第十三話【その星の名前】
「……知らねえ、天井」
泥沼から地上に出てきたように、意識が鮮明になる。
視界には、見知らぬ白い天井があった。確かこんなこと、以前にもあったっけ。
「——目が覚めましたか」
頭上から聞き覚えのある声がした。
鈴のような、柔らかい声。
「……メルディー?」
「どうやら意識もはっきりしているようですね」
視界の端から姿を見せたのは、金髪を靡かせる見慣れた少女の顔だった。
「なんでお前がここに……っていうか、俺何してたっけ」
思い返す。真っ白い空間で気絶する前の、自分を。
授業があって、倒れた女の子を介抱しようとしたら、また別の女の子にひっくり返されて……それで、その後。
(そうだ。あれは一体、なんだったんだ?)
意識が飛ぶ瞬間、何かに肩を掴まれたような気がした。
それが一体なんなのか、見る暇はなかったけれど……考えられることは一つだけ。
(星神力の異常なんて、ミルキールとの修行中も起きたことはなかったのに……何で、今になって)
具象化という初めての力を使おうとしたせいなのか?
どれだけ頭を捻っても、知識の乏しい俺では到底答えに辿り着けそうにもなかった。
「授業中に倒れたんですよ、覚えていないのですか」
「……うん、大丈夫。ちゃんと覚えてる。それでなんでメルディーがここにいんだよ」
「ビルジェー先生に呼ばれて来たのですよ。あなたの星神力の回路がうまく機能していないから、何か知っていることはないかと」
「ビルジェー? ……ああ、あのゴツい保健医か——ん? 待て。俺の星神力異常でメルディーが呼ばれたってことは……! まずいんじゃねえのか!? それってつまり——」
「落ち着いてください。あなたと私、それから母様との関係はこの学園の教師は全員周知の事実です。ただ、あなたの出自についてはノータッチなので、そこは今まで通りです」
「そう、なのか。ん、分かった……ところでさ、俺が倒れた原因って? あの後どうなったんだ?」
「どうもこうも、鼻血を出して倒れたあなたをガウフ先生がここまで運んできたのです」
「ガウフが……あ、いや。ガウフ先生が、か」
「それであなたが倒れた原因ですが……一言で言うなら星神力の非循環です」
「ひ、じゅんかん……?」
「詳しい話は屋敷に帰ってから。ここでは話せません。理由は……お分かりですね?」
「……」
メルディーはそれ以上何かを言うことはなかった。
彼女が去った後、俺はベッドからのそのそと起き上がった。
窓の外は、すっかり夕暮れだった。
カラスが鳴いて、空が赤く染まっている。
「…………夕方、か」
寝ぼけた頭で小さく呟いた。
部屋に漂う消毒液と薬品の匂いが鼻の奥に香る。
(ってか、今日の授業まるまるすっぽかしたってことか……居残りとか補修とかあんのかな)
ベッドの淵にかけられていたローブを羽織る。
どうやらここは備品室のような場所らしい、というのは棚にびっしりと並んだ薬品が教えてくれた。
普通、こういうものは人の出入りが少ない場所に置くと聞く。それに加えて、この部屋には俺が寝ていた分のベッドしかない。
以前訪れた時は、何台ものベッドが等間隔に並んでいた覚えがある。そんな広い部屋に比べれば、ここは備品室と名付けるのがちょうどいい。
そんなことを考えていると、コンコン——と扉をノックする音がした。
先生か? と思って返事を返すと、入って来たのは意外な人物だった。
「やあ、目が覚めたみたいだね。ソル」
「リレール……」
緑と銀白のオッドアイを閉じ、飄々とした笑みを浮かべている。
その顔はどこか浮かない。
「どうしたの? そんな幽霊でも見たような顔をして」
「お前が来るのは珍しいなと思ってさ。それに、昨日といい今日といい、全然話しかけてこなかったじゃねえか。女子と二人って案外気まずいこともあるんだぜ?」
「寝起き早々下世話な話かい? 付き合ってあげてもいいけど……今はちょっと用があってね」
なんだろう、この違和感。
いつも以上にこいつの表情が読み取れないからか? ……表情を読み取れる仲かどうかは一旦置いておいて、だ。
貼り付けたような笑みとでも言うのか——いや違う。
どちらかと言えば分かりやすかったのは今までの方だ。
(分かりやす過ぎたんだ。不自然なほどに。こいつはこんな顔をするやつだったのか……?)
