が分かるという方が稀有な話だ。
色々な疑問が頭を埋め尽くす中で、少女はいきなり気の抜けた声を発した。
「そういえば、まだ貴様の名を聞いていなかったな。いつまでも小僧呼びでは、これから寝食を共にする仲としては些か場違いだな」
「あ、ああ。そういやまだ名乗って——って、寝食!? どういうことだ!」
「どうもこうもない。何度も言うが、今の貴様は破裂寸前の風船——いや、爆弾も同義。定期的にガス抜きをする必要があるわけだが、私も忙しい身。お前ばかりに構っては居れん。つまり、貴様自身でそのガス抜きの方法を覚える必要がある。そこで手を挙げたのがこの私! ……まあ、その方法も私くらいしか教えられぬのだが」
最後の最後、顔を逸らされたせいで何を言っているのか聞き取れなかったが、要領は分かった。
言われてみて自覚する自身の現状——これではまるで、誰かから施しを受けないとまともに息をすることさえできなかった、かつての自分と同じ。
(結局、これが俺の運命だってのか……)
果てても尚、変わらぬ道にため息さえ出ない。あるのはただ、自身への不甲斐なさだけ。
(こんなんじゃ、神になるなんて到底——って、そうだ)
心の奥底に沈みかけていた意識を浮上させたのは、ずっと口にしてきたものへ対する疑問だった。
「なあ——”暗黒”って、なんだ?」
そう。それは今際の際——母が口にした言葉。それを打ち消すことが彼女の望みであり、俺が到達すべき道の果て。
「ファーバ……いや。侍女が教えてくれた教典にも載ってなかった。あんたの事はよく知らないけど、あんたは俺なんかよりよっぽど色々なことを知ってるってことは分かった。だから聞く——暗黒について、教えてくれ」
自身がこれからどんな道を進もうとも、目指す先を明確にしなければ意味がない。
俺は彼女を見つめた。その金色の瞳が一瞬の揺れさえも見せず俺を見返していたから。
そして彼女は言ったのだ。明確に、確実に、その言葉を。
「——さあ? 私にも分からぬ」
一瞬、彼女が何と言ったのか脳が理解を拒んだ。言葉が耳の左右を一直線に流れ、通過する。
数秒か、数分か。静まり返った空間に時間だけが流れていく。
そして俺は無意識に息を目一杯吸って、喉を張り上げた。
「…………は——はああああ!?」
その声は想像以上に大きく、窓ガラスが揺れた。ミルキールの隣で無表情に話を聞いていたメルディアンは耳を塞いでいた。
「そっ、そう怒鳴るでないわ! 仕方ないだろう! この私だって一塊の人間、他よりも少し長生きなだけで全知の神ではないのだ!」
「いやっ。いやいやいや……! 何でも知ってるような雰囲気出してたじゃないか! それをケロッとした顔で知らないとか……拍子抜けにも程があるだろ!」
「ええい、うるさい! 知らぬものは知らん! それに、そんな雰囲気を出してた方がかっこいいだろう! ……ま、まあ名前を人聞きした程度では、ただの知ったかになるか……うむ、それは以後気をつけよう」
さっきからこいつのイメージが一気に暴落していっているのは気のせいじゃないはずだ。しかも、墓穴を掘る形で。
「……ん? って、ちょと待て。人聞きしたって——誰かが話してたのか!?」
「へっ!? えっ、いや、話してたと言うか何というか……うーむ。あ、だが聞きに行こうと思うなよ? 何せ何百年と前の話だ。その者はもう生きてはいない。それに、聞いたと言うのもその一度きりで、お前の口から出るまで忘れていたくらいだ」
「何百年て。いくつだよあんた……」
「レディに年齢を聞くとは無粋な奴め。それよりも貴様、それを問うということは未だ諦めてはいないのだな。”神になる”という、馬鹿げた夢を」
「ああ。それが俺の生きる意味だ」
「まったく……その様子では言っても聞かぬな」
呆れた様子で俺を見下ろす少女の瞳には、ただ真っ直ぐその瞳を見る俺の姿が映っていた。
そして観念したとでも言うように、彼女は声を張り上げた。
「——なればこそ! 貴様が真に人々の願いを叶え、あの一夜に希望を灯すと言うのなら! 貴様には強くなる義務がある! 言ったな、強さの先は分たれるが、弱さの先には破滅しか残らんと。私はまだ貴様の回答を聞いていない。その回答を聞く前にくたばられては敵わん。このミルキール・ディオネの名において命じる! ——強くなれ! そのための道を与えてやる!」
たとえその道がどんなものであろうとも、この手が触れた最後の温もりを忘れないように。
いつだって、まぶたを閉じれば浮かび上がる——あの景色。
(俺の罪、俺の罰……そこに希望があるかなんてどうでもいい。ただ一つ、振り返った先にいる彼女たちへ希望を灯せるのなら)
俺は拳を握った。そして、少女の声に負けぬくらい高らかに言い放つ。
「——やってやるさ。自分のためじゃない、今度こそ誰かのためになるのなら……そのための道なら、いくらでも突き進んでやる!」
自然と口角が上がった。そんな煌めいた一歩ではなかったはずだ。
だが、希望を宿そうとしている者が、それとは程遠い表王をしていては灯せるものも灯せない。
目の前に、小さな——しかし芯のある手が差し出された。
「我が名はミルキール・ディオネ。改めて問おう、神を目指し者。貴様の名を」
「……俺の名は、ソル。よろしく頼む、ミルキール」
俺は強く、その手を握り返した。




