第十九話【課外授業Ⅳ[知らない者ども]】
「——そうそう。その子を渡してよ。そしたら、君たちの安全は保証してあげるから」
入り口から現れた謎の少年。
桃髪で、青い瞳——そう、この少女と全く同じ特徴だ。
突然の声の乱入に、俺たちの動きが止まる。
この緊迫した雰囲気に似合わぬ、無邪気さを見た目通り纏った少年。その歪さが目を引いた。
「お前、は……」
「お兄さんが抱えてるそいつだよ! そいつ! あーよかった、勝手に逃げ出さなくて」
「っ……お前は一体何だ! どうしてこの子を狙う」
「あ、そういや自己紹介がまだだったね。俺はキマイラ。んで、そっちは成り損ないの”13”。俺的にはさあ、回収しなくていいと思ってたんだ。けどケートスのやつが、中身はダメでも外側は成功作だから連れ帰れって」
「は? ケートス? 誰だそりゃ……いや、今はそんなことどうでもいい。お前、この子に一体何をした!」
嬉々として少年は自慢げに話す。ペラペラと聞いていないことまで話すのは、まさに子供のそれだ。
(口ぶりからして、転生の儀を行なった張本人……もしくはその仲間か)
中身だの外側だの、言っていることはよく分からない。だが、明確なのは協会以上にこの子を渡してはいけない存在だということ。
「何って、言ったところでお兄さんが分かるわけ——って、あれぇ? むむ、むむむむ……」
突然少年は、目を細めてじっとこちらを見てきた。品定めをするかのように、じっと。
思わず少女を抱える手に力が入る。何をする気だ、何が目的だ。誰もが少年の一挙一動に警戒する中、少年は宝物を見つけたかのように目を見開いた。
「あはは! なんて偶然なんだろ! お兄さんさあ、いつそれと適合したの? あはは! ハハッ!! ヒヒヒヒ……! いい手土産ができたなあ! 」
突然に少年は高笑いを始めた。腹を抱えて、心底愉快そうに少年は笑う。
(なんだ、何がそんなにおかしい?)
偶然という言葉も、適合という言葉も、全く訳がわからない。その奥にある意味を、俺は知らない。
そんな俺に向かって、隙を見て話しかけてきた人物が一人。エイナさんだ。
「ちょっと、あのイカれた子供と知り合いなの?」
「なわけねーだろ! 初対面だっつーの。なあ、それよりも……あいつが病院爆破の犯人、なんて言わねえよな」
「あら、同じことを考えてたなんてね。その可能性が7割くらいよ。——ちょっと! 単刀直入に聞くわ。あなたが病院を爆破した犯人なの?」
「びょういんー? ああ、この前のやつ? うん、そ。命令されて任務でね。っていうかそんなことよりさー、お兄さん、俺と一緒に来てくれない? お兄さんみたいな人は貴重だからきっと喜ばれるし重宝されるんだ! 見つけてきた俺も褒めてもらえるしー、これって一石二鳥ってやつだよね!?」
「行くわけねえだろ。知らない人についていっちゃいけませんって、親に教わってるもんでね」
「ちぇ、残念。でもお兄さんには、一緒に来てもらうよ」
——瞬間、視界にいた少年の姿が消えた。
どこに、と視線を動かそうとしたとき、目の前で一筋の光が見えた。
「……っ!?」
眼前には、黒い光。そしてそれを防ぐ刀身があった。
俺は鬼気迫るその光景を呆然と見上げた。命を取られるという明確な空気に、動けなかった。
「もう、邪魔すんなよなー。用があんのはそこの二人だけなんだって。その制服、お姉さん夜巡隊の人でしょ? 夜巡隊は強力殺せって言われるけど、今はお兄さんと13連れてさっさと帰りたいんだけど」
少年の目線がじっと俺を見る。無邪気なまでの光を宿す、青い瞳はもはや狂気以外の何者でもなかった。
だが、背筋が震えそうになるのをグッと堪え、視線を逸らさずに言った。
「適合だか何だか知らねえがな! 俺はお前みたいなイカれ野郎と遭遇した覚えはねえし、この子をこんな目に合わせたテメェを一生許さねえ。ガキだろうが何だろうが、然るべき罰を受けて償ってもらうからな!」
「……償う? 俺が? 酷いこと言うなあ、お兄さん。だったらもう、いいや」
言葉の直後、たった一度の瞬きの間に——何かが、壁へ吹き飛ばされた音が聞こえた。
その方向にいたのは、刀を吹き飛ばされたエイナさんだった。
(——何が、起こった?)