思えば、こうして二人っきりで話す機会はなかった。
この二日間、俺は極力クオールと一緒にいたし、リレールには取り巻きがついていた。
一体何を言われるのかと身構えていた俺に対し、リレールは変わらぬ声音で言った。
「提案に来たんだ。僕と、班を組んでくれないかい?」
「へ、班?」
意外と平凡な答えに、俺は思わず情けない声が漏れる。
「そ、昨日配られたプリントに書いてあったろ? 来週の課外授業までに5人1組の班を作っておくようにって」
「そうだったのか。それで、なんで誘うのが俺なんだ? クオールとか……ああ、今日いろいろ教えてた奴らとかもいたじゃねえか」
「まあ、そうなんだけどさ……ほら! 僕って人気者だろ? それはもう勧誘が多いのなんのって……でもさあ、せっかくの学園生活だよ? そんな上っ面しか見てないような人たちよりも、仲のいい人と組みたいじゃないか」
「そう言ってもらえんのはありがたいけど、お前の場合クオールと同じ班になるのが目的だろ?」
「……あはは。バレてた? ま、そういうわけだからさ。一緒にどうだい?」
「おう、俺は全然いいぜ。多分お前の方から来なかったら俺が言ってたと思うしさ。でも、そういうことならクオールにも話しとけよ?」
「……うん。そりゃ、もちろん」
リレールの語尾がだんだんと萎んでいく、そんな気がした。
彼の見せる笑顔が、とても寂しいものに思えたのも……俺の気のせいなのだろうか。
リレールが去っていった後、俺は改めて彼の提案について考えていた。
(5人班ってことは、あと2人必要なんだよな……誰にするかとかも決めてあんのかな? ま、また聞いてみりゃいいか。にしてもあいつ、今日は様子が変だったよな。さてはあれか? クオールと全然話せてなくて元気が足りないー、とか……——あり得るな)
冗談のつもりだったが、それがあり得そうなのがあのリレールという男。
とはいえ、今回に限ってはそれ以外の要因もあるのだろう。最後に彼が見せた分かりやすい作り笑いが脳裏をよぎった。
考えていても仕方ないと思い、帰り支度を済ませた俺はドアを開けると、そこにいたのは先生ではなく。
先ほど見かけた桃髪の少女と、紫髪の少女だった。
「……あれ、ソルくん? 目が覚めたんだ。よかった」
話しかけて来たのはベッドに腰掛けている桃髪の少女だった。
「そりゃどうも……? えーっと、君は」
「あっ、ごめん! そうだよね、ソルくん有名だからアタシ勝手に……アタシの名前はアルナ! よろしくね」
「おう、よろしく。で、もう一人の君は?」
「……」
先ほどから厳しい視線を向けてくる紫髪の少女を見る。
できるだけ優しい笑みを浮かべてみるが……彼女の視線は変わらない。
どころか、先ほどよりもキツく睨まれている気がする。
「あ、あー……えっと。この子はスピネルって言って……あ! そうそう、先生が大丈夫ならもう帰っていいって。帰る時、職員室にいる先生へ声かけてから帰ってねって」
空気の気まずさを察したのか、健気にも明るく答えてくれたのはアルナちゃんだった。
ああ、この子はいい子なんだな……と俺は心の中で深く頷いた。
「そっか、ありがとう。そっちも目が覚めてよかった、お大事にな」
紫髪の少女からの、早くどこかに行けと言わんばかりの視線に俺はほとほと会話を諦めた。
もしかすると、教室でのゴタゴタで気に障ることをしてしまったのかもしれない。
でも、俺が声かけたのはアルナちゃんの方だった気がするんだが。
(そういや俺、ちゃんと挨拶されたのってこれが初めてじゃね……?)
