第十一話【赤色】
入学式が終わり、広場からは人がまばらに散っていく。とはいえ、その行き先は同じ場所。式が終わった後、生徒はそれぞれ教室に向かうよう指示を出された。
せっかくならリレールのやつでも誘ってみるか——と思った矢先、その人物が人混みに囲まれている光景を目にした。
「な、何やってんだあいつ……」
目を凝らしてみると、本人もどことなく楽しそうに話しているではないか。
さすが、主席ともなればこうも人気なのか……と俺は早々にその場を後にすることを決めた。
とはいえ、ここにもう一つ見知った人物を見かけないことにハッとする。
「そういや、クオールのやつ見かけねえな……」
途端に足が止まり、再度周囲を見渡した。
(まさかあいつ落ち——い、いやいや! あんな醜態見せた俺だって受かったんだ! あいつだけ落ちてるなんてあるわけねえだろ!)
ブンブンと頭を振ってそんな想像に蓋をする。
彼女の性格的に、もしかしたら先に行っているのかもしれないと思い、俺は足を動かした。
——率直に言えば、それは正解だった。
どれだけ人混みを探しても見かけない黒色は、ひっそりと息を殺すようにそこにいた。
「クオール、どうしたんだよそんなところで。もっと前行かねえの?」
指定された教室の隅。よかった、やっぱりいたという安堵と共に、相変わらずフードを被ったままの彼女に俺は手を振って話しかける。
「……誰かと思えばお前か。受かってたんだな、おめでとう」
「あ、おう。そっちこそ」
「リレールのやつは一緒じゃないのか」
「あー……一緒に来ようと思ったんだけど、色んなやつに囲まれてたからそのまま……やっぱ連れて来た方がよかったか?」
「いや。あいつがいると騒がしい。それに、呼んでないのに来るのがあいつだ」
「確かに。お前がどこにいてもすっ飛んで来そうだもんな、あいつ」
「……」
——沈黙。何かまずいことでも言ってしまっただろうかと、彼女を見るが、その表情の差異を理解するにはまだ日が浅かったらしい。
こういう時、どうやって話を持ち掛ければいいんだっけ——と過去の記憶を総動員するが、14歳から死ぬまでの数年、入院生活でまともに会話をしていた相手は秋奈と両親、それから病院のスタッフだけだった事を思い出す。
「……そ、そういや。リレールはどこのクラスなんだ? 知ってるか?」
「さあな」
「そっか……あー、えっと……」
話題。話題はどこだ。というか、この世界での当たり障りない話題って何だ。
(家族のこととかか……? それは聞き返されたらこっちが困るな。じゃあ『どこに住んでるの』とか……いや。分かりきってることを聞くのも変か)
などと自問自答を繰り返していると、不意に視線を感じた。何かあったのかとクオールを見たが、彼女は変わらず窓の外を眺めている。じゃあ何だと教室を見渡すと、原因を理解した。
ヒソヒソと、誰も彼もが俺たちを見て何かを囁きあっている。自意識過剰なんかではない。現に、チラチラとこちらを見る幾つかの視線と目が合う。まあ、その度に逸らされているのだが。
(何なんださっきから……? やっぱ、この赤髪が目立つのか)
仕方ない、とはいえ鬱陶しい。俺は前髪を持ち上げて毛先をいじる。自分から見ても目をひくのだから、他人から見れば尚更だろう。
クオールを見習って俺もフードでも被るかと思っていた矢先、一つの声が俺たちに話しかけてきた。
「……あ、あの」
オドオドとした様子で話しかけてきたのは一人の少女。
誰だろうと、見覚えのない顔に俺が首を捻っていると、少女はじっとクオールを見つめて言った。
「狼人族……なんですか?」
突然の言葉に、俺は言葉を失った。
その瞬間、ああ──と俺の中で何かが腑に落ちる。
(そうか。あの入試でクオールが助けた子か……)
その瞳には疑念の色が載っていた。
不安という言葉を前面に押し出して、少女はクオールの言葉を待っている。
「……何も言ってくれない、ってことは……本当に」
「違う!! 俺は、私は、ただの……!」
食い入るような叫びだった。
その場にいた俺たちだけじゃなく、教室の反対側にいた生徒たちでさえ、視線を向けるほどの。
「……違う、って。でも私見たんです! あなたの瞳が赤くなるのを! それって狼人族の特徴じゃないんですか!?」
