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異世界創星記[another mythology]  作者: 亜真
第2章【学園】
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第二十二話【日常の生活】


 課外授業から早数日。

 俺たちはいつも通りの生活に戻っていた。


 というのも、事情聴取のようなものは全てエイナさんが俺たちの代わりに受けてくれたのだとか。

 入院中に協会の人やら夜巡隊の人やらが聴きに来ていたが、簡単な応対だけで済んだのは彼女のおかげだ。


 かという俺も、数日の検査を終え、学園生活を再開——させたわけだが、俺はその放課後にとある場所へ訪れていた。


「あら、来たのはあなただけなのね」


「はい」


 行き交うのは白いスーツに黒のネクタイをした人たちばかり。

 忙しなく俺の目の前を横切っていく人たちの中で、ただ一人、その人は柱に背を預けていた。

 凛とした佇まいに、鞘を腰にたずさえた桃髪の女性——エイナさんだった。


「すんません、待たせましたか」


「いいわよ別に。ここの隊長には許可をもらってるし、何より私とあんたは当事者。突っぱねる理由がないわ」


 そう、俺が訪れたのは【金の街】にある夜巡隊支部だ。

 聞くと、エイナさんの所属は【金の街】ではなく【木の街】にある支部らしい。隣街ということで、今回は俺たちの任務に派遣されたのだとか。


「……どうしたんすか?」


 突然に、俺はエイナさんにガン見されていることに気づく。

 何か気に障ることを言ったのか、と考えていると彼女は視線を漂わせて言った。


「……その。あの子は、どうなのよ。ほら、あんたと同じ班の奴らよ! もうとっくに退院してるんでしょ」


 ああ、なるほど。

 尻すぼみに聞いてきた彼女の頬は赤い。

 【金の街】での事件があったからか、今ではその真意が何となく分かるようになった。


 出会いこそアレだったもの、エイナさんの行動は一貫していた。

 意見が対立した時でも、俺たちの安全を最優先に考慮した結果だったように思う。

 何度も俺たちを洞窟から逃がそうとしていたし、彼女が負った怪我の大半はそれが理由と言っても過言ではない。


 不器用な姉心、というやつなのだろう。

 あの一件のあと、アルナちゃんは言っていた。


『……喧嘩別れだったの。お姉ちゃんが夜巡隊に務めるようになって、初めての日。帰ってきたお姉ちゃんに学園の試験を受けるって言ったら、すごい怒られちゃって……アタシもムキになって、もう知らないって言ってそれっきり。でも、あんなことがあって分かったの。お姉ちゃんはきっと、これより厳しいことをいっぱい知ってて、だからあんな言い方をしてででも安全な場所に逃したかったのかなあって。お姉ちゃんは、今も変わらずアタシを助けてくれる優しいお姉ちゃんのままなんだって』


 そう言って嬉しそうに笑っていた。

 まあ、その話を隣で聞いていたスピネルは顔を顰めて『一発殴ってもバチは当たらないわよ、アルナ』と言っていたが。


「元気っすよー、クオールもリレールもスピネルも、何よりアルナちゃんも。あの一見以降、放課後自習というか特訓というか……そういうのがみんな増えてるっすね」


「そ、そう。……あ、いや! これは、あれよ……そう! 私が受け持った任務ですし? 事後処理とかアフターケアっていうか、そういうのもちゃんとやらないといけないもの」