理解が追いつかないまま、コンマの時間が過ぎていく。
だがまるで、その瞬間だけは時が止まったかのようだった。
スローモーションで、映像をコマ送りにしているみたいだ。
視界から消えた、少年の姿。
何かを叫び、立ち上がるエイナさんの姿。
呆然と立ち尽くす班のみんな。
ああ、これは——。
それが何であったかを理解した瞬間、俺は肉が潰れる音を聞いた。
「…………ごふっ」
口の中から何かが溢れた。胃を、喉を逆流し、体外へ吐き出される。
目の前に飛び散ったそれを見て、知る——血だ。
それを認識した途端、腹部への違和感——いや、痛みを知る。
まともに声を上げることもなく、鳩尾に突き刺さった腕と、その先にいる少年の笑みを見て現状を悟った。
「あぁあああ——!!!」
誰かの叫び声が、遠くで聞こえる。この声は、多分クオールかな。
「お兄さんは確かに貴重だけど、まだ報告してないし。報告する前に消しちゃえば、元々なかったってことだよね? これでそっちの証拠も隠滅できる訳だから、ケートスにとっても一石二鳥……かなあ?」
証拠……? 証拠って、ああ。そうか。
グラグラと揺れる視界をゆっくりと下に向けると、抱えていたはずの少女まで血に塗れている。
どうやら二人まとめて少年に貫かれたらしいと悟った。
「……ぁ、がはっ」
ずるり——鈍い音を立てて腕が引き抜かれる。
同時に吹き出した血の中に、肉の断片のようなものがあった気がする。
支えを失った俺の体は、そのまま地面に倒れ込んだ。
今はもう、その衝撃さえ感じない。ただただ、腹部から何かが失われていく感覚だけがある。
頭の先から足先にまで巡っていたはずの血が、全て腹部に向かって流れ出していくような。
震えることもできない体では、もはやこの寒さに抗う術はない。
さむい、さむい、さむい、さむい——。
おかしな感覚だ。体は微塵も動かないのに、心だけはこの状況をはっきりと理解しているなんて。
そう、言ってしまえば疲れているのに眠れない時と同じ。
(他のみんなは、あの子は……)
俺が抱えていたせいで、腹を貫かれてしまった少女を思う。
無事なのか、生きているのか。
だが俺の意思とは反対に、この体はぴくりともしない。
だんだんと視界が暗くなり、得られる情報が無くなっていく。そしてついに、俺の体は目を閉じた。
そう、閉じたんだ。明確に、確実に。
俺の瞳は役目を終えた。はずなのに。
——痛い。痛い、痛い、痛い、痛い!
閉じた暗闇の世界でも俺の意識は存在した。存在してしまった。
周囲の情報が無くなった代わりに、今まで意識していなかった痛みが襲う。いや、それはずっと確かに感じていたものだ。しかしそれくらいしか得られる情報が無くなった今だからこそ、明確に感じてしまうのだ。
腹が熱い。体の全体は寒いのに、その部分だけが焼かれるように痛い。
痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて——その激痛をどうにか吐き出したいのに、体は動かない。
気が狂いそうだ。その痛みだけを、ただずっと何もない暗闇で感じているだけだなんて。
呼吸をする。
小さな振動が体に伝わる。
たったそれだけ、それだけのことが今は辛かった。
ああ、ああ、早く時間がすぎてくれ。いっそ呼吸を辞めてしまえればどれだけいいか。
どうして俺の意識はそのままなんだ。体はもうとっくに動くことを諦めた。だったら、精神だって同じはずだ。なのに俺はずっとここにいる。
痛みに苛まれ、苦痛に侵され、それだけをずっと——。
(いつまで耐えればいい? あれから何秒、何十秒、何分経った?