思い返せば確かに。俺が出会った人は皆、特殊な出会い方だった。
なるほど、これはあのアルナちゃんを大切にせよというお達しなのかもしれない。
うん、きっとそうだ。
というか、そうでなくとも男として笑顔で話しかけてくれた子を無碍にするわけにもいかない。
そう思うことにして、俺は家路を辿った。
✤✤
屋敷へ帰ると、やはりミルキールとメルディーが待っていた。
夕飯時だというのに、二人は食事の準備もせずに俺の帰りを待ってくれていたようだ。
その事実に浸っていると、ミルキールが淡々とした表情で言った。
「む、帰ったかソル。まずはお前の部屋に行くぞ」
「……ん? お、おう?」
おかえりとただいまの応酬さえもなく。
俺は制服を身にまとったまま、二人と共に自室へ赴いた。
部屋に入ると、最後尾にいたメルディーが部屋の鍵を閉めた。
俺は思わずドアを見る。
「では、ベッドに横になれ。仰向けにな」
「は、ベッド? なんで。話をするんじゃ……」
「そうだ。そのための、だ」
そのための、と言われても……
添い寝でもして、寝物語でもしてくれるのであろうか。
疑問が尽きぬまま、俺は言われた通りベッドで仰向けになる。
(何か嫌な予感がすんだけど……)
そう思い、天井やらメルディーやらミルキールやらの様子を伺っていると、それを許さぬというようなミルキールの指示が聞こえた。
「次に目を閉じろ。閉じたら、今朝の授業で考えたことを再び思考しろ」
「……お、おう」
わけがわからない。詳しい話を聞かせてくれるのではなかったのか。
とはいえ、いうことを聞かないと話を進めてくれそうもない。
仕方なしにベッドで仰向けになった俺は、そのまま目を閉じる。
だが、俺の期待とは裏腹にミルキールは一言こう言った。
「貴様のその、流されやすさは美徳であり欠点だな。まあ今回ばかりは話が早くて助かるが——メルディー、ソルの体を拘束しろ」
「…………は?」
瞬間、腕や足首に違和感を感じた。
見ると、ベッドのシーツが伸び、手錠のように俺の両手足を拘束しているではないか。
「な、なんだよこれ!!」
見た目よりも硬いそれは、いくらもがいてもびくともしない。
「おい、目を閉じろと言ったはずだぞ」
「ふざ、けんな……っ、テメェ! ——ぐ、アァァァアア!?」
瞬間、体に激痛が走る。
(心臓が、痛ぇ……!)
ミルキールの伸びた手が、俺の心臓の真上で止まっている。
そこから光が伸び、胸の中央を突き刺している。引き裂かれているような激痛が俺を襲う。
「何もクソもない。貴様の星神力を見ているだけだ。メルディー、拘束が緩い。もっと縛れ」
「……はい」
今度は腹部にまで拘束が及ぶ。
(なんで、星神力を見るってだけでこんなに痛えんだ……っ!)
グッ、グッと肋骨を上からプレスされているような圧迫感。
それに加え、心臓を直接握られているかのような痛み。
絶え間ない俺の叫びが屋敷中に響き渡った。
「耐えろ、あと少しだ」
あと少し? 耐えろってどう言うことだ?
そもそも、あと少しってどれくらいだ?
何秒経った? 何分経った?
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い——!!
「——ガハッ! はッ……ぁ、ッ」
幾らかの時がすぎた。
その痛みが消えた時、俺は貞操さえも気にせず息を吸った。
やっと水上に上がれた時のような、必死さで。
「お、よしよし。ちゃんと意識あるな、偉いではないか」
「えらい、って……ッ、このやろう——ゴホッ……! ……ちゃんと、説明してもらうからな……ゲホッ」
全身が重い。指先一本すら動かせないくらいに。
それでも俺はこの数分間の恨みを込めてミルキールを睨み上げた。だが奴は意にも介していない。
「説明はする、約束だからな。だから私は下で待っておる。起き上がれるようになったら降りてこい」
それだけ言うと、ミルキールはさっさと部屋から出て行った。
あいつにはどうやら血も涙もないらしい。
息が整ってきた頃、ふと意識を向けるとメルディーの拘束が解かれていることに気づく。
俺はゆっくりと起き上がった。
「大丈夫ですか、ソル」
「大丈夫じゃねえっつの……お前、これやるって知ってたのか?」
「……ええ。説明するより先にやった方が効率がいいからと……母様が」
「はあ、んなことじゃねえかと思ってたぜ。ほんと、あいつはこういうところを治すべきだと思うんだよなー」
変わらない表情を向けるメルディーだったが、その声音はどこか申し訳なさを滲ませている。
