第十四話【受難】
「——”地球”だが、それがどうした?」
当たり前のように、ミルキールは言った。
だが、俺にとってそれは衝撃以外の何者でもなかった。
(いや、落ち着け。そもそも異世界=”地球じゃない星”っていう常識はないだろ!)
必死に言い聞かせるが、それにしては前世を連想させる情報が揃い過ぎている。
——”地球”、”不必要な回路”、”前文明(仮)”。
もともと感じていた違和感が、今になってぶり返される。
(異世界ものでお決まりだと思って流してたが……この国が崇める各街の神って、ギリシャ神話に出てくる神の名前……だよな)
【火の街】の民、【水の街】の民、【木の街】の民……などなど。他の5つの街も同様に。
だがそこで引っかかるのは、【地の街】——”アースの民”。その名はそのまま、地球を指す。
(偶然、なのか……? いや、それにしたって出来過ぎてる。ここにもし意味があるなら——)
俺が死んでから、何百年と経った世界なのか?
それとも、俺が生きていた頃よりも前の?
いや、たとえこの時代がいつだったとしてもいい。
重要なのは、そんな世界に俺がいる意味だ。
転生なんてものフィクションの世界でしか聞かないものに、俺が選ばれた理由。
(転生の儀に巻き込まれたやつは、本来俺のようにはならないんだよな?
じゃあ、なんで俺は無事なんだ?
どうして、俺は何事もなく生きていられるんだ?
あの神の力とやらのおかげか?
いや、あれは【地の街】の民の命の結晶……何も関係はない、はずだ。
ああ、クソッ。考えがまとまらない。
……俺が選ばれた意味なんてものが、本当にあるのか? ただの偶然?
それともやっぱり——)
「——ソル?」
メルディーの声に、思わず思考が止まる。
見ると、不思議そうに眉を寄せて俺を見る彼女がいた。
「どうしたのですかボーッとして」
「む、もしや腹が空いておらんのか? だったら私が食べてやるぞ!」
「……あっ、おいやめろバカ! 腹減ってるに決まってんだろ! そうじゃくて、そうじゃなくて……だな」
なんと言えばいいのだろう。
というかそもそも、この話をして信じてもらえるのか?
——分からない。何も。
何も分からない自分が嫌いだ。
どうして、俺はいつも上手くいかない?
俺を支えてくれた人への恩を返せないままなんだ?
どうすればいい。俺は、何をすればいい?
何を話せば——俺が俺だと、信じてもらえる?
思考がグルグルと巡った。いろんな感情がせめぎ合って、収拾がつかない。
どうすればいいと、情けなく唱え続ける。ああ、この身このままを言えたらどれだけいいか。
「おい、ソルよ。貴様が何を考えているのかは知らんがな。バカで弱っちい貴様のできることは変わらんよ。しっかり生きて、学んで、励んで、強くなる——今の貴様にできるのはただそれだけだ」
なんてことない言葉のはずだった。いつもの調子で、いつもの口調でミルキールは言った。
ただそれだけのはずなのに。今の俺には、それが待ち侘びていたもののような気がしてならなかった。
——ああ、そうだったのか。
そうだ、そうなのだ。この考えが当たっていても外れていても関係ない。
それに意味があったとして、俺にどんな影響がある?