「よければ、アルナちゃんの様子を手紙に書いて送りましょうか?」


「結構よ!!」


 彼女の甲高い声が建物に響き渡った。


「……はあ。何やってんのかしら、ほんと……で、話を戻すけど。あの保護した子のことについてよ」


 声の余韻が消え去ったあと、エイナさんは言った。

 その言葉に自然と空気が引き締まる。


「あの子、人じゃ無かった」


「……」


 なんとなく、そんな予感はしていた。

 俺自身、そんなことを冗談のようにして言った覚えがある。

 何せ、腹にあそこまで大きな穴が空いたのだ。普通の人間だったら、即死を覚悟する。けれど、リレールはあの子がまだ生きていると言っていた。

 俺はもう、その言葉の裏にある意味を理解できるほどに、この世界を理解し始めていた。


 けれども、彼女を抱えた時の温もりや、腹を貫かれた時に見た赤い血は、紛れもなく俺たちと同じだった。


「キマイラって名乗っていた桃髪の少年、いたじゃない? 彼が色々と自供してね。国立病院の爆破だとか、彼女の——13(サーティーン)と呼んだ子のことについてとかね」


 エイナさんに連れられるまま、俺たちは廊下を歩く。

 淡々と説明する口調とは裏腹に、彼女は顔を顰めていた。


「結論から言うと、あの子も彼も大量の星神力を核として作られた人造の人間だった。あの赤い血も体温も、全て作られたもの。キマイラという名前は、その人造人間を作る実験での成功体の呼称らしいわ」


「そう、ですか」


 ——同情はしない。

 人として、真っ当な生まれでなかったとしても、真っ当な人間と出会えなかったとしても……その道に抗わなかったのは彼自身であり、どんな事情でも失われた命がある。傷ついた人がいる。

 それが事実である限り、俺は心の底からの同情なんて、できないだろう。


「ただ、あいつも全てを話したっていう感じじゃなくてね。まだ尋問が続いてるのよ。特に、あの陣——術式に関してのね」


 その言葉に、俺は自然と頬が引き攣った。


 俺が今日、この場所に来た理由——それは、あの少女と会うためだ。

 協会の上級術者総出での治療の甲斐もあり、少女の怪我は綺麗に消えた。

 しかし、少女に関しての謎が多いせいで一般患者のいる病院には置けず、夜巡隊員のみが在籍する支部に身柄が預けられている。


 そんな彼女は、意識が戻った今、誰とも口を聞かないのだとか。

 エイナさんの報告により、それはまともな言語能力が失われているためだと思われているようだが——俺だけは、それが違うと知っていた。


「星神術者の多くが調査に来ていたけど、誰も見たことがなかった。もちろん、私たち夜巡隊の方もお手上げ。全く未知の——と思っていたのだけれどね」


 エイナさんは意味深に言葉を切り、足を止めた。

 そして周囲の様子を伺い、誰もいないことがわかるとそっと俺の耳元に顔を寄せて言った。


「この前、少女へ会いに協会の上層部連中が数名来ていたわ。10分程度の面会だったけど、あいつらは何か情報を得ていた。確信を持ったような表情でこそこそ言っていたのが見えたからね。しかも怪しいのはそれだけじゃない。【土の街】の司祭……スベギライス・タイタンが来ていたのよ」


「……スベギライスさんが!?」


 廊下に俺の声が響く。

 思わず出てしまった声に、俺は慌てて両手で口を塞いだ。


 目の前には、目をぱちくりさせるエイナさん。

 これはまずい。非常にまずい。


「な、何よいきなり……知り合いなの?」


「へっ、あ、いや……えぇっと。あ、そう! ミルキールの紹介で、一度会ったことがあるんだ」


「ああ、そういえばあんた、ミルキール様の養子だったわね」


 困った時のミルキール。何かとこいつの名前を出しておけば、大抵のことは納得してもらえる。

 あいがたいことだが……あいつは本当、この世界じゃどういう立ち位置なんだ。

 幼女が母親の家族だぞ、おかしいとは思わないのか?


「話を戻すけど……今回の件は確かに大ごとだった。けど、わざわざ隣接でもない街の事件に、他の街の司祭が首を突っ込むと思う? 協会の連中は何かを知っていて隠してる……そう思えてならないわ」


