第十七話【課外授業Ⅱ[二度目の観測]】
「——ちょっと! 待ちなさい!」
グイッと肩を引かれる。
ハッとして振り返ると、そこには眉を釣り上げるエイナさん。後方には怪訝な表情で俺を見るみんな。
「勝手に行くんじゃないわよ! 何かあったらどうするつもり!?」
「何か、って……別に——」
こんな星神術者が多い場所で何かが起きるわけがないと思っていた俺の認識は皆の顔を見て一変する。
知らぬ間に周囲の景色がすっかり変わっていた。人の気配はなく、周囲にあるのは木々ばかり。
「大丈夫か? ソル」
覗き込んできたクオールを見て、俺は息を吐く。
「……ああ、もう大丈夫だ。ちょっと頭に血ぃ上ってた」
「そうか」
クオールもホッとしたように微笑んだ。
どうやら相当重い空気にさせてしまっていたらしい。
「さ、それじゃ先に進もうか。と言ってももう森に片足突っ込んでるみたいな感じだけどね」
「うっ、そりゃすんません……」
「ほんと、あなたはもっと反省するべき。これでもし何かあったらいの一番に死んでたのはあなただったでしょうね」
「お前は助けてくれなそうだもんなー」
「私が助けるのはアルナだけ。あとは知らない」
隙あらば毒舌を吹っかけてきたスピネル。とは言え、その平常運転が今はありがたい。そんなこと聞かれたらスピネルはドン引くだろうが。
「とりあえず右回りに見て行こうか。時間も限られているし、ほんとは手分けをしたいところだけど……」
「そうね、そうされると警護の意味がないわ。バラけるなら目の届く範囲にしてちょうだい」
「こっちのやり方に口は出さないはずでしょ」
「あら、死にたいならそれで構わないわよ?」
「私たちを死なせたら、あなたの責任になるけど」
「ちょ、ちょっとスピネル! お、お姉ちゃんも……」
火花を走らせるエイナさんとスピネル。慌ててアルナちゃんが静止に入ろうとするが、二人は聞く耳を持ちそうもない。というかこれは下手げに仲裁すると飛び火するやつ。女子って恐ろしい。
「今回が危険な任務ってことに変わりはないから、安全の面で僕もバラけるのは良くないと思う。それでいいかな? 二人とも」
「好きにしなさい。私の役目は変わらないから」
「構わない。安全の方が大切」
うん。この雰囲気の中で入っていけるリレールの方がすげえよ。
こうして、意見がまとまったことにより俺たちは調査を開始した。
調査を始め、はや数時間。
俺はグゥっと背中を伸ばした。
「なんっにもねえな。手がかり」
そう、何もないのである。あるのは、摩訶不思議な植物やら木の実ばかり。
森の中も、昼間だというのに日の光があまり差し込まない。いや、森って元々こんなんだったような……いや、それにしたって暗すぎる。
右回りで調べ始めたはいいものの、これといったものがない。
と言うか、似たような景色が多すぎてゲシュタルト崩壊しそう。
「ってかここって森のどこら辺なんだ? 半分くらい見てる気がするんだが」
「んーっと、そうだね……」
リレールは懐から地図を取り出す。
それは、病院前にいた術者の男から渡されたものらしい。
「ここは森の東南に当たるかな。一応、今までたどったルートを星神力でマーキングしておいたから迷うことはないと思うけど……ああ、この少し先に洞窟があるね」
「マーキングって、お前いつの前に……つか洞窟か。いかにもな感じだな」
「そうかい? そもそも、怪しい人影を見たってのも眉唾ものじゃないか。僕なら一週間あったら、とっとと他の街に逃げてるよ」
「じゃあ何で俺ら駆り出されたんだよ……」
「建前でしょ。ちゃんと捜索してますよー、っていう証人を僕らみたいな純粋無垢な人からも得ておきたいっていう」
「……解せねえなあ」
珍しく毒吐くリレールだったが、彼の言い分も一理ある。
そもそも、こんな街の一大事にひよっこの俺らを駆り出す理由とは? という疑問がある。
本当の思惑がどうかは知らないが、そこは腹黒い大人の世界というやつだろう。
「ま、この任務の成果は僕らの評価に繋がるからね、やるべきはきちんとってね。——みんな! ちょっといいかな?」
少し離れた位置を見回っていた他の3人にも声をかける。
文句なく駆け寄ってきた3人を見て、やっぱリーダーこいつにしといた方が良かったんじゃねえの? と思ったのは別の話。