俺はあとどれだけこの痛みを味わえばいい? 何時間? 何年?
ああ、いやだ。そんな地獄はいやだ。そんな地獄を味わうくらいなら、いっそ死——、)
✤✤
目の前で、見知った顔が血に伏している。しかもその様は血まみれで、抉れた腹から腸やらの内臓が飛び出し、血が流れ続けている。その傍らで伏す少女は、より重症だ。腹から背中にかけてぽっかりと穴が空いているのだから。
「ぁ、ああああ! なんで、なんでっ、こんな……!」
黒髪の少女は、訳もわからず泣いている。
少年のそばに駆け寄ると、その現実に膝から崩れ落ちた。
自分を救ってくれた恩人、対等に扱ってくれた友——そんな様々な称号を彼に感じていたのだから。
「——っ!」
泣き崩れる少女を追い越して、ソルのそばへと駆け寄ったのは白髪の少年——リレール。
彼の脳裏は咄嗟に、以前読んだ教本の内容を思い出していた。それは見聞を深めるためにと読んだ治療術に関する教本。治療術を使うには、複数の属性の具象化を掛け合わせなければいけない。
だがしかし、皮肉にも神童と言われ続けた自身の才能に感謝した。複数の属性を同時に扱うことを、彼はその齢にして習得していたのだから。そして何より、うろ覚えに加えて試したことのない術——などという不安は、この1秒を争う場において彼の脳裏にはなかった。
ただ、自分だけがこの最悪な状況を覆せるという責任でいっぱいだった。
「絶対に、絶対に死なせない……! 君にはまだ、言えてないことがあるんだ!」
そばによると、血の匂いが鼻腔を満たした。
吐き気を催す悪臭に顔をしかめながらも、白髪の少年は倒れる友のためにその力を振るった。
「アルナ! それとあんたも! 手が空いてるんなら、そっちの子の手当をしなさい! ……あの傷で助かるかは、分からないけど」
「……え、あ。う、うん!」
「……分かった」
少し離れた位置で共に呆然としていた二人の少女にエイナは声をかける。
情報を処理しきれていないように、唖然としていた二人はエイナの一声で我にかえる。一瞬、目の淵に涙を浮かべたが——すぐにそれを拭って、駆け出して行った。
「リレールくん、アタシにも……何か、手伝えることって」
「……悪いけど、僕はソルの治療で精一杯だ。君たちに治療術を教えている暇はない。——けどね。友達が守ろうとしたものを僕だって守りたい。だから君の星神力を分けてもらいたいんだ」
「アタシの……?」
不安そうに眉を寄せたアルナを、リレールは見上げた。その時、自身の後方で膝を折ったままのクオールを盗み見たが——すぐに視線を逸らした。こんな状態のソルを間近で見てしまったら、きっと彼女の奥にある傷を抉ってしまうだろうから。
「そう、人より数倍多いっていう君の星神力だからこそ。いくら僕が天才だとしても限りはある。慣れない術の分、一人に割くリソースが通常より多いんだ。だから僕の回路と君の回路を繋いで君のあまりある星神力を使わせてもらいたいんだ。スピネルさんにはその補助を頼みたんだけど……いいかな?」
「もちろん!」
「あなたがそう言うなら、私も構わない」
彼らなりにこの最悪の状況を打破しようともがく。その様を横目で見て安堵の息を吐いたのは、唯一、刀を構えて敵と相対していたエイナだった。
しかし、それでもまだ度し難い現実に彼女は奥歯を噛み締めた。
これは自分の失態だと、償うことさえ許されないと。
(守れるもの、私が守らないと!)