「そうなんすか……でも、どうして俺に言うんです? 協会が怪しいと思うなら、上司にでも言えばいいじゃないっすか」


「それはまあ、そうなんだけど……こっちにも色々事情があるの! それにあんた、洞窟であの子を協会で保護するって言ったら、すごい反対してたじゃない」


「あ……」


 そういえば、そんなことを口走った気がする。

 朧げながらも記憶にある光景を脳裏でなぞる。

 あの時は、転生の儀が行われていたという衝撃が大きすぎて、まともに思考がなされていなかった。ノリと勢いなんて言葉では軽すぎるが、状態としては似たようなものだ。


 とはいえ、冷静になった今でもあの子を協会に引き渡すのは反対だ。

 エイナさんの口ぶりからして、協会の連中はあの洞窟にあった術式が転生の儀の陣だと分かったのだろう。

 だから、それを確固たるものにするために少女の元を訪れた……と言ったところか。


「何があったのかは知らないけど、協会のことが気に食わないんでしょう? だから何、ってわけじゃないけど……ま、忠告くらいはね」


 口にはしないが、彼女も協会に対して思うところがあるのだろう。

 任務中も感じたが、夜巡隊は星神術者から快く思われていない。そんな中で、この出来事。

 夜巡隊の不始末だと揶揄されでもしたのだろうか。建物内に伝わる空気が少しピリピリとしている。


「さ、説明も終わり。さっさと行きましょうか」


「……そうっすね」


 だが、そんな中でも彼女は変わらない。

 一歩を踏み出して振り返ったエイナさんは、清々しい表情をしていた。



 ✤✤

 


 案内されたのは、とある一室。

 そこには無機質な白い壁紙を紛らわせるように置かれた、大量のおもちゃがあった。

 クマやウサギなど動物のぬいぐるみ。さまざまな形をした積み木。フリルのついた衣装を纏った人形。


 その中に、一人の少女が俯いて座っていた。

 桃髪に、青い瞳。ところどころ混じる、金色の髪。

 洞窟で保護した時より、身なりは整えられたようだが、その瞳に光が宿ることはない。


 なんと言えばいいのだろう。

 色々な考えが逡巡するせいで、入り口で立ち尽くしてしまった。

 だが、そんな俺に向かってエイナさんが一つ咳払いをした。

 何か話せ、ということだろう。


「……えっと。あー、俺、ソルっていうんだ。覚えてるかな? 洞窟で助けた……って、あの時気絶してたから知らないよな。ははは……」


 から笑いをする俺の横で、エイナさんは慣れた口調で少女に話しかけた。


「ごめんね、このお兄ちゃん口下手で。私はエイナって言います。あなたのお名前、教えてくれる?」


 少女の前に座り込み、視線を合わせて笑みを向ける。

 俺もそれに倣って彼女の隣に座るが、少女からの応答はなかった。


 この部屋に入る前、事前に教えてもらった。

 病院で目を覚まして以降、この子は誰とも口を聞いていないらしい。

 医者であれ、協会の術者であれ、夜巡隊の隊員であれ。頷きはするが、それ以上の反応はない。

 触れようとすると体をこわばらせ、震わせる。


 まるで何かに怯えるように。

 少女はただ、自身の身を抱えることでしか自身の身を守る方法を知らなかった。


「……エイナさん。少し、二人だけにしてくれませんか」


「え? いや、でも……」


「頼みます。何かあったら、すぐに呼びますから」


「……分かったわ」


 それ以上何かを言うことなくエイナさんは部屋を後にした。

 ドアが閉まる音を聞き届けると、俺は改めて少女に向き直った。


 虚な瞳は、何を映しているのだろう。

 どんなふうに見えているのだろう。


 静まり返った空間で、俺は淡々と語った。


「……俺の本当の名前は、夏威って言うんだ。季節の夏に、威力の威……って、漢字分かるかな? 日本生まれ日本育ち。この世界で15年生きてきたけど、今でも日本のことは思い出すし、時々恋しくなる。この国って米がなくてさ。味噌汁とか、魚の煮物とか……そういうのがふと食べたくなるんだ」