「ここから少し先に洞窟があるんだ。一応見ておこうと思うんだけど、どうかな」
「いいんじゃないか」
「うん、ちょっと怖いけど……でも任務だしね」
「大丈夫、あなたのことは私が何があっても守るから」
反応は様々。とはいえ、否定意見はないらしい。
少し離れた位置で木に背を預けているエイナさんも、異議を唱えるつもりはないらしい。
満場一致の可決ということで、俺たちは地図に記された洞窟へと向かった。
水滴が垂れ、足音や声が反響する。
片手に持つ松明の火が微かに揺れる。
投げた小石が、どこまでも転がっていくように反響する。
「……思いの外大きいなこの洞窟」
「そうだね。……ねえ、ソルくん。ひとつ聞いていいかな」
「ん?」
保健室での一件以降、アルナちゃんと会話する機会は増えた。
けれどこうやって一対一は珍し——いや、初めてじゃないか。それに加えて、今日はいつもより口数が少ない。
まあ、初任務という重要な日に色々なことがあったんだ、仕方ないだろう。
俺たちの様子を見るように後方からついてくるエイナさんを横目で見た。
「このまま……何もできないままなのかな、アタシって」
「え?」
「だ、だってそうでしょう? この一週間、とりあえず何にもないけど……でもこのままメルディアン先輩のお世話になるわけにはいかないの。アタシがこの学園に来たのは誰かの世話になるためじゃなくて、自分のことを自分でどうにかするためなのに。こんなんじゃ、また……」
彼女の瞳が悔しげに伏せられる。
痛いほど知っている彼女の悔しさを、俺も得たことがある。
俺のためを思い続けてくれた女の子が、その果てに涙を飲んだこと。あの日々があって、今の俺もある。
前世だと割り切っても、忘れられなかった日々。
「俺も人のことを言えないけどさ。少し……学んだんだ。俺のために何かをしてくれる人ってのはさ、その人なりの好意があるんだ。大なり小なりな。アルナちゃんの不安は、きっと時間をかけてほぐれていくもののような気がする。だから今は焦らなくていいんじゃないか? きっと、俺たちが相手に対して願う気持ちと同じく、その人たちも行為の分だけ、そう思っててくれてるはずだから」
「……ソルくん」
「ははは、ごめん。何言ってるか分かんねえよな。俺も何言ってんだって感じだし」
「ううん、いいの。こんなアタシを慰めてくれるソルくんの好意は分かったから。ありがとう」
「い、いや……班の仲間として当然、だから……あはは」
なんだろう。顔が熱い。
(自分から言っておいてあれだが……人から言われると恥ずいな、こういうの)
松明の火が照らすアルナちゃんの笑顔が、どうしてか鮮明に見えた。
「——アルナ、足元危ない」
「えっ? わっ! ……ってスピネル」
突然足元が明るくなったかと思えば、間に割り込んできたスピネルの仕業だった。
彼女の手にある松明が、俺たちの足元を照らしている。
アルナちゃんは、足元にあった少し尖った石を飛び越えた。
「おまえ、暗いんだから急に近づいてくんなよな……」
「あなたがちゃんとしないから。松明しっかり持って。それと、これ以上アルナに近寄らないで。汚れるわ」
「何でだよ!?」
タイミングが悪いというか良いというか……ブレないな、こいつも。
しかしアルナちゃんと親しげに笑う彼女を見ては、何も言えない。
任務の最中もアルナちゃんに何と言葉をかければ良いか思案していた様子だったし。
「——おーい、そこの3人! ちょっと来てもらえないかな?」
「あ、おう悪い。すぐ行く! 足元気をつけてな、二人とも」
気づけば、リレールたちと少し距離が空いてしまった。
足元に気を付けつつ、足早に向かう。
「……で? どうしたんだ?」
壁に沿うように待っていた二人へ合流すると、クオールが道の先を見て言った。
「この先に何かいる。微かに物音がしないか?」
クオールの言葉に皆が耳を澄ます。目を閉じ、余計な情報を削ぎ落としていく。
だが静まり返った洞窟からは、水滴が垂れる音しか聞こえない。
(そういや、クオールってめっちゃ耳が良かった気が……)
入学試験の時も、俺が小さく呟いた言葉を聞きつけていた。
そんな人間が微かにしか聞こえなかった物音。そんなもの俺が聞こえるわけ——、
「——ゥあァァアアアアア!!」