地面を蹴り、少年と距離を詰める。
瞬間、振りかぶった刃で少年の首筋を狙う。
「うおっと——!」
「——っ!」
避けられるたび、切先を切り替えて振り抜く。
何度も、何度も、何度も。
そこで、ふと気づく。
ああ、なんて自分らしくない戦い方だ。今までにないほど、冷静さを失っている。単調な剣捌き——これでは飛んでいる虫にすら避けられる。
どうやら自分はあの少年の傷つき様に、意外にも動揺してしまっていたことを知った。
いつも、理不尽は突如として現れる。その不合理さに、どれだけの命が奪われてきたことか。エイナはその憤慨を抱えたまま、少年に切り掛かる。
「お姉さん、動きが大雑把だよ。それじゃあぜんぜん――!」
その時――少年の頬に一筋の血が滲む。
攻撃を躱し、少年が見据えた先には――刀を短い双剣に変えたエイナの姿があった。
「いつ持ち替えたんだろ。全然見えなかったや」
頬の血を親指で拭う少年の瞳は高揚感に溢れ、自然と顔が綻んだ。
エイナは構えを変え、不敵に笑う少年を見据える。
少年が持ち替えたと言った双剣——それは彼女が星神力を持って生み出したもの。先ほどまで持っていた刀も同様だ。
創生術に分類される【金】の属性、それが彼女の最も得意とする——いや、唯一使える属性だった。それは具象化に置き換えた際、金属や鉱物といった物体を生み出せる。
星神力の少ない彼女は、それを武器として己の体で戦う選択を取った。ただそれだけを磨き、それだけに心血を注いできた人生だった。
『星神術の使えない半端者集団』——それが夜巡隊の蔑称だった。協会で絡んできた男の一言がまさにそれ。星神術者との違いを明確にする線引き。
だが、彼女にとってそれは希望の証だった。体を使うことしか脳のない自分でも、役に立てる唯一の居場所。
「このまま決めさせてもらうわ——ッ!!」
抉れるほどに地面を蹴った。
だがなぜか、攻撃を受けたのはエイナの方だった。
「ぐぁアッ!!」
訳もわからぬまま、腹部へ訪れた衝撃と共に壁へ吹き飛ばされる。背を打ちつけた衝撃が全身に響いたかと思えば、それとは比べ物にならないほどの痛みが胸部にあった。
「——!」
思わず声にならない声が出る。
ふぅ、ふぅ、と息が荒くなる。全身から嫌な汗が吹き出して、呼吸することさえ痛んだ。
ああ、なるほど。肋骨が折れているのだと理解する。
(今の攻撃は、一体……まるで、空間が突然爆発したような——)
そう自覚すると、自身の想定の甘さを恨んだ。
「……バカじゃないの、私。犯人の特徴を押さえるなんて基本もいいとこなのに」
知っていたはずだ、犯人が動作なく空間を爆発させられることを。そのせいで多くの人が命を落とし、傷ついたと。
自分たちがここに訪れた理由を思い返せば、それに対する警戒を一番すべきだったのだ。
「あれぇ、お姉さんまだ立つの? がんばるねえ」
それでも、だ。どれだけ体が傷つこうとも立ち上がらなければならない。
それが自身の意地であり、属する組織の誇りなのだ。
起き上がるだけで、刺すような激痛が走る。足が重く、気を抜くと倒れそうだ。
だが切先を向ける。吹き飛ばされた片方は衝撃で遠くで転がっている。唯一持っている片手の短剣すら、ヒビの入っている始末。
(大丈夫、あと一度……あと一度だけなら)
残り少ない星神力で創造できるのは、せいぜい刀一本程度。
それも当初持っていたものよりも幾らか劣った一振り。
エイナは星神力が少ないためか、それを使った技術を苦手としていた。