「そ、れは……」
突然何を言い出すのかと思えば、呆気に取られる暇もない。俺は思わず二人の間に割って入った。
「ま、まあ落ち着けって! 赤くなるのを見たって……見間違えじゃないのか? ほらだって、あの時暗かったし。目が覚めたばかりで混乱してたんじゃねえの?」
間に入って何とかヒートアップしそうな会話を宥める。誤魔化しにしては何とも拙い。けれど、今の俺にはこれ以上荒波を立てずに場を諫める言葉が思い浮かばなかった。
だが、少女は握り合わせた手を震わせて糾弾を続けた。
「——あれは絶対見間違えなんかじゃない! だって私見たのよ!! 瞳が……青かった瞳が、赤色に変わるのを……! それって狼人族の特徴でしょ!?」
心臓を冷えた手で触られたかのようだ。ヒヤリとしたものが、背筋を撫でた。
その瞬間、少女の言葉を皮切りに、教室で会話を傍観していたやつらが一斉に騒ぎ始めた。
これがきっと、狼人族に対する世間の反応なのだろう。
それを直に目にした俺は、試験での一部始終がフラッシュバックした。あの時、座り込んでいたクオールの腕を引っ張り上げた彼女の——揺らいでいた赤い瞳が。
「……くそっ」
俺が何も言えずにいると、忌々しげに言葉をつぶやいたクオールの声が聞こえた。
ああ——と俺は理解する。その感情には、覚えがあった。
あの日。スポットライトのようなシャンデリアの光に照らされ、何人もの見知らぬ大人に嘲笑われた、あの時と同じ。
(そうか。あの日の俺と同じなんだ。誰が敵かも分からない、味方なんて誰もいないんじゃないかと思えた……あの時の俺と)
どうして気づかなかったんだろう。なぜ、すぐに声をかけられなかったんだろう。思い返すほどに、後悔が湧いてくる。
俺が声をかける暇もなく、教室から足早に出ていくクオールの姿が鮮明に浮かんだ。
そして——その時俺の視界は確かに、彼女が唇を噛み締める様を見ていたんだ。
✤✤
——それは、突然現れた異変だったと聞かされた。
狼人族。なんて呼称がされるようになったのも、火神戦争以降の話。
75年なんて短い歴史で、その名が深く浸透するようになったほどの出来事。
自分が今でも尚、その渦中にいるということを、俺は外に出て初めて知った。
「はっ、はっ……!」
教室を飛び出して、どこかも分からずただ走った。
誰の目にもつかないように。どこかにある居場所を求めて。
「……あの時、どうして」
止まった先で、奥歯を噛み締めた。
脳裏に湧き上がるのは、あの試験の日のこと。
咄嗟に動いた体を、理性が静止させた時のこと。
(……どうして、助けたいって思ったんだろう)
そんなの、分かりきってることじゃないか。
あの時、大丈夫だろうという油断があった。いつもなら絶対にしなかったはずなのに。
隣にあった光が、どうしようもなく鮮烈だった。ただ、それだけ。
「——クオール!」
それだけのはずなのに。どうしてお前は、また俺の前に現れるんだ。
俺は恐る恐る顔を上げた。そこにいたのは、やはりあの鮮烈すぎる赤髪だった。
「……ったく、こんなところにいたのかよ。探すのに苦労したよ」
そんなの、頼んでなんかいない。
うざったいほどに、ずけずけと歩いてくるあいつはその額に滲む汗を拭った。
「ほら、戻ろうぜ。今度また言われたら、俺がどうにかしてやるから」
また腕を引かれる。あの時と同じように。
きっと、こいつはそういう奴なんだろう。目の前で困ってる奴がいたら、見過ごせないような。
(いい奴だよ、お前は。この短い付き合いでそれは十分に理解できた。けど、俺にはそれは重すぎる。だって、それは……)
そう、それは何度も見てきたもの。俺が密かに拳を握った感情。
「——同情なんて……俺は望んじゃいない! 第一、お前に何ができるってんだ! どうにかするなんて言葉、もう何度も聞いてきた! でも、結局どうにもなってないじゃないか!」
掴まれた腕を振り払った。
俺の声が、二人だけの空間に広がって消えていく。
黒髪というだけで、遠巻きにされた。
青い瞳を見せただけで、顔を叩かれた。
味方なんて、いなかった。
「……っ、お前のせいだ。お前が、あの時助けようなんて言ったから……! お前が俺を見て何も言わなかったから! お前が、俺を他の奴と同じように扱うから……!!」