 ああ、そうだ。あと、布団でもたまには寝てみたい。

 病院生活はここと同じようにベッドだったけど、実家は布団だったから。

 それから、お茶も飲みたい。

 紅茶やコーヒーもいいけど、温かい緑茶が飲みたい。


 考え始めれば、それらはとめどなく溢れてくる。

 温かい思い出が、確かな思い出として。


 わけが分からないだろうか、突然尋ねてきた知らない人間が話し始めたと思ったら、ありもしない国の話をし始めるなんて。

 けど、今まで確かに思ってきたことだ。

 ふとした時に思っては、その違いを見てみぬふりをして蓋をした。

 分からないことの方が多い世界で、ふと恋しくなるのは17年生きてきた世界のこと。


 俺の場合、突然ではなかったのだろう。

 俺は確かに前世で自分の死を認識した。

 けど、こうして未だ抱えてしまうのは、やりきれない未練があったのだ。


 この子は、どうなのだろう。

 外見が少女だからといって、中身も同じとは限らないけれど。

 国籍だって、俺と同じとは限らない。


(でも、なんでかな)


 ふと少女を見る。

 驚きか、困惑か。少女は目を見開いていた。


「……ぅ、」


 微かな声がした。

 俺の言葉に何を思ったのか分からない。

 少女がどんな体験をしてきたのか、俺は知らない。


 けれど確かに——目の前で涙を流す女の子が、ただの他人だと割り切れるわけがなかった。



 ✤✤

 


 それは、眠っていた私の視界に現れた、鮮烈すぎる夢だった。


『——13(サーティーン)。ほら、君の番だ。この調子でいけば、後少しで適合できるだろう』


 ポンと、背を押される。

 つんのめって前に出ると、そこにあったのは一つの椅子。

 無機質な空間に、地面に書かれた謎の紋様。

 その上に椅子だけがポツリと置いてある。


(これは、何……?)


 分からなかった。

 スポットライトのように照らされた空間は、なんだか病院みたいで落ち着かない。

 不安になって、足を止めようとした。

 けれど、なぜか足は止まらなかった。


(なんで? どうして?)


 止まってと願っても、足はその椅子へ一直線に動いていく。

 そして、じわじわと体を這うような嫌な予感に、背筋が冷えた。


 椅子に座ると、私を見る白衣の男の人がいた。

 目を覆うほどの長い前髪からメガネのレンズが見えた。


(お医者さん、なのかな)


 内心首を傾げていると、突然両手足を拘束された。


(な、何……っ!?)


 黒い拘束具の冷たさが、とても気持ち悪い。

 もがこうとしても、腕や足はぴくりとも動かない。

 視界さえも、目の前をただ見つめるだけで、瞬きひとつしなかった。


『さあ。今日も頑張ろうね』


 その瞬間——体に激痛が走る。

 痺れるような痛みが、全身を駆け巡る。


(ああああああああああああ——ッ!!!!)


 痛いという叫び声すら、この体は発しない。

 ただ淡々と、その痛みを受け入れている。


『……第一段階、変化はなし。第二段階に移る、出力を上げてくれ』


 そして再び、激痛が走る。

 しかも先ほどよりも強力な。


(ギャあああアアアアアァァァ——!!!)


 絶え間なく。絶え間なく。

 悲鳴をあげないこの体は、淡々と受け入れる。


(もうやだ……っ!! もうやだよお……! お母さん! お父さん!)


 助けてという声も出せず。

 こんな状況になった理由も知らず。

 

 ただ、その苦痛を何時間も味わった。




「——ああああああああ!!」


 うるさい叫び声が、耳の奥に響いた。

 その声が自分のものだと気づいたのは、近寄ってきた白衣の女の人に「大丈夫ですか!?」と問われた時だった。


(来ないで……! 近づかないで!!)


 知らない天井、知らない空間、知らない人たち。

 わかっているのは、気づけばベッドの上にいて知らない白衣の人たちに囲まれているということ。

 そこには、さっき見たメガネの男の人はいなかった。


 けれど、室内に漂う独特な匂いは同じだった。

 

 ——またあれが襲ってくる。

 伸びてきた手を、咄嗟に手で弾いた。


(あれっ、今度は体が動く……)


 疑問に思ったけれど、これはチャンスだと思った。

 鉛のように重い体を引きずって、ベッドの隅へ這う。


「大丈夫、大丈夫ですよ。落ち着いて。ここは病院です。分かりますか?」


 一人の女の人が、降伏でもするように両手を顔の前に掲げた。


(知らない——知らない、知らない、知らない!!)


