第二十八話【唯一の後悔は一度目の人生でした】
——メルディーがいない。
どうして?
どこに行った?
自分でどこかに行った?
それともまさか、誰かに——。
分からない。
けれど、その時の俺は途方もなく嫌な予感がした。
バタバタと足音を響かせ、宿屋の外へ出た。
早朝ということもあり、人の姿はない。
もちろん露店も。この時間なら、露店以外の店だって開いていないはずだ。
あのメルディーのことだ、昨日の一件がなければ朝食でも買いに行ったのだろうといつもの俺なら考えただろう。
けれど今になって鮮明な昨日の出来事が脳裏をよぎる。
朝飯を買いに行ったという線は自動的に消えた。
じゃあ尚更、メルディーはどこへ行ったのか。
「……おいおい坊主、こんな朝早くからどうした?」
あくびとともに知らない男の声がした。
振り返ると、そこにいたのは宿屋の店主。
「あんたいつからここにいた!? 金髪の女の子を見なかったか!?」
「金髪の……ああ、昨日一緒にいた嬢ちゃんか。おう、見たぜ。というか道を聞かれてな。店の準備をしてたら、『この村の領主の屋敷はどこか』って聞かれたんだ。ここから北に行った場所だって教えたら、血相変えて……って、おい坊主!!」
俺は言葉を聞くや否や店主が指差した方向へ走り出した。
きっと領主とはあの男のことだ。
昨日訪れたでかい屋敷。
あそこに、メルディーがいるかもしれない。
(でも……一体何の用で?)
昨日、暴れる俺を引きずってまであの場から離れようとしたのはメルディー自身。
瓜二つの少女を気にかけていたそぶりもなかったし……
メルディーが進んで足を動かす理由とは一体なんだ?
息を切らしながら、すれ違う人に道を聞く。
そしてたどり着いたのは、昨日も見た景色。
畑を持つ家々の奥にある、庭付きの屋敷。
「——なあお前さん。もしかして領主様の知り合いかい?」
「……え?」
不意に声をかけられる。
振り返ると、そこにいたのは一人の老爺。
「もしそうなら屋敷の様子を見に行ってくれんかね。儂ら村のもんは、屋敷に近寄ることを禁じられとる」
「禁じられてるって……いや、んなことより……何かあったのか?」
「夜が明ける少し前かのう、外で物音がしてな。見たら領主様の家に男が一人来ていてな。辺鄙な土地じゃ、客人など珍しいと思っておったら……突然、大きな音がしたんだ。爆発音のような……何なのかは分からんが、そのやってきた男が金髪の女の子を抱えて……」
「——長い髪の!?」
俺は老爺の肩を掴んだ。
衝撃と感情に身を任せた声は、聞くに堪えないものだった。
老爺も困惑した顔をしている。
——落ち着け、落ち着くんだ。
自分に言い聞かせ、老爺の肩から手を離す。
俺は息を吸って、深く息を吐いた。
「……悪い、爺さん。その女の子って、金髪で長い髪……だったか?」
「おお、そうじゃ。朝日がちょうど差してのう、靡いた髪が綺麗じゃった」
やはりそうだ。メルディーだ。
だとするなら、メルディーはその男とやらに連れ去られたってことだ。
「なあ爺さん。その男、どんなやつだった?」
「どんな、か……すまんのう。遠くてよく分からんかった。屋敷の人なら何か知っとるんじゃないか?」
……屋敷。そうだ、屋敷で何かあったと爺さんは言っていた。
少女の安否を確かめるためにも、一度屋敷に行った方がいいだろう。
「ありがとう爺さん。様子を見てくるよ」
そう言って、振り返ることなく足早に屋敷へ向かった。
✤✤
「——な、んだよ。これ……」
そこにあったのは、戦闘の後。
抉れた庭に、割れた窓ガラス。
ヒビの入った屋敷の壁。
大きい音、どころではない。
きっと爆発音にも近かったことだろう。
この惨状がそれを物語っている。
「誰か、無事な奴は——っ、おいお前!!」
見つけたのは、見慣れた金髪。
だが、明らかに長さが違う。
少年にいびられていた短い金髪の少女だ。
「おい! 大丈夫か!? しっかりしろ!!」
抱え上げた少女は、服や肌に擦り傷があった。
耳を近づけると、小さな呼吸音がする。
よかった、生きてる……。
それにしても何があったんだ?
この惨状……戦いがあった、ってことだよな。
怪しいのは、メルディーを連れ去ったと思われる男。
メルディー……どこにいるんだ。
無事なのか?