普段なら、目の前でどんなことが起きていようとも、絶対に他人の前で星神力を使おうだなんて思わなかった。
理不尽な言い分だと、自分でも分かってる。こんなことで責められる謂れ、あいつにはない。
それでも、それでも。思ってしまった。あまりにも真っ直ぐに人を助けたいと言った奴の光に、俺の目は眩んでしまった。
「俺だって、誰かのためになるんだって……思っちまったんだ」
感謝されたかったわけではない。それが当たり前だと思った。
でも、一つ願うのなら。その実績がどうしようもない俺の人生の中で、唯一誇れることになればいいと。
ただ、それだけだった。それだけだったのに。
何も言わない空間が、ただ虚しかった。
罵られることも、なじられることにも慣れている。それなら、耐えられたのに。
元からそんな選択肢なかったとでも言うように、あいつは言った。
「大丈夫、お前は何も間違ってねえよ。誰かを助けたいっていう心が間違いであっていいはずがない。そんな世界クソ喰らえって、俺が何度でも言ってやる。だから、大丈夫だ」
(どうしてお前はそんな言葉が言えるんだ。俺の痛みも苦労も、知らないはずなのに)
おそらく、平々凡々とした日々を暮らした人間が思わないであろう思考。
それを平然と言えてしまうこの男は、いったい何なのだ。
大丈夫——その言葉に、何度裏切られたか知れない。でも、どうしてだろう。
何度も恨んだ色があった。
青を塗り替える、あの色が嫌いだった。
なのに——その色をした瞳に、俺はどうしてこんなに期待してしまうのだろう。
「——俺は、狼人族だ。火神戦争でフォボス家と共に戦った民の血筋だ。過剰に星神力を使えば、瞳が赤くなるんだ。この世界の嫌われ者で、忌み者で、獣だ。味方なんて誰もいない、石を投げられるのが当たり前。そんなやつだ。俺の隣にいたって、お前に何の徳もない。不幸だけが降りかかる。それでもお前は、俺を助けてくれるのか?」
「ああ、助ける。たとえお前が何者だったとしても。何せ、俺は誰かを助けるためにここにいるんだ。俺の得だとか何だとか——そんなものはな! お前を助けなきゃ生まれないんだよ!」
ああ、そうだったのか。俺にとっての幸せがあるように、お前にとっての幸せがそれなのか。
眩しい光だった。いつの間にか日陰は日向へと変わっていた。
「……バカだな、お前は」
「そりゃどうも、こちとらバカさ加減に関しちゃ折り紙付きなもんでね。でも、お前にいいこと一つ教えてやるよ。俺の家にはなあ、バカって言った奴がバカって言葉があるんだよ。だからさ、友達助けんのは当然だっつーの、バカやろう」
✤✤
クオールとともに教室へ戻ると、俺たちへの非難で満ちて——いなかった。
静まり返った教室で、すべての生徒が席に座っていた。異質だったのは、その全員が俺たちへの罵倒を忘れたように、身を縮こまらせていたこと。
(な、何が起きてんだ……?)
そんな光景を見て、ドアの前で立ちつくす俺とクオールに対し、一つの声が降ってきた。
「——来やがったなァ、クソガキども」
ドスの効いた声、という言葉を的確に表現するとこうなるのか。と心の片隅で現実逃避した。
俺たちがドアを開けるより先に、バシン! という音を立てて開かれた扉の前に立っていたのは、一人の大男。
青緑の髪に、ギラリと光るサメのような歯。
片方の目を前髪で隠しているかと思いきや、もう片方の目はオールバックになった前髪のおかげでよく見える。そんな紫の瞳は、金縁のモノクルの奥で睨むように細められた。
「何突っ立ってやがる。さっさと席に着け」
誰ですか、なんて言葉はこの冷えた空気で聞けるはずもなく。
その鋭い眼光に身を縮こまらせながら、俺たちはそれぞれ空いている空席へと座った。
その間、俺たちを見る視線がなかったと言えば嘘になる。ただそれ以上に、教卓の前で睨みを利かせる男の眼光が鋭かったというだけで。
「……ったく、入学早々問題ごとたァ、いい度胸じゃねえかガキども。しかもよりによって俺の受け持ちで起こしてくれるたァ、躾ってもんがなってねェ」
今、男はなんと言った? 受け持ち——そう聞こえたのは気のせいか?
(”受け持ち”ってことはまさか、コイツ担任か……!?)