甲高い叫び声。およそ、人の限界を引き絞りでもしなければ出ないような、苦痛と絶望に苛まれた声。
キンキンと耳の奥が痛む。だがそれ以上に、吹き出しそうなほどの恐怖が芽生えた。
「な、んだ……今の」
「分からん。人の声、だよな……?」
それさえも疑ってしまうほど、常軌を逸した声だった。
(もしかして、これが怪しい人影ってやつか……? でも、それにしちゃあなんか……)
一瞬にして俺たちは冷静さを奪われた。
バクバクと心臓がうるさく鼓動し、誰も彼もが顔を見合わせた。
人であるかも怪しいその声の正体に、俺たちの脳は釘付けだった。
「あんたたちはここにいなさい。私が様子を見てくるから」
その中で唯一、足が地についていたのはエイナさんだけだった。
俺たちの一歩前へ出た彼女の手には、刀が握られていた。
そんなもの、最初は持っていなかったはずだ。
「待ってお姉ちゃん! お姉ちゃんが行くなら、アタシも……」
「——ふざけないで。足手纏いはごめんよ。あんたはこの洞窟から出ていなさい。どうせ、何の役にも立たないんだから」
「……っ」
「いい加減に——!」
「——いい加減にしろお前ら!!」
思わず口をついて言葉が出た。
俺の声の余韻だけが洞窟に響き、3人の声を掻き消す。
「非常時だろ! それに、これは俺たちの任務だ。危険だろうが何だろうが、俺たちはここでおめおめと逃げるわけにはいかねえ……そうだろ?」
そうだ、そのはずだ。俺たちが最初に来た目的は何だ?
あの悲鳴が、なぜか心の奥底に響く。その悲鳴が告げるのだ、成すべきことを成せと。
黙りこくってしまった3人も顔を見合わせる。
どうやら冷静じゃなかったのは俺だけではなかったらしい。
「そうだな。危険なことなんて、これから先も付き纏ってくるんだ。逃げてばかりじゃいられない」
「うん。ソルやクオールの言う通りだ。エイナさん、そう言うことですから僕らも行きます」
「……あー、もう! 分かったわよ! ただし、私が先頭を行くわ。あんたたちはその後ろについてくること、良いわね?」
「おう」
恐怖もある、疑念もある、ただそれでも——脳裏にこびりつくあの声を、俺は見過ごせなかった。
——その理由が、こんな現実だなんて想像もできなかった。
松明の明かりが、微かに照らす。
洞窟の冷たさと、恐怖と、現実を。
思えば、それは小さな予感だったのかもしれない。
足を踏み出した時の、小さな違和感。激しくなる鼓動。狭まっていく視界。
「……大丈夫か? ソル、息が荒いぞ」
「……」
返事をする余裕すらない。あんな啖呵を切った手前、情けない姿は晒せないと言うのに。
男の意地さえも瓦解するほど、義務感よりも不安が勝っていた。
奥へ奥へと、一歩ずつ進んでいく。
さっきまでは余裕で3人ほどが並べる道幅だったのに、段々と道が狭まっていった。
加えて、道が少し下り坂になっている。足を滑らせないように意識し続けた。
身をかがめ、一列になって、目の前の背を見失わないように見つめる。
聞こえないはずの悲鳴が、どこからか聞こえているような気がした。
(なんだ? なんで、こんな……)
気持ちが悪かった。
心の奥底にある違和感が、じわじわと侵食していくようで。
思わず口元を手で押さえた。間違っても、嗚咽が出てしまわぬように。
「……何なの、これ。ここが最奥?」
目の前の背が止まった。
松明の光が足元を明確に照らす。
立ち止まったエイナさんの背を越し、それぞれが開けた空間に足を踏み入れた。
「……………………は?」
踏み入れてしまった。
それぞれの松明が、空間をより明るく照らした。
そこにあったのは——そこに、いたものは。
「——ァ、うアー……ぅ、うあぁァ……」
人だった。
壁に背を預け、虚な瞳で俺たちを見上げる、人。
「これが、怪しい人影の正体なのか?」
クオールは困惑の声を漏らす。
地面に着くほど伸びた桃色の髪。その所々に混じる、金色の髪。虚に見上げる、青色の瞳。
皆が、その少女へと釘付けにされている中、俺はある一点を見ていた。
少女が座る地面にあった、赤黒い文字で書かれた魔法陣。
所々擦れて消えかけているが、俺はその文字や形を覚えていた。
(……何で、これが)
息を吐いた。
息を吐いて、目を閉じる。
脳裏にその光景が浮かぶと、再び目を開けた。
——転生の儀。
その魔法陣が、そこには描かれていた。