星神術を持たない者も多い夜巡隊でも、それは異端なことだった。しかし、彼女が入隊一年余りで単独の任務を任せられるほどの信頼を勝ち取っていたのは、その余りある体術センスにあった。
彼女は苦手の克服には目もくれず、体術を伸ばすことだけを行った。結果——体術のみならず、その知覚機能すら平凡の域を超えたのだ。
(吐息すらも遅く感じる。探知はできなくとも、空気が揺れたその一瞬を感じ取ればいい。そして、その瞬間——その場所を斬る)
爆発が起こる前の一瞬——空気の揺れた場所が彼女には歪んで見えた。
そして理解する。空気中の水分が弾け飛び、その衝撃が一気に広範囲へ広がる。それが連鎖した結果、あの爆発が出来上がっていたのだ。
(さしずめ、水蒸気爆弾かしら。この規模だとただ複数の属性を掛け合わせただけじゃないわね。星神術かしら? あの歳で習得するとはね)
感嘆しながらも、エイナは空気が歪む場所を斬る。右、後、左奥、手前――まるでそこに吸い寄せられているかのように、空間を切り裂いていく。その動作は流れる水のように、優雅だった。
「――無我専心 “流水”」
そして最後の一撃。
体を捻らせ、持っていた短刀を槍のように投げる。
「はあァ——!」
すかさず刀を構え、地面を蹴った。瞬きの間に距離が消え、刀の一振りが放たれた。
「——うぁッ、ァあああああ!!」
血飛沫が舞う。切り付けられた少年は、今までの様子を一変さえ、大袈裟に思える悲鳴をあげた。
「痛い! 痛い、痛い痛い痛い痛い痛い、いたい、いたい……!!」
右肩をざっくりと切られた少年は、血を地面に撒き散らしながらヨロヨロと千鳥足を踏む。
項垂れ、息を荒く吐き、傷口を抑える。
「そう、それが痛みよ。あなたが今まで傷つけてきた分の、たった一部だけどね」
「ぅ、ああ、あああああ! なんで! なんでなんでなんでなんでなんで! どうしていつも、僕ばっかりがこんな目に遭うんだ!!」
錯乱したかのように、少年の叫びが洞窟内に響き渡る。
もはやそれを憐れむほどの余地をエイナは彼に感じなかった。
「痛いのは嫌い! 病院も嫌い! 命令も嫌い!! 全部、ぜんぶ嫌いなのに……! 僕は、俺は……頑張ってきたんだ! それなのに、どうしてこんな思いをしなきゃいけないんだよ!! うあああああ! 全部大っ嫌いだ!!」
その様は、まるで思うようにいかない子供の癇癪だ。
そんな部分だけ年相応な様を見せられる。せめても介錯に——とエイナが少年に近づいた、その時。
「もう全部こわしてやる——!!」
舌っ足らずな言葉とともに少年が顔を上げた。
その眼は一つの光すらなく、この世全ての恨みを含んでいた。
エイナはすかさず刀を振り上げた。これ以上、何かをされる前に。これ以上、何かを失う前に。
——だが、そんな彼女の思いを打ち砕くような悲鳴と爆発音が、背後で響いた。
「きゃあっ!!」
誰の悲鳴かは分からない。ただ、直後に聞こえた背後での爆発音と——その先で倒れている妹を見て、駆け出してしまっていた。
「アルナ! 起きて、アルナ!!」
近寄って上半身を抱き抱える。
目立った外傷はないが、壁に頭を打ちつけたのだろう。苦しげにまぶたが閉じられている。
どうしても湧いてくる嫌な予感を振り払いたくて、耳を近づける。すぅ、と小さく呼吸の音がした。——ああよかった、生きている。
それを確認できた安堵感が、鼓動の高鳴りを落ち着かせた。
おかげで見渡せた周囲には、妹とよく一緒にいたスピネルという少女も倒れていた。咄嗟に妹を庇ってくれたのか、放られた腕が妹の方へ伸びている。しかし、妹との違いは彼女の額から薄く血が流れていることだった。