「——ぅ、うぅ」
小さく声がした。
見ると、少女がうっすら目を開けている。
「お、おい!」
「……あ、なたは……昨日、の」
「ああ、そうだ。大丈夫か? 他のやつは?」
「中に、旦那様とご主人様が……」
「分かった。とりあえず様子を見てくる」
そう言うと、少女はなぜか嬉しそうな顔をした。
やるせなさを抱えつつも、俺は少女を地面へ寝かせた。
割れた窓ガラスを踏まないように足を踏み入れる。
中は……どうやら荒らされてはいないらしい。
いくつかのドアを開け、玄関へ繋がる廊下へと出る。
すると、玄関から朝日が漏れていた。
ドアが全開になり、その手前で二人の人影が倒れていた。
「おい! 大丈夫か!?」
どれだけ声をかけようがぴくりともしない。
だが、見る限り二人に目立った外傷はない。
ただ気絶しているだけ……と見ていいだろう。
村の人に事情を話し、領主と少年を村の家まで運んでもらった。
少女のことは黙っていた。
村の人は多分少女のことを知らなかった。
領主とその息子のことを伝えた時、村人たちは少女の心配をしなかった。
それどころか、存在すら知らない様子だったからだ。
今はその方が俺にとっても都合がいい。
俺は少女を抱え、宿屋へと戻った。
✤✤
「おいソル、今までお前どこに——って、何だその子!?」
宿屋へ戻ると、スベギライスは呆気に取られた表情で俺を見ていた。
「メルディーが連れ去られた。この子が何か事情を知ってると思う。だから連れてきた」
「嬢ちゃんが……!? ああくそっ。とりあえず、その子を治療するからこっち運べ! んで、ちゃんと説明しろ!」
「……助かる」
スベギライスは少女を自身のベッドに寝かせた。
容体を見たところ、やはり気絶しているだけだと言っていた。
「それで? 何があった。嬢ちゃんがいなくなってる件と関係があるのか」
少女を光が包む。
治療を続けるスベギライスは俺に背を向けて言った。
俺が領主の屋敷に行っている間に、スベギライスも事態を把握したのだろう。
俺は見たこと、感じたことの全てを話した。
領主の屋敷が誰かに襲撃を受けていたこと、領主とその息子を村人に預け少女を連れ帰ったこと。
そして何より……メルディーが知らない男に連れ去られたことを。
「……だから、その子が男のことを何か知ってるんじゃないかと思って。何も知らないにしても、その場に居合わせたんだ。人相くらいは聞けるはずだ」
今は少しでも情報が欲しい。
どうしてメルディーは領主の元を訪れたのか。
どうして男は領主の家を襲撃し、メルディーを連れ去ったのか。
それらはきっとこの少女が答えを知っているはず。
俺はベッドに伏す少女を見た。
その時、わずかに彼女の瞼が動いた気がした。
「……っ、ここは」
少女が目を覚ました。
何度か瞬きを繰り返し、天井や壁やらを見渡す。
そしてその視線は俺たちの方を向いた。
「あなたは、あの時の……ご主人様は、旦那様は?」
「無事だ。村の人に預けてある。それより調子は? 話はできそうか?」
「ソル、あんまり急かしてやるな」
少女の顔色が悪いことなど分かっている。
だが今の俺にそれを気にかける余裕はなかった。
ただ情報を——一刻も早く、メルディーにつながる手がかりを。
焦りにも似たその思考だけが、予感のようにあったからだ。
「……いえ、大丈夫です。私どもは元々このような事態に耐えられるために造られた存在。久しぶりの感覚だったために処理が遅れていますが……問題はありません」
「造られた、か……じゃあやっぱり君は」
「知っておられましたか。まあ、あの方とご一緒でしたし……無知である訳がありませんね。そちらの方もですか?」
少女の視線の先にいたのはスベギライスだった。
彼は誤魔化すことなく確かに頷いた。
驚きはあった。
だがそれと同時に納得感もあった。
「そうですか。なら今回の一件は博士を見つけるための撒き餌という訳ですね?」
——は?
俺は自身の耳を疑った。
何の変哲もなく言い放った少女と、眉を寄せるスベギライスを交互に見た。
どういう意味だ?
撒き餌?
見つける?
何を言っているんだこいつは。
全くもって理解ができない。
少女が言うことも、スベギライスがする表情の意味も。
「いくら外への知見が乏しい私でも知っております。あなた様はこの街の司祭、スベギライス・タイタン様ですね? そのような有名人が訳もなく関わるとは思えません。それにあなたは4年前、博士の違法実験をミルキール・ディオネと共に暴いた当事者の一人」
「……じゃあやっぱり、嬢ちゃんはあの時の生き残りか」
「ええ。摘発される折、事態を予測した博士が土壇場で切り捨てた存在の一人です」
さっきからこの二人は何を話している?