そうだ。根本はそれなのだ。
(この星が地球だからってなんだってんだ。
俺は今、ここで生きて第二の人生を謳歌している。
それでいいじゃないか)
焦ることも、危惧することも何もない。
多少驚きはしたが、たとえこの考察が当たっていたとしても意味はない。
だって、たとえそうだとしても俺はここで生きていくしかないのだから。
そう思うと、なぜか心が軽くなった。
不思議なほどに感じていた焦りが消え、スッと体が軽くなる。
すると、シャットアウトしていた二人の会話が自然と耳に入ってきた。
「それにしても……な、なあメルディーよ。デザートが一つ少ないのだが……」
「逆にお聞きしますが、なぜ今日もデザートがもらえると思ったのですか。母様は、一度自身を顧みるべきです」
「……」
そうだ。今の俺の居場所はここなんだ。
なんてことない二人のやりとりが、今はなぜか心に染みる。
たとえここがどんな世界だとしても、俺はもう”ソル”っていう一人の人間なんだ。
俺は自身にそう言い聞かせ、再び夕飯を食べ始めたのだった。
✤✤
翌朝。何の憂いもなく学園の門をくぐると、いの一番に駆け寄ってきた姿があった。
「おっ、おはようクオール」
「おはよう……昨日は大丈夫だったか? お前の……お姉さん? がいて、見舞いに行けなかったけど」
「おねっ——!? あ、あー。平気だ。今日も普通に授業受けていいってさ」
「そうか、ならいい」
それだけ聞くと、小さく息を吐いてクオールは前を向いた。
だんだんと俺にも心を開いてくれている様が嬉しくはあるが、それ以上にメルディーが俺の姉だと思われていたのが驚きだ。いや、年齢的に見てそう表現するのが一番かもしれないが……うん、驚きだ。
「あ、そういやさ。リレールから班の話は聞いたか?」
「班?」
「来週までに5人1組の班を作っとけってやつ」
「あぁ……なんか書いてあったな。それがどうした?」
素直に首を傾げるクオールの姿を見て、俺は納得する。
(あいつ、まだ話してないのか……)
昨日は様子が少し変だったし、個人的に何かあったんだろう。
仕方ない、ここは俺から話しておくとしよう。
「リレールからの提案でさ、一緒の班にならないかって誘われたんだよ。俺とお前で」
「……リレールが」
明らかにその名前を出した途端、クオールの表情が曇る。
(喧嘩でもしたのか?)
リレールも昨日、クオールの名前を出した途端、顔が曇った。
入試から入学式に至るまでの数日で、きっとギクシャクしてしまう何かがあったのだろう。
環境の変化で人は変わるって言うし……ここは、下手に首を突っ込むより、様子見して拗らせる前に仲裁した方がいいかもな。
「俺はそれでいいと思うんだけど……お前はどうする?」
「……ああ、俺も、それでいい」
頷いた彼女だったが、その表情には一層の影がかかる。
うーんなるほど。これはだいぶ拗れてるな。
そうなる前に、と思っていたが……時すでに遅しだったわけだ。
仕方ない、ここは一肌脱ぐとするか。
そんな俺の覚悟は、教室に入った途端駆け寄ってきたリレールによって、見事に粉砕された。
「——やあ! おはようクオール! あ、ついでにソルも」
「ついでかよ」
「いやー、にしても今日はいい天気だね! 君の輝きが一層良く見えるよ!」
「今日曇りだけどな?」
「……。あ、マント取ったんだね! その方が君の美しい髪がよく見えていいね!」
「昨日から取ってたけどな」
「……」
沈黙。
目を輝かせてクオールを見ていたリレールは、その沈黙の末にぐるりと顔を俺に向けてきた。
「——ちょっとソルくん!? さっきから聞いてれば君ってやつは!」
「おっと悪い、声に出てたか」
「わざとだろ!?」
ソンナマサカー。
だが、これで試験の借りはチャラにしてやろう。
あの怪我に比べれば安いものだろう。
それにしても、昨日のあれはなんだったんだ? 二人の仲が元通りになっているならばそれに越したことはないのだが。そう思い、隣を見るがすでにクオールの姿はなく。教室を見ると、すでに自分の席に座っているではないか。
いつの間に、と思っていると予冷のチャイムが窓の外から聞こえてきた。違和感を抱えながら、俺も足早に席へ着いたのだった。
今日の授業は【基礎運動術】と【基礎社会学】の授業。
授業は午前と午後で2科目行う。一限90分の授業で、15分の休憩が挟まる。
高校というより大学みたいなカリキュラムだ。
【基礎運動術】の授業では体力の増強と共に、星神力を自身の運動能力に変換する技術を学ぶ。