「……エイナ、さん。他のみんなは無事ですか」
冷静さを欠いた自分に話しかけたのは、なおも治療を続けている白髪の少年だ。
彼の隣には黒髪の少女が倒れている。
「あなたは無事なのね……」
「ええ。彼女が……クオールが、守ってくれたおかげで」
そう呟く彼は苦しげだ。色々な感情がせめぎ合っているのだろう、治療する手は震えている。
きっと黒髪の少女が彼を助けた理由は単純だ。そうしなければ、死人の数が増えるだけだから。
「——全部、ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ!!! 壊れた壊れた! こわしたんだ! みんなが悪いんだ、僕ばっかりいじめるから! ——また、こわしてやる!」
妹と、その友人を抱き抱える。黒髪の少女のそばに、そっと並ばせる。
響き渡る少年の癇癪と、空間の一部が爆発する音。幾度とない衝撃で、この洞窟も時期に限界を迎える。
「何を……」
白髪の少年と目が合う。そこに映るのは、威厳も何もないボロボロな自分自身。
幾度となく見てきた、自分自身。いつだって最善を選べずに、失ってきた自分自身。
それらに、決着をつけなければならない。
彼女は再び刀を構えた。
✤✤
ぷつりと電源コードを抜かれた機械のように意識を落とした俺は、突然にして再び目が覚めてしまった。
「——ぁ、あああああああああああああああ!!!」
目覚めた最初の一言は、やっとの思いで出した絶叫だった。
やっと息を吸えた。
やっと金縛りが解けた。
やっと——痛みの吐口が見つかった。
その一心で、俺は痛みを誤魔化すように声を荒げ続けた。
「落ち着きたまえよ、総名代。君の体は傷ついちゃいないだろ」
「……はっ、ぁ?」
言われて気づく。呼吸をしても痛まないことに。本当なら、こんな叫び声をあげればそれ以上の痛みに苛まれるはず。なのに、数秒経過した今でもその痛みはない。
恐る恐る腹部へと手を伸ばしても、何も痛まない。どころかそこには確かに肉の弾触があった。
「腹が、抉れてない……それに痛くもない。なんだこれ、俺は……死んだんじゃ」
「いいや、総名代。君はまだ死んじゃいない。とはいえ、肉体が死にかけなことに変わりはない」
さっきと同じ声。我に帰ると、今度はその声へ意識が向いた。
「お前は……ここは、何だ。さっきのはどういう意味だ」
また知らないやつに翻弄される訳にはいかないと、声音からもわかるほどに警戒を向ける。しかし、俺の態度とは裏腹に、頭上から響く声——いわゆる天の声は、穏やかな口調だった。
「ここは君の星神世界だよ、総名代。一度自力で来たことがあったはずだけれど……ああほら、君の星力回路が止まってしまった時の」
「回路が止まった……ああ、具象化の授業の時の。……ん? じゃあ何だ、ここは俺の精神世界なのか!?」
「そう言っているじゃないか総名代。寝起きで寝ぼけているのかな」
「うるせえ! ……って、さっきから言ってるその”総名代”って何だよ。俺の名前はソルだ! 変なあだ名つけんじゃねえっつの」
「あだ名ではない。それに、君はソルではなく——夏威という少年の精神、だろう?」
「——!」
その言葉で、緩みかけていた警戒が一瞬で引き締まる。この15年、ミルキールやメルディーたちにすら言わなかった、俺だけの秘密。それをなぜ、この声は知っている?
「先の質問に答えよう。私が何者か、だったね。私はおよそ人々が神と呼ぶ存在であり、今は君の星神力を依代としている者だ」