 その手が、怖かった。

 その瞳が、怖かった。

 何もかもが、怖かった。


「あ、ァア……アアアッ——!!」


 咄嗟に出た言葉は、とても舌っ足らずだった。

 うまく喋れず、ただただ音を発するだけ。


 でもそれが今の私にできる精一杯の拒絶だった。



 数日後に来た、白いローブの人たちも。

 時々、様子を見に来るお医者さん達も。

 私をこの部屋へと連れてきた白いスーツの人たちも。


 みんな、怖かった。

 怖かった……けれど。


(……あの人は、誰だったんだろう)


 その中で、唯一私を抱きしめてくれた人がいた。

 暗い洞窟の中で、朧げながらにも覚えている。

 あの暖かさが、今でも残っている。



 ——ドアの外から、足音がした。

 ああ、また知らない人か。

 訳の分からないことを質問されて、何も答えずにいると呆れ顔で帰っていく。

 そんなふうに、あの日から同じようなことを繰り返している。

 

 ドアが開いた。やってきたのは、白いスーツの女の人と赤い髪のお兄さん。


「……えっと。あー、俺、ソルっていうんだ。覚えてるかな? 洞窟で助けた……って、あの時気絶してたから知らないよな。ははは……」


「ごめんね、このお兄ちゃん口下手で。私はエイナって言います。あなたのお名前、教えてくれる?」


 目の前に座り込んだ女の人と赤髪のお兄さんは、そう言って笑った。

 けれど私は答えることはできなかった。

 舌がうまく回らないからではない。


(私の名前なんて言っても、分からないくせに)


 病院にいたお医者さん達も、時々来ていた知らない人たちも、この人たちも。

 みんな、変な髪と目をしていた。

 だからきっと、ここは日本じゃないんだと思った。


(……私はいつまで、こうしてればいいんだろう。お母さんは? お父さんは? 弟は……涼太は?)


 家族に会いたかった。

 自分はあの時死んだのだと、思い出してしまった現実を認めたくないまま。

 目が覚めたら、これは悪い夢だったんだと思いたくて。


 膝を抱えた。

 気づけば、女の人はいなくなっていて、真っ赤な瞳をしたお兄さんと目が合った。


(……あれ、この人、どこかで)


 靄がかかってよく思い出せないけれど、確かに私はその色に見覚えがあった気がした。

 それでもやっぱり、恐怖は拭えない。

 すると、お兄さんは突然優しく笑った。


「……俺の本当の名前は、夏威って言うんだ。季節の夏に、威力の威……って、漢字分かるかな?」


 まるで長い間、その言葉を聞いてこなかったように思えた。

 病院でお医者さんが紙に書く文字は知らない形で。

 色々言われた説明は、分からない言葉ばっかりで。


「日本生まれ日本育ち。この世界で15年生きてきたけど、今でも日本のことは思い出すし、時々恋しくなる。この国って米がなくてさ。味噌汁とか、魚の煮物とか……そういうのがふと食べたくなるんだ」


 病院で出された食べ物は、パンとかスープとかゼリーとか。

 今までの人生で何度も口にした。でもどこか違う。

 ここに来てからも、その感覚は同じだった。

 野菜のような、木の実のような、よく分からない食べ物が入ったスープに、丸いパン。それと薄切りにされた何枚かのお肉に、キャベツっぽい野菜。

 想像していた感触や味とは程遠い。その違いが、何度も何度も告げてきた。

 ここは、私の知らない世界だということを。


「訳が分からないなら、それでもいいよ。けど……もし、意味が分かるなら——君の名前を、教えて欲しいんだ」


 気づけば、涙が溢れていた。

 ひっきりなしに泣き続ける私を、赤い髪のお兄さんは優しく抱きしめてくれた。

 その温もりを、私は知っていた。


 

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