ミルキールとは大違いだ。
あいつはメルディーから人の心ってやつを学んだ方がいいと思う。
そう思いながら、差し伸べられたメルディーの手を取ってベッドから降りた。
1階へ降りると、すでに夕飯の食器を並べ終えていたミルキールが、待ち侘びたという表情で席に座っていた。
誰のせいだ、誰の。とは思うものの、机に並ぶ料理を見て俺も腹の虫が鳴る。
「……んで? なんであんなことしたんだよ、ミルキール」
夕飯を食べながら、俺は早速ミルキールに問いただした。
今回ばかりはなあなあにして終われない。
「メルディーから聞いておらんか? 貴様の星神力が正常に循環していないと」
「あー、『非循環』だっけ? そりゃ聞いたが、それとこれとどう関係してんだよ」
「あれは言わば、回路を冷却させるための一時停止のようなもの。貴様の体は膨大な星神力の負荷に耐えきれずショートし、それを正常な状態へ戻すために起こった。私が対処したのは、その蘇生。無理やり貴様の停止していた星神力回路を動かし、元に戻したというだけの話」
「停止してた、って……あの時までずっと!? じゃ、じゃあつまり、俺が寝てた間も、ここまで帰ってくる間も!?」
「ああ、そうだ」
まじか。信じられない。
じゃああの時の俺は、星神力が使えなかったってことか。
だが、そういう割には違和感がある。何せ——
「……いや、でも、そういう割には何もなかったぜ? いつも通り帰ってこれたし、頭がぼうっとすることもなかったしよ」
「当たり前だ。何せ、本来星神力の回路は人体において不必要な器官だったのだからな」
「は? 不必要……?」
思わず食事の手が止まる。だがミルキールは綺麗にナイフを使いながら、言った。
「そもそも星神力というものが目覚めたのは、星暦1057年前。神から力を分け与えられた最初の10人が起源とされている。それ以前にいた人類は、星神力もない状態で生を謳歌し、文明を発展させていたという。だからその名残で、今の我々も星神力の回路が機能せずとも、生きること自体に支障はない。だが、我らの唯一違う点は、それが体の機能の一部となってしまったこと。故に、星神力を一気に放出すればそれ相応の負荷が出る。今日の貴様のようにな」
なるほど、俺が今日ぶっ倒れたのはそのせいということか。
具象化を行うにあたって、多くの星神力を消費した影響——いや、待てよ。
(意識を失った時点での俺は、星神力を使おうとしていたってだけで、実際に使ったわけじゃないはずだ。じゃあ今日の原因は別にあるのか? つっても、ミルキールや学園の先生たちがそれを見逃すとも思えないし……勘違い、なのか?)
「つまりだ、極端に言えばこの世界において”星神力”というものは無くても生きてはいける。だが、インフラなど日々の生活も……全ての基盤は星神力が使えることを前提に成り立っておる。貴様もこれに懲りたら、回路の調節をもっと上手くやるんだな」
「あ、ああ……」
唐突な事実に、俺は目を回しそうになった。
星神力が使えなくても問題がない、というのは分かった。
(それ以上に気になるのは、星神力がない状態でも生きていたという人類……呼称するなら、前文明ってとこか。その前文明人類って、言っちまえば俺の前世——ただの地球人と、変わらねえ生活を送ってたってことだよな)
じゃあ、この世界は一体なんだ。ミルキールの言葉を総合すると、この星神力というのは後付けに人類へ当てられたもの。それが、1057年ほど前の出来事というわけだ。
異世界、であることに変わりはないのだろうか。だが確かに彼女は言った、『それ以前にいた人類』と。
それならば、本当に……?
その事実に気づき、息を吐いた。
グルグルと脳が回転し、あらゆるものが喉を通らない。
唇が震えた。
それでも俺の口は、閉じることを知らない。
「……なあ。一つ、聞いていいか」
それは転生してから15年、一度も聞いてこなかったこと。
母や父から与えらえた教典や教科書には載っていなかったこと。
当たり前のように使われる、魔法のような現象への名。
「ここって……この星の、名前って」
景色が違った。
常識が違った。
知らないことばかりだった。
膝の上で握る拳が震える。
ミルキールがフォークを置き、口を開くまでが途方もなく長い時のように感じた。
心臓がどくりと跳ねた、その瞬間——彼女は確かに、その名を口にした。
「——”地球”だが、それがどうした?」