四年前? 違法実験? 生き残り?
——訳が分からない。
けれど、俺は確かにその感情が腹の奥を蠢いたのを理解した。
「——おい、待てよ。どういうことだスベギライス。そりゃつまり、お前……メルディーが人造人間だったってことも、そのせいで誰かに狙われてることも知ってたってことか!? お前は、この事態を予期していて、わざと何もしなかったってことか!?」
そんな話、あってたまるか。
だが自身の吐いた言葉が腑に落ちたのも事実。
だってそうだろう。
旅行に護衛が必要だったことも、その相手が司祭であるこいつであったことも。
領主の屋敷で早々に立ち去ったのも。
何より、あの路地裏での会話。今思えば、メルディーは何を隠していた。
ああ、なんだ。そうだったのか。
まるで無くしたはずのピースが見つかって、パズルが完成した時のようだ。
自然と喉の奥が震えて、乾いた笑いが漏れた。
「……メルディーも、そうだってのか。傷心旅行に行こうって提案したのも、その博士とやらを見つけるためのカモフラージュで。全部、承知の上だったって? ……ハハッ、何も知らねえのは俺だけだってか」
——信じようと思った。
自身の運命ですら信じられない世界で、そんな俺を見捨てないでくれた彼女を。
どうしようもない人間である俺に、微笑んでくれた彼女を。
なのに。また、嘘だったって?
だったら俺は何を信じればいいんだよ。
「……っ!!」
何をどう言葉にすればいいのか分からなくて。
俺は熱くなる目頭を必死に堪えて部屋を出た。
バンッという扉の開く音がして、その後ろからスベギライスの声が聞こえた。
もう聞きたくない。
どんなやつの言葉も、どうせ信じたって無駄なんだ。
最初は、生まれた時だっただろう。
前世の記憶を持ってしまった俺は、きっと彼女らが望む純粋な子供にはなれないだろうと思った。
だからあの人たちを裏切らないように、せめて悲しませまいと誓った。
だが、俺という存在はそれ自体が彼女らを裏切っていたと知った。
だというのに——ふと、思ってしまうことがあった。
そこには大義があり、使命があった。それを理解していないわけではない。
けれども思い返す言葉があった。
『お前は巻き込まれたに過ぎず、恨みこそ正当な感情だろう』
あの日の夜、ミルキールが言った言葉。
そんなことはないと自分に言い聞かせてきた。
けれどつい先月、彼女の言葉が正しいのだと俺は知ってしまった。
『”蘇生術”は、死者の魂を蘇生という形で現世に召喚するもんだ』
そんなガウフの言葉から導き出した結論。
”転生の儀は異世界から死んだ魂を召喚させる術だった”——ということ。
その事実を知った時に感じた虚無感。
それは、母さんたちが信じたものの結果に対してだと思っていた。
けれどこの一ヶ月、いろいろな本を調べ、考え、理解した。
俺は、夏威という魂が生きていることを心のどこかで信じていたんだ。
どれだけカッコつけようが。
どれだけ言い訳を並べようが。
どれだけ人の為を思っていようが。
聖人でもなければ、英雄でもない俺は、心に落ちた僅かなシミが広がっていくのを見て見ぬふりをしていただけだった。
いつの日か帰れるんじゃないかと。
そしたら今度は、あの時思い付かなかったやりたいことを。
今度こそ、あいつに言えなかった俺自身の思いを告げられたら。
そう思い、僅かに滲んだいくつもの後悔の続きをどうにかできるんじゃないかと——
……信じて、いたのに。
涙が視界を覆う。
視界に映る全てが歪んで、一歩も動けなくなってしまった。
そんな時、後ろからドタバタと一つの足音が聞こえた。
「……ソルッ!!」
腕を引かれる。
もう、視界が滲んでよく見えない。
けれど俺の腕を引いたのが誰かなんて顔を上げずとも分かった。
「……悪い、ソル。こんなことになっちまったのは俺のせいだ。お前がそこまで参ってたなんて思わなかった……けどな、ソル。全てを決めつけるのは話を聞いてからでも遅くはねえ。お前の家族を信じてやってくれ」
「……」
スベギライスはそう言って、俺を宿の部屋まで連れて行った。
そこにいたのは、ベッドに腰をかける金髪の少女だった。
少女はじっと俺を見ていた。
その金色の瞳が、彼女と重なる。
「4年前……いえ、7年前に起きた全てを——メルディーという少女についてお話しします」