涜神者と言う、星神力を犯罪などに使う者たちへの護身術を身につけるためにも設けられているのだとか。最近の教育機関は大変だ。
「——と言うわけでまず、最初の授業では主に走り込みや、星神力と運動能力を掛け合わせて、身体能力のサポートさせる方法を主に学びます⋯⋯えっと、それ以外にも色々とありますが、それはまた追々と⋯⋯ですね」
この授業を担当するシートリア先生は【天】の属性を得意とする【天の街】の民だ。今年入ってきたばかりの新人で、その緊張っぷりが声にも現れている。ちなみに一年C組の担当だ。
「ええっと、それから……あっ、私の場合は【天】の属性が第一属性なので、星神力を体の周囲にまとわせます。そうすると……」
一筋の風と共に、シートリア先生は舞い上がった。
その所作は膝を折り曲げて、軽く地面を蹴っただけに見えた。
だが確かに、彼女は腰まである艶やかな髪を靡かせ、俺たちの二十メートル頭上で浮遊している。
「すごい……!」
これが、運動能力を星神力で補助した作用なのか。
おそらく、その光景を目にした多くの生徒が思ったことだろう。
生徒たちの視線はシートリア先生に釘付けだった。
「はい……ええっと、今のは星神力をインパクトの瞬間に放出し、瞬発力を上げました。その後、星神力を放出し続けると、空中で浮遊することができます」
シートリア先生がゆっくりと降下すると、各所から小さく拍手が巻き起こる。
「これ以外にも、様々な応用方法があります。そして、星神力は体力の増加と共に増えるので⋯⋯この授業では体力アップも並行して行っていきます」
その説明の後、俺たちは体力アップとは名ばかりな体力テストを行なった。
ぶっちゃけ言おう。この先生、鬼であると。
(ミルキールの特訓が愛おしくなってくるな……)
この学園に通う教師はどうやらネジが外れているらしいと、俺は認識を改めた。
そんな授業終わり。
教室に帰っていく大勢の背の中で、当たり前のように教室とは逆方向の曲がり角を曲がっていく一つの姿に、俺は思わず視線が向いた。
(あれ、あの紫髪……確か、アルナって子と一緒にいた……)
だが周囲を見ても、その桃髪の少女がいないと思い至る。
もしや、今なら名前を聞けるのではないか?
そう思うと、俺の足は気づけば逆方向へ動いていた。
「——何の用?」
いくらか歩いた廊下の途中。気づけば俺と紫髪の少女だけになった空間で、彼女は振り返った。
見ずとも分かる、不機嫌たっぷりな声音。
ここまで嫌悪を露わにされるのは何故なのか……と思った時。ふと、この状況を悟った。
一定の間隔を空けてその背を追う様は、言うところの尾行であった。
「あっ! ——いや、違う! 違うんだ! えぇっと……悪い、別に後をつけようとか思ってたわけじゃなくてだな……そ、そう! 名前を聞こうと思って。まだ君の口から聞いてなかったろ?」
「……」
見苦しい言い訳に聞こえるだろう。
だがしかし、それが事実であり真実である。
立ち止まった少女は、さらに眉間の皺を増やしていた。
「あ、俺の名前……ソルってんだ」
「知ってる」
「そ、そうだよな……あーっと、」
「……あなた、一体何?」
「何、と言われましても……」
大きいため息と共に向けられる視線。やはりそれは、隠す気のない嫌悪の感情。
俺は久しぶりに向けられるその感情に、心臓がギュッと縮こまる。
「一昨日の件で英雄気取りか知らないけど、私はあなたの瞳が嫌い。その赤い髪も、その態度も……全て」
俺の精神的ダメージを知らない——というか、それを考慮していないであろう彼女は、その刺々しさを包み隠さずに並べる。
「……えっとー、俺、君になんかした?」
「何も。でも見ているだけで不快なの、あなたのその『善人です』って押し売りしている感じが。誰かのためにならないと生きていけないとでも言うような……そんな顔が。だからあなた、もう私に——アルナに近づかないで」
呆然と立ち尽くす俺を振り切って、彼女が向かって行ったのは保健室。
ああ、きっと授業で姿の見えなかったアルナちゃんの様子を見に行ったのか……と思う一方で、正面切って言われた言葉の処理をできないままでいた。
「それで、こっぴどく振られたと」
「振られたって……いや、うん、はい」
午前の授業が終わった、食堂でのこと。
そんなに俺の様子がおかしかったのか、リレールとクオールがこぞって眉を寄せていた。
観念してことのあらましを話すと、返ってきたのはリレールからの容赦ない一言だった。
くそう、今朝のこと根に持ってやがるな。