ははは、と内心で空笑いが漏れる。
何かの間違いであってくれ、という俺の願いも虚しく、男は気だるげに自己紹介を始めた。
「俺ァ、ガウフ。この1年A組の担任なわけだが……お前らに一つ言っておく。俺の前で面倒を起こすな。起こした奴は即時退学届をくれてやる。で、さっきの問題なわけだが。主犯はどこのどいつだ? アァ?」
恐喝のような言い方に、全員の肩が震えたが——その実、思っていることは単純だ。
ほとんどの視線が、窓際の最後列に座るクオールを見ていた。
見逃してくれ、という俺のささやかな祈りも通じず、ガウフの視線が一点を向いた。
「……お前、クオールだったか?」
「……はい」
何も言うことなく、クオールは答えた。机の上に置かれた手は、悔しそうに拳を丸めている。
「——ま、待ってくれ! クオールは何もしてない!」
ガタリと椅子を倒して俺は声を荒げた。
ここで何もしなければ、大丈夫だと言ったクオールに面目が立たない。
いや、それ以上に黙っていられる道理はない。
「何もしてねえだァ? 火のない所に煙は立たねェんだよ、クソガキ。そういうテメェは一体なんだ? ただのでしゃばりか?」
「俺は試験でこいつと……クオールとペアを組んでた! けどな、試験中にこいつが誰かを傷つけるとこなんて見てねえ! クオールはずっと、誰かを助けるために動いてた! 現に、こいつに助けられたやつが何人もいるはずだ!」
じっと言葉を待った。教室中を見渡しても、誰かが何かを言い出す気配はなかった。ただその中で先ほどの少女が机に視線を逸らしている様が目に入った。
何を思って、目を逸らすのか。ただ一つ言えるのは、目を逸らした少女に説教がしたいわけではないということ。
俺はクオールの苦労も、少女や世間が抱える恐怖も知らない。それでも、狼人族だというレッテルだけでクオールの性根を決めつけてしまう世界が、嫌だった。
(だってそれは、あの時と同じだから)
いまだに思い出す、あの夜のこと。その思いを直に見た。なのに、上辺だけしか見ていない奴らは勝手にそれを裁定した。そんな理不尽が許される世界など、クソ喰らえと俺は今でも思っている。
「……狼人族、狼人族ねェ。テメェら易々とその言葉を使っちゃいるが、意味を分かって言ってんのか?」
怒気とも違う、冷静なまでのガウフの声が教室を満たす。
疑念を募らせていた者も、それを声に出した者も、否定した者も——皆が、不思議とその言葉を聞いていた。
「それは、かつてこの国を裏切らんとした涜神者に付けられた蔑称。たとえそいつの瞳が本当に赤くなったとしても、そいつは本当に狼人族なのかァ? 言っとくが、この国を裏切らんとするやつを入学させるほど、この学園はザルじゃねェ。それとも何かァ? ——クオール、お前は狼人族だってのか?」
ガウフの声が、重々しく教室に響いた。
クオールの正体を知った今、俺が言えることは何なのだろう。
だが、彼女は立ち上がった。今度こそ、自分の言葉で伝えるために。
「……俺は、ただのマーズの民だ。知らない世界を知りたくて、この学園に来た。だから、俺は絶対に涜神者になんかになるつもりはない……!」
彼女の青々とした瞳を見て、もう誰も何かを言うことはなかった。
✤✤
「あの、クオールさん」
朝の一件が嘘のように鎮静した昼ごろ。授業と授業の合間を縫った憩いの時間に、その少女は再び声をかけてきた。
思わず口を引き結んでしまった俺だったが、勢いよく頭を下げた少女の言動に面喰らい、唖然とした。
「さっきは、本当にごめんなさい。あんなことを言って。謝って許されることじゃないって分かってるの」
震える声で、それでもしっかりとした意思を持って少女は告げた。
何事かと、教室は少しざわついたが、少女はめげずに言葉を続けた。
「見間違えでもそうじゃなくても、もういいの。クオールさんがどっちだとしても、私——あなたに助けてもらったお礼を、言えてなかった。あなたが助けてくれなかったら、入学できてたか……だから、本当にありがとう。図々しいって、分かってるけど……どうしても、これだけは言っておきたくて」
少女は、それだけ確かに言うと足早に教室を去っていった。
その背が俺たちの視界から外れるまで、クオールは何かを言うことはなかった。
「……よかったな、クオール」
今にも泣きそうなほどの喜びを、不器用な笑顔で示すクオールを見て、俺は思わず笑みが溢れた。