「……なあ、その紫髪のって、もしかして前髪の半分が白髪の?」
「知ってんのか? クオール」
未だ掴めない原因に頭を悩ませていると、何かを思い出したようにクオールがつぶやいた。
「昨日の星神術の授業でお前、倒れただろ? それで保健室に行ったとき、二人がいたんだ」
確か、その時はメルディーが来ていて見舞いに行けなかったと言っていた。
俺は口を挟むことなく耳を傾けた。
「その時、二人の会話が聞こえて。何でも、そのアルナって子は星神力が体に合ってない? とかで、苦労してるんだと」
「……星神力が、体に」
それは、俺と同じってことだ。
俺の場合は意味合いが少し違うのだろうが……大雑把に言えばそうなる。
だからというか、それに甘えるなとミルキールの特訓でよく言われた。
(もしかして、俺と同じ……とかじゃないよな)
限りなくゼロに近い可能性だ。
だがしかし、理由はどうあれ星神力を使うたびに倒れちゃ授業だってまともに受けられない。
昨日の惨状(ミルキールによる家庭内暴力)を思い出し、あの子がそうならないことを祈る。
(何か力になれりゃいいんだけど……)
勝手が違うとはいえ、似たような現状にあるのだ。
しかも、まともに挨拶をしてくれた第一号。それだけで俺の好感度は爆上がりなのだ、手助けをしたいと思うのは自然の摂理だろう。
そんなことを考えていると、リレールが何とも言えない表情をして俺を見ていた。
「でもさ、どうしてソルは二人を気にしてるんだい? 嫌われてるって分かってるなら、普通は関わらないと思うけど」
それはもっともだろう。嫌われている相手と進んで関わるなど、両者の精神衛生上よろしくない。
そんなこと分かっている。だが人は、分かっていてもやめられないことがあるのだ。
うまく言語化できない思いを、俺はそのままの言葉で伝えた。
「……んー、なんつうかな。俺はさ、人との縁を大切にしたいんだ。俺が生まれてから死ぬまでに出会ってきたやつ……たとえそれが、名前しか知らないようなやつでも、俺を嫌ってるような奴でもさ。俺はそいつの存在を知ってて、少しの間でも同じ空間にいた。だったらもう、知らないなんて俺は言いたくない。そいつがもし困ってたとして……そのことを知ったら、俺は助けたい。うまく言えねえけど、例えどんなやつでも俺は幸せになってほしいんだと思う」
誰かのために、と言う願いはずっと変わらない。
それを否定してしまったら、俺は、俺自身の生きる意味が——いや、違う。
そこまで考えて、俺は小さな違和感を感じた。
それは、不恰好な言葉を思いのまま口にして気づけたこと。
それは、今までの俺すら気づけずに抱えていたこと。
「……俺が関わらなかったことで、失われるものがあってほしくないんだ。全てを助ける——なんてことは言えないけど、俺が目を背けてしまったせいで失われる未来があってほしくない。ただ、それだけなんだ。きっと」
きっとそれが俺の根底であり、ずっとそれを心の奥で思ってきたからこその人生だったんだ。やっと理解できた。理解し難いと言われてきた思考への、唯一の答え。
自分勝手に納得している俺に、二人は首を傾げていた。
何でもないと笑った俺へ返ってきたのは——何度か聞いた、嫌悪の混じった声だった。
「度し難いほどのバカが、本当にいるなんて」
メルディーと似た、抑揚のない声。だがその中に含まれる確かな嫌悪。
顔を上げると、やはりそこには紫髪の彼女がいた。
「お前……」
「やあ、スピネルさん。君も大概物好きだね」
驚く俺をよそに、さらりとその名を述べたのはリレールだった。
お前も嫌味を言われるぞ、と思ったのだが——リレールに向けた瞳には、何ら感情がこもっていなかった。
「愚かでバカな、叶いもしない大層な夢が聞こえたので。そんなセリフを恥ずかしげもなく言うのは、いったいどんな人だろうと」
「悪かったな、恥ずかしげなくて。でも俺のくに——じゃなくて。俺の家には『言霊』っていう、その言葉を発すればいずれ叶うっつー言い伝えがあるんだよ。それによく言うだろ? 叶うか叶わないかじゃない、叶えるんだってな」
「……なんで、こんなやつが」
「……え?」
俺の言葉の後、わずかに聞こえた彼女の言葉。
一瞬、苦虫を噛み潰したような表情を見せた彼女だったが、すぐに無かった事のように表情を戻した。そして、
「何でもない。今は、そんなあなたに頼み事があってきた。——お願いします。あの子を助けてください」
ただ一言、彼女は頭を下げたのだった。




